アグリアスとエルヴェシウスは東の空が白み始めた未明のウォージリスを歩いていた。
ムスタディオ達には先に帰らせ、山賊達に襲われた商人夫婦と使用人の亡骸に鳥車の積荷、そして生き残った娘を、商人が取引しようとしていた相手に送り届けてきたのだ。
相手の商人はこの面倒事を、それも火急の事とはいえ深夜に訪ねたにも関わらず、いやな顔一つせず応対し、適切な処置を行うことを約束してくれた。
アグリアスは迷惑料にいくらか包んだが、それも丁重に断られたのだった。
「中々の人物でしたね。あの方なら悪いようにはしないでしょう。一先ず安心しました」
「そうだな。商人ギルドも責任持って対処するといって居るしまず大丈夫だろう」
アグリアスとエルヴェシウスはウォージリスの商人の義侠心に感服していた。
「しかし、驚きました。まさか先生にこうして再び出会えるとは」
アグリアスは未だ興奮冷めやらぬ様子で横を歩くエルヴェシウスを見ながら言う。その言葉にエルヴェシウスは前を見たままニヤリと笑うと、
「未熟者」
と、言った。
「な、どうしてです!?」
意外な言葉にアグリアスは少し鼻白んでしまった。
エルヴェシウスは目だけで動かしてアグリアスを見、再び前を見て言う。
「未熟ゆえ未熟よ。お前も剣を志す者であるなら腹に『虫』を飼っておけ」
(『虫』?)
そう言われてアグリアスはちょっと考え込み、己の腹に虫が居るのを想像し、ゾッとしてしまった。
エルヴェシウスはアグリアスの顔が青白くなったのを目の端で見て、
「はっはっはっは!」
と哄笑した。
「腹に『虫』を飼えと言うのは何も真に腹で虫を飼うわけではないぞ。腹に『虫』を飼うとは即ち、第六感を養うことだ。剣を志す者は何時いかなる時も油断は出来ん。しかし四六時中気を張っていては、如何な猛者とはいえ精神が擦り切れてしまう。然るに一流の剣人は腹に『虫』を飼い、気を張ることも無く事前に己の危機を知る。そうして敵を迎え撃つ心構えをするのだ」
エルヴェシウスは其処まで言ってアグリアスの顔を見る。
昔はこういった神秘的ともいえる事象にはあまり興味を見せなかった彼女であったが、今は真剣に聞き入っているようだった。
(変わったな)
彼女の師としてエルヴェシウスは弟子の成長を喜ばしく思いながら、言葉を紡ぐ。
「更に達人ともなれば己の危機だけではない。天地の異変すら予見し、千里先の人の死すらも見通す。また危機だけではない。そう言った者にとって、知己との再会を予見するなど朝飯前も同然よ」
師の言葉をアグリアスはしばらくの間、心中で咀嚼し、ゆっくりと悟った。
ああ、なるほど、剣を志すとはただ剣を振うだけのものではなく、剣を振う身を支配する精神をも鍛えるものなのだな、と。
「先生は分かっていたのですね?今夜私と出会うことを」
アグリアスは半ば答えを確信しながら目を輝かせて言う。
「儂か?」
弟子の期待の目を受けて、師は哄笑して言った。
「まさか!お前に会って心底驚いたものよ!はっはっはっは!」
アグリアスはポカンと口をあけて呆然とし、からかわれた事を悟ると顔を紅潮させ、しかしすぐに平静に戻り苦笑する。
そうだ、昔からこういう人だったのだ、と。
「儂もお前もまだまだ未熟、そういうことよ。はっはっはっは」
あきれる弟子を見てエルヴェシウスは更に笑い続けた。その快活な笑いはウォージリスの住民の安眠を妨げたが、そんなことに気を使うような男ではない。
夜明け前のウォージリスはしばし豪放な笑い声に包まれたのであった。
「そういえば初めてお前に出会ったのも、今日のような日であったな」
エルヴェシウスは白んできた空を見上げ、少し過去を懐かしむような目で言った。
「ああ、そうでした。懐かしいですね」
師の言葉に、アグリアスもまた過去に思いを馳せた。
「もう十年にもなるか・・・。光陰矢の如しとはよく言ったものだ」
この豪傑にも似合わぬしみじみとした口調に、アグリアスはちょっと笑った。
「あの時も先生は賊相手に剣を振っていましたね」
「ああ、そうであったな。あれはどこであったかな・・・」
二人はしばし過ぎ去った日々を思い巡らせた。


その日はひどく寒い日だった。
人々の心を映したかのように空には暗雲が立ち込め、日の光の差し込む余地はほとんど無い。
道を行く人は多くはあるが、皆一様に生気が薄く、全体に活気が無い。
五十年戦争の膠着による内政の悪化著しい当時、どこの街でも同じような景色が見られ、それは王都ルザリアといえど例外ではなかった。
騎士達の多くが戦争に赴き、敵の屍を築く最中に、イヴァリースは内政の悪化に拍車が掛かり治安は大いに乱れていた。
各地で農民一揆や反乱が相次ぎ、その合間を盗賊が蔓延る、そのような状況だったのだ。
アグリアス・オークス、当時十三歳の彼女は、二年前に父親を戦場に取られた騎士の子供の一人だった。
家族や使用人は表向きこそ気丈に振舞っていたが、内心では決して当主の戦場行きに賛成していたわけではない。
オークス卿は優秀な軍人であったが生来肺を病んでおり、それ故に本国にて策を練るのがそれまでの常であった。
しかし戦況の泥沼化に伴い指揮官が不足し、病弱な者といえど優秀であればと乞われ、やむなくオークス卿は戦場に赴いた。

五ヶ月の後、オークス卿は死んだ。
戦場の汚れた空気が原因である。
家族、使用人は深く悲しみ、オークス家は沈んだ空気を纏った。しかし、幼いアグリアスは家を覆う空気を撥ね退けるように一芸に勤しんだ。
それが剣である。
父の訃報を聞き、幼いながら彼女は父の死を悲しむと同時に決意をしたのだ。
自分が守ると、父の代わりに自分が家族を守ると。
幼い胸に固い決意を誓ったのだった。
アグリアスは、父が体の調子が良い時に教わった僅かばかりの指南を頼りに、研鑽を積んた。それは幼い身には過酷に過ぎる物で、効率も悪く、また努力の割には内容に欠けるものであり、二年余りこれを続けた彼女はようやく、未熟ながら、今のままではダメだと感じていたのだった。
アグリアスは気分を変える為に、相変わらず寂れた王都ルザリアの街を歩きながら、如何にすれば良いかを考えていた。
強くなりたい。
アグリアスの心中を常に占めるのはそれであった。
と。
突然、南の方でわっ、という歓声が聞こえてき、アグリアスはぎょっとした。
もうここ数年余り活気も何も無いこの王都では、盗賊がやってきた程度では騒ぐものもいないという、実に病んだ状態であった。誰もが自分のことに手一杯で、隣の家が襲われたら自分達はその隙に金目の物を持って逃げる、それが当然の淀んだ世界である。
それが今突然、歓喜に満ちた大歓声が巻き起こっていたのだ。
この街の状態を知るものなら誰しも驚く。
実際アグリアスの周囲の人間も、何事かと声のほうを睨んでいる。彼らには向かってみるほどの気力も無い様であったが、アグリアスは違う。
未だ折れてはいない強い心と、子供の好奇心が故に、彼女は歓声の上がった南へと走った。

まず飛び込んできたのは、日が無いにも拘らず白く輝く長刀。
そして地面に広がる血の赤。
情緒も何もあったものではない下品な格好をした、おそらく盗賊が六人、その上に真っ赤に染まって倒れ伏している。
それを成したであろう長刀を手に下げ、黒皮のコートを身に纏い、妙な帽子、編み笠を被るその男は、しかし返り血一つ浴びず、残る八人に囲まれながら、悠然として対峙しているのである。
未だ人数で勝り、相手を囲んでいるにも拘らず、むしろ盗賊たちの方が追い詰められた顔をしている。
格が違う。
それは多少なりとも剣を嗜むアグリアスならずとも、その場にいる誰もが理解していた。
エルヴェシウス、それがこの男の名前である。
「どうした?」
渋い、良く通る声でエルヴェシウスは言った。その声には相手を挑発する明るさこそあれ、恐怖に怯える色は無い。
盗賊たちは互いに顔を見合わせながら、エルヴェシウスを怯えた目で睨む。
彼らを遠巻きに眺める人々は、治安隊すら駆けつけぬ街に現れたこの剣士に、日頃の鬱憤を晴らしてくれといわんばかりに、身を乗り出して見入っている。
「来ないのか?」
エルヴェシウスは体を捻って背後に向かって言う。編み笠に隠れて見えないが、間違いなくその顔は不敵に笑っている。
盗賊は挑発され顔に怒りを滲ませながらも踏み込むことが出来ずにいた。
エルヴェシウスは正面に向き直り、一つ深呼吸をすると、
「来ぬか!」
右足で地面をドン、と踏み鳴らして大喝した。
その一喝で均衡は破られた。
まず向かって行ったのは正面の男、奇声を上げながらの満身の力を込めた袈裟斬りがエルヴェシウスを襲う。
しかし彼は既に其処にはいない。
正面の男が踏み出した瞬間、エルヴェシウスは左足を大きく引いてクルリと反転すると、背後の男に踊りかかったのだ。
突然襲い掛かられた背後の男は成すすべなく彼に頸根を割られ、そしてその刃の勢いを殺さずにさらに反転に利用し、先ほど斬り掛かり剣で地面を叩いた正面の男の無防備な頚動脈を切断する。
更に一人目を殺した時点で斬りかかって来た、その両隣に立つ二人のうち、右側の男の腹を剣を掬い上げるようにして斬り上げ、その屍を片手で掴み、背後から襲う形になった左側の男の正面に投げつける。男は仲間に止めを刺すことになり、その間にもうエルヴェシウスはその切っ先の届く場所には居なくなっている。
気が付けば彼の背後まで接近していた男が彼に斬り掛かったが、エルヴェシウスは体を回転させて袈裟懸けに両断、バネ仕掛けの玩具の如く右前方に跳躍し、其方から袈裟懸けに斬り掛かって来ていた男の刃を、身を深く踏み込み頭上でやり過ごすと、逆薙ぎに男の腹を斬り裂いた。
その背後から体当たりの如くに突進してきた男の突きを、剣の鍔で受け止めると、刃を剣の上に滑らせるようにして踏み込み、男がはっと剣を引いた瞬間にその鉾先で正確に心臓を貫く。
先ほど仲間に止めを刺してしまった男が彼の右側から襲い掛かるも、右足を開いて更に踏み込み、屍から抜いた勢いそのままに剣を掴む両手首を斬り飛ばし、絶叫する男を尻目に一人取り残された八人目に踊りかかって真っ向唐竹割に両断したのである。
恐るべき早業。
全ての動作に無駄なく、八人全てを一連の流れで仕留めたそれは、当に剣舞というに相応しかった。
そしてアグリアスにとっては驚愕のことでもあったのだ。
ああ、真の剣技とは斯くも美しいものか、と。
手首を斬り飛ばされた男が倒れるまでに、そう時間は掛からなかった。
エルヴェシウスが懐から懐紙を取り出し、剣を拭って刀を鞘に納めると、観衆からわっ、と歓声が沸き、エルヴェシウスを取り囲む。
その中でアグリアスは一人、遠くからエルヴェシウスに見入っていた。
民衆に取り囲まれたエルヴェシウスは、彼らには特に反応を見せず、そのまま彼らを引き連れ歩き出す。
アグリアスの方へと。
意外な事にアグリアスはちょっと驚き、もしかして自分を? という考えが一瞬頭をよぎったが、まさか、と打ち消して改めてエルヴェシウスを見る。
ところがどう見ても彼女の方へ向かってきているとしか思えない。彼女のいる場所は垣根の中央であり、後ろに道があるわけではないのだ。
やがてエルヴェシウスは取り巻く人々を掻き分け、アグリアスの目の前に現れた。
突然のことに彼女は呆然として、彼を見上げた。
存外背が高いせいで下から見上げる形のアグリアスには、編み笠の下から彼の顔を見ることが出来た。
深い色の黒い瞳、全てを見通すようなその目にアグリアスは目が離せなくなった。
「儂に何か用か?」
エルヴェシウスは周囲の取り巻きが奏でる雑音を貫くような、腹に響く低い声で言った。表情は変わらなかったが、その声音は優しく、目は微笑んでいた。
だからアグリアスは言えたのだ。
「私に、剣を教えてください!!」
と。


「そうであった、そうであった。お前はあの後、強引に儂の手を引いて家まで連れて行ったのだったな。あの度胸には流石の儂も驚いたぞ」
エルヴェシウスは言いながら、カンラカンラと笑った。
「あの時は必死だったのです! 周りに人が大勢いたし、私自身切羽詰っていましたし。大体、先生が急に私の元に来たのが悪いんです! あの状況では誰でも動揺します!」
アグリアスの怒声をエルヴェシウスは相変わらずカンラカンラと笑った。


放浪者であったエルヴェシウスがアグリアスに連れられ、オークス家の屋敷へ行ってみると、治安が悪かったその当時、男手が居ないのは無用心であったために話はとんとん拍子に進み、エルヴェシウスはオークス家に客分として逗留し、アグリアスに剣を教えることになった。
独学で学んだアグリアスの剣は、最初のうちこそ酷いものであったが、筋自体は良かった為、エルヴェシウスとしても教える楽しみがあった。

彼との修行はアグリアスが王立士官アカデミーを卒業するまでの五年に渡って行われた。そして、アグリアスのアカデミー卒業の日、エルヴェシウスは放浪の旅に戻る旨を伝え、オークス家を後にしたのだった。
「世話になったな、アグリアス」
「本当に行かれるのですか、先生」
黄昏の王都ルザリアの西門、仕官服に身を包んだアグリアスは旅支度を整えたエルヴェシウスを見送りに来たが、しかし、それでも引き止めずには居られなかった。
「先生、どうか御再考を。先生にはまだまだ教えていただきたいことが山ほどあるのです」
アグリアスは頭を垂れて懇願する。
「確かに、お前はまだまだ未熟だな」
エルヴェシウスはいつものように不敵な笑みを浮かべ、憎まれ口を叩く。
「だがな、儂も少々長く居すぎた。あの屋敷は儂には居心地が良すぎる。戦場もそうだが、平穏も儂には似合わぬ。放浪の身こそ儂に相応しい」
固い意志を見せる師の言葉に、弟子は最早何も言うことが出来なかった。
ただ泣き顔を見せぬよう、歯を食いしばって耐えるのが精一杯であった。
「案ずるな。いずれ再び合間見えることもあろう。それまで息災でな」
エルヴェシウスはすっかり背の大きくなったアグリアスの頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でると、手に持った編み笠を被り、顎紐を結ぶ。
アグリアスは黙ってその様子を見ていた。その目には涙が薄っすら浮かんでいる。
エルヴェシウスは編み笠を手で持ち上げ、アグリアスに笑顔を見せると、
「また会おうぞ。我が愛弟子よ」
そう言って歩き始めた。
アグリアスは夕焼けに消えて行く師の背中が見えなくなるまで、ずっと黙礼をしていたのだった。


「あの時、本当は泣いていたんですよ。まったく酷い師匠です」
「はっはっはっは、それは悪かったな。だが言った通りであったろう?」
エルヴェシウスの言葉にアグリアスはフッと笑う。
「そうですね。こうしてまた会えました。今はそれだけで満足です」
アグリアスはエルヴェシウスの隣を歩きながら安らぎを感じていた。
隊の仲間とはまた違う、自分を守ってくれる絶対的な安心。
それは父親を亡くした後、自分が家を守るのだと背伸びをしていた時期に、突然現れた頼れる師であり、同時に父親代わりであったからだろう。
「しかし先生は今まで一体何処にいらしたのですか?」
「なに、いろいろよ。今日のお前達のように賊狩りや用心棒を生業にしてな」
「なるほど。先生なら仕事には困らなかったでしょうね。しかし先生はどちらかに味方はなされなかったのですか?前にどちらかの騎士団に所属していたのでしょう?」
「はっはっは。昔も言っただろう。儂には戦争は性に合わんのだ」
エルヴェシウスはそれだけ言うと、一寸黙り込む。
「先生?」
アグリアスが心配して彼の顔を覗き見ると、
「そう言えば風の噂では異端者と行動を共にしているそうだな?頑固で生真面目な人間だと思ったが儂の見込み違いであったかな?」
そんな今更のことを尋ねた。
「私が彼と行動を共にしているのは己の正義ゆえです」
「ほほう、悪に味方するのが正義か?」
「違います!彼は悪などではない!悪は別に居る!その存在と戦うが故に彼は異端者の烙印押されているのです!だから私は己の信念に従い彼と行動を共にしているのです!」
アグリアスは知らず声を荒げていた。
自分でもこれほどの義憤を抱えているとはと彼女自身驚いていた。
「では異端者の仲間と呼ばれる覚悟はあるのだな?それが身内を犠牲にするとしても」
エルヴェシウスはアグリアスの目を真っ直ぐ見て聞く。
「覚悟はとうに出来ています。墓前で父上と母上に謝る覚悟も」
アグリアスは表情を固くし、しかし決して目を逸らさず答えた。
「それを聞いて安心した」
エルヴェシウスはフッと、満足げに微笑んだ。
「お前に覚悟が出来ているのならそれでよい。私は最早何も聞かん。己の信じる道を行くがいいさ」
アグリアスは彼の言葉に一寸呆然としたが、すぐに彼の意図が分かって嬉しくなった。彼は自分を心配し、そして自分の決意がどれ程かを知りたかったのだ。
そして自分の決意が固いことを知り、認めてくれた。
それがアグリアスには嬉しかった。
彼は自分のことを自分以上に知っている、そんな気さえした。
しかし、実を言えばアグリアスのほうは、エルヴェシウスのことをほとんど知らない。エルヴェシウスはその口から出す言葉こそ多いが、自分を語ることはほとんど無い。修行時代も幾度と無く彼の過去を尋ねたが、いつものらりくらりと避けられたもので、アグリアスが知っていることなどほとんど皆無である。
他者を受け入れながら決して入り込ませない、高い壁を心中に持っているのだろう。
彼が何故放浪をするのか、その理由をアグリアスは知りたいと思う。しかし、彼は決して答えることは無いだろう。
アグリアスはそれだけは確信できた。
それが一抹の寂しさでもあった。
「あそこか?」
「ええ、そうです。あの宿です。少し遅くなってしまいましたね。皆が心配していなければいいのですが」
「それは心配しているだろう。お前のような頼りない奴が遅くまで帰ってこなければな」
エルヴェシウスは相変わらず憎まれ口を叩く。
全く変わってないな、とアグリアスは思う。
「何時までも子供扱いしないで下さい。私は隊内では副隊長を任される身です」
アグリアスは頬を膨らまして拗ねてみせる。エルヴェシウスの前だからこそ見せる表情だ。
「それは失礼」
知ってか知らずか、エルヴェシウスは可笑しそうに笑った。


「ご無事で何よりです、アグリアスさん」
宿に入った二人を最初に出迎えたのは、ロビーのソファーに座っていた、少女のような顔立ちの、栗毛色の髪に一房だけ飛び出した触角を持つ少年であった。
「遅くなってすまないな、ラムザ。心配を掛けさせてしまったな」
アグリアスが頭を下げると、ラムザと呼ばれた少年は手を振って、
「いえいえ、アグリアスさんの事は皆信頼してますよ」
と、笑顔で返した。
「そのように言って貰えると助かる」
アグリアスが慇懃に言うと、
(儂とは随分態度が違うものだな)
エルヴェシウスが小声でアグリアスに言う。
言われたアグリアスはちょっと顔を紅潮させぐっと歯を食いしばった。
アグリアスの後ろで意地悪げにニヤニヤしているエルヴェシウスに気付いたラムザは、其方に向き直り頭を下げる。
「仲間からお話は聞かせて頂きました。この度はご協力、本当にありがとうございました」
エルヴェシウスはラムザの挨拶に微笑みで応じる。
「おお、これはこれは。どうもご丁寧に、可愛らしいお嬢さん」
「え?」
ラムザの顔が一瞬固まる。アグリアスもまた慌てた色を顔に浮かべた。
エルヴェシウスは二人の様子に気付かぬまま言葉を続ける。
「儂はバダム・エルヴェシウスと申す者。いや驚いた。まさか貴方のような可憐な方まで・・・」
「せ、先生。違います、彼は男、それも我々の隊長です」
ようやくアグリアスはエルヴェシウスに間違いを指摘した。
「な、に・・・」
今度はエルヴェシウスが言葉を失う番であった。まさか、といわんばかりの顔である。このように驚いた師の顔をアグリアスは初めて見たものである。
「ラムザ・ベオルブです。アグリアスさん達を率いさせて頂いています」
ラムザが苦笑しながら改めて自己紹介した。
エルヴェシウスは心底驚いたような顔で、音に聞く異端者の顔をまじまじと見つめる。
「すまんラムザ! 師の非礼、深く詫びる!」
「いえいえ。たまに間違われますから、気にしませんよ。エルヴェシウスさんもどうか気になさらず」
アグリアスの謝罪をラムザは困った顔で受けて言う。
が。
「たわけ!!」
収まらなかったのは以外にもエルヴェシウス。突如大喝すると同時にラムザの胸倉をむんずと掴む。あまりに予想外の出来事にラムザは為すすべなく捕まってしまった。
「一軍の長たる者がそのような軟弱な容姿でどうする! 将は隊の鑑! 貴様が舐められ
れば其れ即ち、隊全体が舐められる事になるのだぞ! まして女子のような容姿と言われ
慣れておるだと! ええい小僧! 儂が鍛え直してくれるわ!」
そう言うとラムザを背中に担ぐようにして歩き始めたのである。
「えええええ!」
「せ、先生!?」
「問答無用!!」
訳が分からぬラムザ。
慌てるアグリアス。
そしてラムザを担いでのしのしと外へ出てゆくエルヴェシウス。
「ちょっと先生! センセー!!」
「アグリアスさーん!! 助けてー!!」
「馬鹿者! 女に助けを求めるなど男児として有るまじきこと! 恥を知れい!!」
「ラムザー!!」
ウォージリスの宿は騒がしいうちに朝を迎えるのであった。


余談であるが階段の影からこっそり覗いていた連中が居た。
「ご、豪快なおっさんだな。ラムザ、連れてかれちゃったぜ・・・」
古参の一人、ラッドは驚きを目の前で起こった出来事に驚きを隠せないでいた。
「あのアグ姐が手も足も出んとは・・・恐ろしい人物を招き入れてしまったな・・・」
それを受けるラムザの悪友ムスタディオは、新たな豪傑の登場に打ち震えていた。
「ちょっと!あのおっさん、ラムザをどうする気よ!恋敵とは聞いてたけど、ラムザに害を与えるなんて聞いてないわよ!」
二人とは論点を異とし、金切り声を上げているのが最年少でラムザを慕う少女、ラファである。
「おろおろするアグ姐もいいな・・・」
そう言うのは最古参ではあるが、どうも変態気質著しいローゼンクランツ。
「・・・なかなか渋い小父様ね」
「おいおいレーゼ。君はまさかあの人に気があるのかい?」
「まさか~。あの小父様も渋いけど、私には貴方の方が百倍素敵よ♪」
「おお、愛してるよレーゼ(はあと)」
「ベイオウーフ・・・(はあと)」
「他所でやれバカップル」
バカップルぶりを見せ付けるベイオウーフとレーゼ。
それを一刀両断したのは同じく最古参にして、堅物の名をほしいままにする、ギルデンスターンである。
「まあ、あの様子じゃ三角関係も何もあったもんじゃなさそうだな。退屈はしそうもないけど」
そう言うのは万年二軍でそろそろ負け犬気質が染み付いてきたラファの兄、マラーク。
「いやいや~、まだまだわかりませんよ~。乙女心はフ・ク・ザ・ツ。きゃ~!!」
最近天然に拍車の掛かって来たアリシアが一人盛り上がる。
「言い方はともかく、その通りよ。この先全く目が離せません」
冷静にそう返しながら誰よりも熱心に見ているのが密かにアグリアスに思いを寄せる隠れレズ、ラヴィアンである。
「何やってんのかしら、あの連中」
隊内切っての良識派で、それ故に気苦労の耐えぬメリアドールは額を手で押さえ、ため息一つ吐いて珍客の暴走を止めるべく外に向かったのだった。
閑話休題。

最終更新:2010年04月05日 22:25