~これまでのあらすじ ~

盗賊を追っていたアグリアス達の前に彼女の師匠、エルヴェシウスが現れる。
彼を父親のように慕うアグリアスは再会を喜びラムザに引き合わせる。
しかしエルヴェシウスは軟弱な容姿のラムザに激怒し、鍛えなおしてやる、とラムザを拉致したのだった。

……


「ひ、酷い目に遭った・・・」
「すまんラムザ! お前にとんだ迷惑を掛けてしまった!」
医務室でラムザの手当てをしながらアグリアスは平謝りする。
エルヴェシウスに連れ去られたラムザは、あの後、彼と素手の組み手をやらされた。
豪腕でありながら柔軟で精緻なエルヴェシウスの投げ技の数々に、小柄なラムザは為す術なく幾度も地面に叩きつけられ、その度に意識は遠のき、アグリアスと後から止めに来たメリアドールの必死の懇願が無ければ、今頃彼は無様に失神していただろう。
「いえ、勉強になりました。世界の広さを改めて思い知った思いです。居るものなのですね。隠れた名人というものは」
「そ、そうか?」
気を悪くした様子も無い師に対するラムザの心からの賛辞に、アグリアスは嬉しくも照れ臭くなり、腕に出来た擦り傷に消毒液を塗る手が少し乱暴になる。
「ッツ!」
「す、すまん、沁みてしまったか?」
「あっ・・・だ、大丈夫です」
アグリアスは思わずラムザの手を両手で握ってしまっており、彼のどもり声を不審に思い見上げたその顔が赤くなったのを見て、ようやく自分が何をしているのかを把握した。
アグリアスの顔もボッと赤くなる。
しかし何故か手を離す気にはならなかった。
(ラムザの顔がこんなに近い・・・)
ラムザも振り解きもせずにアグリアスの顔をじっと見つめた。
二人は手を繋ぎ、赤い顔で見つめ合う。
「え~と、邪魔するようで悪いんだけど~」
突然の申し訳なさそうな声に二人は文字通り飛び上がり、急いで飛び離れると、それが発された方向に、首がもげんばかりの勢いで振り向いた。
声を掛けたメリアドールは二人のその行動にビクッと驚く。
「あ、いや、その、大した用事じゃないのよ、ホント。ただね、この宿屋ってウチで殆ど貸しきってるじゃない? それで他の部屋も埋まっちゃっててエルヴェシウスさんの泊まる部屋が無いのよ。だからどうしようかな~と思ったの。それだけ」
誰に対する言い訳か、メリアドールはたどたどしく説明した。
「あ、ああ、そうですか。でしたら僕がムスタディオ達の所に泊まりますから」
「そ、そうか、す、すまんなラムザ。メリアドールも迷惑を掛ける」
「い、いいのよ。これくらい」
「「「はっはっはっは」」」
三者三様、お互い心臓をバクバクと言わせながら、乾いた声で笑いあったのだった。

医務室から出た三人は、そろそろ朝食の時間であるのを思い出し、微妙にギクシャクしたまま食堂に向かったのだった。
『そうさな、あれはあやつが十四の頃であったかな・・・』
「?」
途上、食堂からする声にラムザとメリアドールは違和感を憶えた。
いつもなら時間を問わず食事時は騒々しい面々が揃ったこの隊で、今日はたった一人、それもあまり聞き覚えの無い声のみがしたのだ。
「あら?どうしたの、アグリアス?」
その時メリアドールはアグリアスの顔が真っ青になっているのに気がつく。
「ま、まさか」
アグリアスはわななき、二人を残して食堂へと走って行った。

「部屋でくつろいでいるとあやつが青ざめた顔でやって来て言うたのよ。『先生、私は死んでしまうのでしょうか』とな。突然何を言い出すのかと思い理由を尋ねると『その、先程お手洗に行ったのですが、その時に血が・・・・・・、血が出たのです・・・・・・!』と言うたわけよ。だから儂はこう言ってやった。『アグリアス、それはお前の日頃の行いが悪いからだ。お前の行状を見かねた神々が罰を与えたのよ。直したくば行状を改める事だな』とな。するとあやつはしばらく俯いて考え込み『どうすればいいのですか?』と聞いてきおった。だから儂はこう言った。『毎日侍女達と共に屋敷の掃除をせよ』とな。その日から屋敷には侍女と混じり同じ格好で掃除するあやつの姿があったわけよ。一年ほど続いていたが、ある日怒鳴り込んで来おったわ。アカデミーの保健の授業で習ったと言うてな。あれ以来であったな、あまり神秘を信じぬようになったのは・・・」
エルヴェシウスはしみじみとそう言った。
話を聞く一同は鬼副長の昔話もさることながら、悪びれた様子もない彼のその態度も面白く、肩震わせ必死に声を殺して笑う。
「先生ぇええ!!」
其処にアグリアスが怒鳴り込んで来た。
「おお、アグリアス。遅かったな」
「先生! 何を話したのです!? 皆に何を話したのですか!!」
アグリアスは掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。
「何、ちょっとした昔話よ。お前の初潮の・・・」
「いやぁあああ!!何を話してるんですか!!」
「おおおお、よせアグリアス!首がもげてしまう!」
怒りのあまりアグリアスはエルヴェシウスの胸倉を掴んでガクガクと揺さぶった。
「他には!? 他には何を話したのですか!!」
「いや、まだこれだけだ。今からお前が十五の時に最後のおね・・・・・・」
「しなくていい!!しなくていいですよそんな話!!」
「うおおおおお、よせアグリアス!首が、首が!!」
遅れてやってきたラムザとメリアドールが見たのは師弟のそんな様子と、食卓に突っ伏して声を殺して笑う一同という、一種異様な光景であった。

そんな騒動の後、山賊退治に出た夜勤組は各々の部屋に休息を取りに戻った。アグリアスとラムザとメリアドールの三人は静かになった食堂でお茶を飲んでいた。
「先生も休んではいかがです?」
アグリアスがそう問うと、
「お前達に出会う前に既に休息は取っておる。でなくば流石の儂も夜道を行きはせんさ」
それを聞いても尚、アグリアスは心配そうな顔を浮かべるので、エルヴェシウスはその意味を看破すると、
「心配せずともお前が寝ている間に出て行きはせぬ。とっとと寝ろ」
と笑い、ウォージリスの街に出て行ったのだった。
「それにしても色々凄い、なんというか豪快な先生ですね」
「無理しなくても変人といってくれていいぞ」
ラムザは苦笑してアグリアスの言葉を聞いた。
「昔からああいう人だ。本気なのかふざけているのか分からない、何を考えているか分からん人だ。付き合うこっちは振り回されてばかりだ」
「あら、でも退屈はしないでしょう?あんな人が身近にいると」
ガックリと肩を落として言う彼女にメリアドールがクスクス笑って言う。
「まあ、退屈はしないさ、確かにな」
苦笑しながらため息を吐く。しかし決して心底から嫌がっているわけではないのだ。
「そう言えば伯はまだ戻られぬのか?是非お引合せしたいのだが・・・?」
「そうですね。今日ぐらいにお戻りになると仰ってましたけど」
伯というのは元南天騎士団長にして『雷神シド』と謳われた剣聖、シドルファス・オルランドゥ伯のことである。
現在、オルランドゥはラムザ達と行動を共にしているが、公的には故人である。それでなくとも『雷神シド』は泣く子も黙るといわれる英雄だ。
故に今は変名を用いて素性を伏せている。
そんな彼が大手を振って街を出歩けるはずも無く、殆どが拠点となる宿に篭りっきりになるのだ。
唯一、このウォージリスの地に来た際にバクロス海に浮かぶディープダンジョンに潜り、心身を鍛えるのがオルランドゥの数少ない楽しみであった。
生半可な腕では徒党を組んでも生きて戻る事さえ出来ぬと言われるディープダンジョン。其処に単身潜っての修行は、万夫不当と謳われる彼ならではと言える。
「まあエルヴェシウスさんに暫く逗留いただければ、遅かれ早かれお引合せできるでしょう。その時が楽しみですね」
「そうね。達人同士、どんな事を話されるのかしら」
「いや、先生はあれでも血気盛んでいらっしゃるから、直ぐに木剣持って『いざ勝負!』と言いかねんな」
三人は二人が対面した時を想像し、笑い合った。

それからラムザは真面目な顔になり二人に語りかける。
「そうそう。山賊の件なんですが、やっと情報が入りましたよ」
アグリアスとメリアドールも頭を切り替えて表情を引き締める。
「どうやら永世救心教が一枚噛んでいるらしいんです」
「それは本当か!」
「ええ、間違いないわ。私とヴィンセントが直接調べてきたんだから」
メリアドールは自信を持ってそう応えた。

話はこうだ。
交易都市であるウォージリスには商人が引っ切り無しに訪れるが、それを狙う山賊もまた多い。
しかしウォージリスの商人ギルドはそれにしても最近は襲撃が増えたと言う。しかも小物は襲わず、狙いすましたように大商人ばかりを襲うのだ。
幸いにしてこの辺りで最も巨大と言われた山賊団は、昨晩アグリアスらが殲滅した。しかし未だ山賊たちが街道筋に根を張っているのはまず間違いないだろう。
ではなぜ山賊たちが増え、そして狙いすましたように大商人ばかりを襲うのか。
簡単なこと、商人の情報を売る何者かがいるのだ。
情報がある場所には山賊が集まり、情報があれば小物は狙わず大物だけを狙う。メリアドールの調べによればその情報を売っているのが永世救心教だというのだ。
戦乱によって人々の心が荒んできた際には新興宗教が興りやすい。人々が現状から救い出してくれる新たな救いを求めるからだ。
永世救心教は城砦都市ヤードーに総本山を置く、五十年戦争、獅子戦争と相次ぐ戦乱の中で生まれた宗教の一つである。

「永世救心教といえば最近活発な新興宗教だろう?何故そのようなことを?」
「これよ」
アグリアスの問いにメリアドールは指で輪を作って示した。
「救心教は宗教なんて名ばかりで守銭奴の集まりよ。信者には献金を求め商人には祈祷の押し売り。道行く人に不吉な相があると言っては入信を迫り信者を増やす、やってる事は詐欺同然。神への冒涜だわ」
いまでこそ異端者ラムザと行動を共にしているが、かつては敬虔なグレバドス教徒であり神殿騎士として教会に忠誠を誓い、いまなお神への信仰そのものは揺らいでいないメリアドールは少々憤慨して言う。
説明を受けアグリアスは腕を組み、うーんと唸った。
「なるほど、そのような下地があれば確かに疑わしいな。それで詳細は?」
「救心教は信者を増やすため、そして資金を得るために祈祷を拒んだ商人の情報を流しているようなの。山賊に襲われた商人は祈祷をしなかったからだと風潮してね。教団に潜入しているヴィンセントの報告によると、今回襲われた商人も救心教徒ではなく、また取引相手が祈祷を拒んだためだと司祭が言っていたらしいわ」
「情報代に拒んだ商人への嫌がらせ、そして教団に対する信仰の増幅、か。これだけ出揃えばまず間違いないな」
「そうですね。ではとりあえず商人ギルドに報告しましょう。メリアドールさんお願いします」
メリアドールは頷いて立ち上がろうとしたその時、窓をコンコンと叩く音がした。
「ヴィンセントの伝書鳩!」
メリアドールは窓を開けて鳩を抱き上げると、足に括り付けられた手紙を解いて読む。その顔が少し驚きの色を帯びる。
「どうした? ヴィンセントはなんだと言っている?」
アグリアスが尋ねるとメリアドールは戸惑った顔をして答えた。
「‘変人来訪大立回り’だって・・・」
三人の頭には一人の男しか思い浮かばなかった。


三人がチョコボに乗って永世救心教のウォージリス支部に急行すると、入り口でローブを被った男が出迎えた。
いつか画家となることを夢見る異端者一行の軍師、ヴィンセントである。
「僕も状況がよく分からないんだが、妙な帽子を被った男が突然やって来て『お前がここの頭か』と声高に聞いたんだ。司祭が、まあ遠まわしに『そうだ』と言う意味のことを答えると、いきなり演説台ごと真っ二つ!あとは信徒相手に一人で大立ち回りだよ。まあ強いの何の」
ヴィンセントが興奮したように説明する間、三人はどうしたものかと苦笑いを浮かべる。
「あれ?ひょっとして君達何か知ってる?」
素早く空気を察したヴィンセントの問いにアグリアスは、
「私の剣の師匠だ」
と力なく答えた。
四人が中に入ってみると、内部はちょっとした地獄絵図だった。
其処彼処で信者達が気絶し、いつもはきちんと並んでいるだろう公聴用の長椅子はメチャクチャに乱れ、その上下で信徒達が苦悶している。
奥にある演説台も真っ二つに割れて血に濡れており、背後に立つ教団の象徴である奇妙な十字架だけが変わらず健在であった。
「そこの男はお前達の仲間であったか」
背後から突然声がして四人は心臓が飛び出さんばかりに驚いた。
振り向くとそこにいたのはやはりその男。入り口の扉の陰で腕を組んで寄りかかって笑っている。
「安心せい。司祭以外は死んではおらん」
「先生、これはどういうことですか?
アグリアスの問いにエルヴェシウスは懐から何かを取り出して彼女に投げ寄越した。
「これは・・・あの十字架?」
それは救心教の象徴となる奇妙な十字架の首飾りであった。
「儂は永世救心教の教主に依頼されてここウォージリスに来たのだ」


永世救心教は必ずしもメリアドールが語っていたような守銭奴の集団ではない。その興りは純粋に人々の救済を願うものであったのだ。
しかし、その規模が大きくなるにつれて様々な教徒たちが増え、教団の力を利用し私腹を肥やそうとする者が現れ始めたのである。ウォージリス支部を治めていた司祭はその中でも最も悪質な輩だったのだ。
教主はなんとかこれを止めようとしたが、遠くヤードーからでは目が行き届かない。そうこうするうちに支部はどんどん暴走し始める。
これを憂いた教主はやむなく強硬手段に打って出たのだ。
「経典を悪質な手段に用いる者に対する見せしめ。それがこの儂というわけだ」
宿に戻った一同は、エルヴェシウスの話を黙って聞いていた。
商人ギルドにはヴィンセントが報告に赴いている。あとは捕らえた信徒から芋蔓式に山賊達まで辿り着くだろう。
「ともあれ完璧とは言わんが、これで山賊は減るだろう。救心教の信仰は揺らぐだろうがな」
「エルヴェシウスさんは救心教の信徒なのですか?」
ラムザがそう尋ねるとエルヴェシウスは苦笑する。
「いや、違う」
「それでは何故救心教に力を?」
メリアドールの問いに暫く考え込んでこう言った。
「一宿一飯の恩義。強いて言えばそれだ。放浪する最中に立ち寄った永世救心教総本山は、何処の誰とも知れぬこの儂にも礼を尽くして受け入れてくれた。その恩に報いたまで。いや」
エルヴェシウスはそう言いながらまた暫し考え、
「あるいは剣を振う場所を探しているだけかも知れぬな」
そう言って自嘲した。
しばらく場が静寂に包まれる。
「いかんいかん、湿っぽくなってしまった。どうもこういう雰囲気は苦手でな」
エルヴェシウスは後頭部を掻きながら照れくさそうに笑った。その仕草がなんとも子供っぽく、一同はクスリと微笑んだ。
「おや、客人かな」
食堂の入り口から声が掛かったのはその時だった。
皆が声の方を向くと、初老の男性が頭から被った渋柿色のローブを脱ごうとしていた。
初老とはいえ背筋も真っ直ぐに伸びて体つきも若き頃の逞しさを失っておらず、腰に下げる荘厳さを醸し出している騎士剣を振う腕前が並々ならぬものであることを如実に示している。
この人物が先に述べたオルランドゥである。
「あっ、お帰りですか伯」
「うむ。すまぬなラムザ、毎度毎度勝手をして。皆にも迷惑を掛けるの」
オルランドゥはそう言って申し訳なさげに笑う。
「気になさることではないでしょう。伯には日ごろからお世話になっているし、あまりに頼りっきりでは申し訳ありませんわ」
「そう言って貰えると肩の荷が下りるよメリアドール。ところで其方の御仁は・・・・・・?」
「はい、こちらは私の剣の師です」
アグリアスは先生、とエルヴェシウスに呼びかけてギョッ、とした。
一瞬彼の顔が能面のごとく無表情で、なおかつ不気味な色を帯びていたからだ。
オルランドゥはエルヴェシウスが一瞬見せた不穏な気配には気付かなかったらしく、ほう、と一つ頷いて彼に一礼する。
「これは挨拶が遅れて申し訳ない。儂はシドルファス・オルランドゥ。以後お見知り置きを」
ラムザ等の態度に加えアグリアスの剣の師と聞き気を許したらしく、オルランドゥは変名を用いずに名乗った。
「これはご丁寧に。儂はバダム・エルヴェシウスと申す者。こちらこそ良しなに」
エルヴェシウスは先ほどの気配は毛ほども見せずにオルランドゥの挨拶に応じた。
「いや、しかし驚き申した。風の噂ではオルランドゥ殿はお亡くなりになったと聞いて居り申したが、まさかに幽霊というわけでもございますまい?」
エルヴェシウスの軽口にオルランドゥはプッ、と噴出す。
「色々と事情がござってな。その辺りの事は後々お話するとして、アグリアス殿の剣の師と聞いては儂も剣士の端くれ、是非ともご一緒に剣談に華を咲かせたいものですな」
「さてさて、剣聖をご満足させることが出来ましょうかな」
二人は互いに笑い合い、それを見てラムザとメリアドールも笑う。
ただ一人アグリアスのみが硬い顔をしている。
師が僅かに除かせた殺気とも言える気配が彼女の心に影を差していた。


「では参り申す」
「お手柔らかに」
二人の剣豪が十歩を間に置き対峙する。
得物こそ木刀であるが、息苦しくなるほどに張り詰めた空気は真剣勝負のそれである。見守る一同も息を呑んで二人の動向を見守っていた。
オルランドゥとエルヴェシウスの剣談は大いに盛り上がり、互いの剣の精妙や極意といった物を惜し気もなく披露し合ったのだ。傍で聞いているラムザ、アグリアス、メリアドールの三人も稀代の剣豪が語る剣談に聞き入っていたものである。
そうして話に華を咲かせるうちにエルヴェシウスの、
「オルランドゥ殿。貴殿ほどの剣士と出会うという幸運はこの先二度とありますまい。宜しければ木剣取って一手ご指南戴きたいのですがいかがでござろう?」
という頼みにオルランドゥは気軽に応じ、現在に至るのである。
生きた伝説である雷神シドと、鬼副長アグリアスの師匠という、なんとも興味深い立合いに、それぞれ思い思いにその日を過ごしていた他の面々も、誰からともなく集まり、いまや隊の全員が二人を囲んでいるのである。
オルランドゥは左半身を前に出して顔の横で剣を直立させる、所謂八双の構え、対するエルヴェシウスは姿勢は同じく左半身を前にし、剣の切っ先を後ろに向け刀身を隠すようにする、脇構えである。
じりっ、とオルランドゥが摺り足に間を詰める。
エルヴェシウスは動かない。
じりっじりっと二人の間が縮まり、四歩の間にオルランドゥが足を踏み入れた、その刹那、エルヴェシウスは体躯を地に沈ませるように疾駆して一瞬で間を殺す。
オルランドゥは大きく踏み出し、弾丸の如く迫る相手に袈裟懸けの一撃を見舞い、対するエルヴェシウスは石火の切上げでそれに応じる。
かあん、と木剣同士が響き合い、その後にからんからんと乾いた音がこだました。
「見事」
そう口にしたのはオルランドゥだ。
その手に木剣は握られていない。
「貴殿も、流石でござる」
それはエルヴェシウスも同じであった。
両者の必殺の一撃は全くの互角、そして卓越した技量の持ち主同士であるが故に、互いの剣を跳ね飛ばしたのである。
見守っていた一同は空気が弛緩したのを感じ、ため息をついて力を抜いた。
全員が呼吸を忘れるほどに緊張を強いられたのである。
「ふうむ、いやはや驚いた。よもやこれほどの腕とは。いや少々侮っていたようだ。許されい」
「はっはっは、貴殿にそう言って貰えると儂も自信が付くというものでござる」
「そう言って戴けるとありがたい。いや良い手合わせであった。礼を申しますぞ」
二人の剣豪は豪快に笑いあう。それは非常に朗らかで、聞いているほうも明るくなるような笑い声であり、皆も釣られて笑いあったものである。
「いやぁ、イイモン見せてもらったぜ。すげえもんだな達人同士の勝負ってのは」
「ああ。しかしまさか伯とタメ張れる人間が居るなんてな。世の中広いぜ」
「放浪の名人。格好いい響きですね」
「たった一合見ただけで僕たちとはレベルが違うのがわかったよ。僕もまだまだだな~」
「ラムザ、君も大変だな」
「? 何がですか?」
「なにしろアレと比べられるんだろうからなぁ」
「あー、確かに大変かもですね~」
「え? え?」
興奮冷めやらず皆が談笑している中、輪を離れて二人の剣豪を、否エルヴェシウスを見つめる者が居た。
一人はアグリアス、そしてもう一人はメリアドールである。
アグリアスは不安げな顔で、メリアドールは険しい顔で、オルランドゥと健闘を称え合うエルヴェシウスを見つめていた。


その夜、アグリアスは何とは無しに目を覚ました。
時刻は深夜、このまま起きても何もすることは無かったが、しかしもう一度眠るには少々目が冴え過ぎていた。
(体でも動かすか)
アグリアスはそう思い立ち、両脇のベッドで眠るアリシア、ラヴィアンの二人を起こさぬように稽古着に着替えると、剣立てから木剣を取って部屋を後にした。
「寒っ・・・」
宿の裏庭に出たアグリアスを夜風が襲う。秋半ばにも拘らず、もう冬の到来を思わせる寒風である。
「夜稽古か? 感心だな」
何処からか声が掛かる。
「ええ、今日は先生においしいところを取られてしまいましたから」
アグリアスはなんとなく声の主が居る様な気がしていたので驚かなかった。
「それは悪いことをした」
エルヴェシウスは笑って応じた。
「折角だ。久しぶりに稽古を付けてやろう」
エルヴェシウスは長刀を鞘ぐるみ抜くと正眼に構え、アグリアスもそれに応じて同じく構える。
雲間から覗く半月が二人を照らし、やがて再び雲に隠れたその刹那、アグリアスはエルヴェシウスの鞘をパンッと鳴らして弾き、
「ぃやあああああああ」
鋭い気合を発して斬り込んだ。

気が付くと目の前一杯に暗い夜空が広がっていた。
濃い雲に覆われ星一つない暗い空。
「明日は雨だな」
アグリアスはガバッっと上体を起き上がらせ、
「ッツ!」
途端に響いた鈍い頭痛に苦悶した。
「無理をするな。鞘とはいえ儂の剣をまともに喰らったのだ。しばらくは痛みが抜けぬだろう」
エルヴェシウスはアグリアスに背を向け、夜空を見上げて佇立していた。
なんだ、私は負けたのか。
アグリアスはそう思いながら、一方で当然のことだと可笑しくなった。
相手は自分の倍近い年月を剣に生きた剣豪なのだ。
エルヴェシウスはアグリアスの笑い声を聞いたのか、振り返って微笑んだ。
「すまんな。手加減ができなかった」
「笑いながら言うことじゃないですよ」
瘤になった患部に手を当てながらアグリアスはわざと不貞腐れた顔を作って言う。
「うれしいのよ。儂が手加減できぬほどに成長したのかと思うてな」
「成長しましたか?」
「うむ。見事であったぞ。頸根に刃風を感じたときには久しぶりに背筋が冷とうなったわ」
師の絶賛にアグリアスは照れ隠しに頭を掻く。
「この分なら儂も安心して発てるというものだ」
「先生! 行ってしまわれるのですか!?」
アグリアスは驚いてエルヴェシウスの顔を覗き込む。
その顔は僅かに悲しげで、見ているほうがどこか切なくなる微笑を浮かべていた。
「前にも言った通りこの地に来たのは永世求心教に義理を立ててのことだ。その義理を果した今は特に目的は無い。儂はまた流浪に戻らねばならぬ」
「何故ですか? 私達と一緒に居れば良いじゃないですか」
「それは出来ぬ、出来ぬのだ・・・・・・」
「どうして・・・・・・」
しかしそれ以上は言えなかった。
エルヴェシウスが見せた拒否の色が余りに堅かったからである。
「なに、今日明日ということではない。もう二、三日は厄介になる」
エルヴェシウスは悲しげにうな垂れる愛弟子に優しく微笑みかける。
「さ、もう遅い。子供は寝る時間だぞ」
そして今度は意地悪げな顔で笑って言った。表情の豊富な人だとアグリアスは思う。
「もう大人です」
「子供よ」
若干の憤慨を見せたアグリアスにエルヴェシウスが間髪居れずに応じる。
「儂にとっては幾つになってもな」
非常に優しい声。
まるで本当の・・・・・・。
「? 先生、何処に行かれるのです?」
突然歩き出したエルヴェシウスに、アグリアスは思考を戻して声を掛ける。
「もう少し汗を掻いてくる」
エルヴェシウスは振り向かずに言う。その背中にアグリアスは踏み込めぬ何かを感じた。
そしてそれは一度は押し込めた黒い物を呼び起こした。
「先生!」
背中を向けたその足が止まる。
「先生とオルランドゥ伯との間には、何が」
「お前は知らんでよい」
アグリアスの言葉を掻き消す様に、エルヴェシウスは一瞬声を荒げる。その強い調子にアグリアスは一瞬身をすくめた。
「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
アグリアスはエルヴェシウスの背中に頭を下げて、宿へと足を向けた。
「アグリアス」
背中越しにエルヴェシウスは呼びかける。
「瘤は良く冷やせよ」
その言葉にアグリアスはくすりと笑うと、はい、と応じて宿の中に入っていった。エルヴェシウスその背中が見えなくなるまで、彼女を悲しげに見守っていた。
翌日エルヴェシウスは戻らず、そして更に次の日になっても姿を見せることはなかった。


最終更新:2010年04月05日 22:27