• 七月の夜-

いつ終わるとも分からない戦いの日々。
とはいえ、戦士たちにも安らぎのひと時は必要だ。
明日からは今後の砂漠越えに備え、物資の補給と皆の骨休めを兼ねての久々の休息だ。

ふと訪れる幾ばくかの静寂。
私はこの喧騒けたたましい日々の隙間に入り込む、静かな一時が何よりも怖い。

大きな町だが砂漠の入り口ともなれば夜は静かだ。
つい色々なことを考えてしまう。
剣を振っている間は何も考えずに済むが、宵闇はそれを許さない。



……

何を間違ったのか。
何がいけなかったのか。
あの時なぜ私はオヴェリア様を守りきれなかったのか。

かつてオーボンヌ修道院でオヴェリア様を連れ去られる失態があったばかりか、
ドラクロワ枢機卿の裏切りにあった時も何もできなかった。

囚われた私は必死で逃げた。
見たこともないおぞましい器具と、人を人とも思わない兵士たちの顔。
命の危機に瀕して私はただひたすらに逃げた……

今思えば死を覚悟してでもライオネル城に留まり、忠義を全うすべきだったのではないか?
もしかしたら二人で逃げ出すことも可能だったのではないか?

あまつさえ私自身が罠の餌として、良いように動かされていたと知ったゴルゴラルダでの衝撃。
死んでも忘れないだろう。

「無力」

この言葉が見えない錘(おもり)となり、気付かぬうちに思考を闇に引き込む。
近頃の私の心は沈んだまま浮いてくるそぶりも見せない。

皆に疎まれているのではないかとさえ思えてくる。




夕暮れ時。

宿の外からは笑い声が聞こえる。
買い物を終えてきたムスタディオの軽口に皆の口元が緩む。
私もあんな風に笑えたらと思う。

いつからこう弱気になったものか……

何気なく見やった窓の外。
仲間たちが集まる中、ラムザの姿が見えないことに気がついた。

どこにいるのだろう。

忙しいのは分かっているが、こういう時はいつも皆の中心にいるはずだ。

……。

普段なら気にしないような事だが、まあいい……気分転換にラムザを探してみることにした。
何とはなしに宿の中を歩き回る。



歩いてみればこれが以外と楽しい。
意識してゆっくりと歩いてゆく。
何かしている間は気も紛れる。

宿の中には今夜の食事に出るであろう豆のスープと、鳥か何かをローストしたような香ばしい匂いが漂っていた。
誰が描いたものか分からない風景画や、古ぼけたアンティーク時計も目を楽しませてくれる。

そうこうしているうちにドアが開け放たれた一室の奥。
窓辺に寄りかかり、うたた寝をしているラムザを見つけた。

吸い寄せられるように足が部屋の中へと引き寄せられ、私はラムザを起こさないように傍の椅子に静かに腰をかけた。

特に何をするわけでもなく彼の寝顔を見る。
まだまだ子供だと密かに思っていたが、あらためて見るとどうしてなかなか、逞しい顔つきをしている。
剣を携えたままなのも感心するところだ。




「ん……」

起こしてしまったようだ。
少し申し訳ない気持ちになった。

「……アグリアスさん?」
「姿が見えなかったので探していたのだ」
「……」

私を見る眼が一瞬だけ濁っていた。

「そうですか……一息ついてたらついウトウトしてしまって」

疲れているのか、ラムザの瞳に影が落ちている。

「……ひどい……夢を見ました」
「夢……?」
「はい、でも大したことではありませんから」

大したこと無い?
心配されているとでも思ったのだろうか?

「そろそろ夕食の時間ですね、行きましょう」
「そうだな……良い香りがしてきたところだ。皆を集めよう」

立ち上がった彼の眼はいつも通りだった。

だが気になる。
たかだか夢のことで私がお前の心配をするとでも思ったのか。
お前は私より……ずっと強い人間だ。




……

夕食はいつもどおりだった。
変わったところといえば野宿と違う豪華な食事内容くらいだろうか。

戦績を誇る者、戦利品を語る者、色恋話に花を咲かせる者。
大勢での賑やかな食事がやがて来る夜の静けさを引き立てる。

憂鬱だ。

一人、また一人と食事を終えた者から自室に戻って行く。
ラムザは最後の一人になるまでミルクをちびちびと飲んでいたが、程なくして寝室へ戻ったようだ。

それを見計らって話しでもしに行こうかと思っていたところ、以外にもラムザのほうから私の部屋を訪ねてきた。

願ってもない。
何もすることが無いのだから。

二人でゆっくりと話す機会も無くはない。

しかしラムザがこういった形で私を誘うのは珍しい。

コップに水を汲み、窓辺の椅子に腰掛けたラムザへ差し出す。




渡したコップを受け取りながらラムザの口が開く。

「……アグリアスさんは僕をどう思いますか?」

これはまた突然だ。
だが愛の告白では無さそうだ。

「信頼できるリーダー」

努めて冷静に答えた。
嘘を言っているつもりも無い。

「信頼……」
「そうだ。皆お前の考えに共感し、人柄に惹かれ、強さを頼っている」
「強い?僕がですか」
「当然だろう。たとえ一人だったとしても、お前は強大な権力や邪悪な存在に立ち向かうはずだ」

ここまでは誰でも思うことかもしれない。
ただ、私にはもう少しだけお前について行く理由があるかもしれないが。

「一人だったら、もしアルマを助けるという目的が無かったら……僕は何もしなかったと思います」
「お前には信念があり、仲間を集めるという選択肢があり、それを実行する力がある。今日の我々があるのは必然だと思うが?」
「……いえ、本当に一人だったなら戦う理由がありません。
 ガフガリオンの言葉どおり、僕にしかできないことをやるために兄の片腕となって権力を手にしていたはずです。
 そうやってしか救うことができない人達がいる事も否定できない」



何が言いたい。
戦うのが嫌になったのか。
こんな話は他の者の前では絶対にできない。

「……なぜ今こんな話をしようと思った?」
「……」

不信感とまでは行かないが、意外すぎる。

「アグリアスさんは僕に利用されていると感じたことは無いですか」
「何を今更。それはこちらの台詞だ」
「……利用されていないと?」
「そうだ。受けた恩を返しつつ、オヴェリア様の脅威となるものを討つ。
 そこに私とお前の目的の重なるところがあり、協力し合うのは当然のこと。
 信頼できるものを助け、そして助けられる今の関係は「利用する者とされる者」とは違う」
「……」

口では簡単に言えるがこの関係を築くのは難しい。
ラムザも本当は分かっているはずなのだ。
私達が今こうしてひとつの目的のために集い、旅を続けることの意味を。




しかしどうしたものか。
いまいち確証が得られないという顔をしている。

「大丈夫か?……夕暮れ時から様子が変だったが」
「夕暮れ時……夢を見て、目覚めたあたり……」

そうだ、夢を見たといっていた。

「どんな夢だったのだ?」
「確か……アルマが……」
「……」
「そう……何もできずにアルマが……死んでいくんです……」

人事だからたかが夢だと思えるが、私もオヴェリア様が死ぬ夢を見たら動揺くらいはするだろう。

「何もできずに、アルマが目の前で弓に撃たれ……そこにいた僕を……」

なんとも言えない眼で私を見てこういった。

「アグリアスさんが、そこにいた僕を見て…」

……。

「お前もか。と言ったんです」


言葉が見つからない。
ラムザは完全に自分を見失っている。

「いま思えば、親友の妹を死なせ、そして親友を失い……妹までも奪われるなんて……どうかしている」
「それはお前のせいではないぞッ!」

つい声を荒げてしまった。
だが泣き出しそうな眼で私を見つめるラムザは力なく続ける。

「本当にそうなのか、誰にも分からない……分かりませんよ。
 一つだけ分かっているのは失ってしまったという事実だけ。
 手の届く場所にいた大事な人達すら守れない僕が……得体の知れない存在と戦い抜くことなんてできるんでしょうか。
 恐ろしい力の前に、なすすべも無いかもしれない!
 アルマを助けることより自分の命を優先してしまうかもしれない……ッ!」

胸が締め付けられる。
それはまさしく私を責め続ける過去の亡霊と同じ。

オヴェリア様を助けられなかった。
その事実だけが私をいつまでも苦しめる。
誰にも進んでは言いだしえない生涯の汚点。




「現実じゃないのは分かっていても、保身を選んだ僕を見てアグリアスさんは僕を汚い権力者達と同じだと、
 人の上に立ち、人を利用する者の血が流れている……
 そう僕に言ったんだと思うと、怖くて……怖くて……」

金の髪を両手で覆いうずくまるラムザ。
嗚咽をもらし、今にも消えてしまいそうだ。

「どうすれば……、何をすれば……取り戻せるんですか……」

涙があふれてきた。
ラムザの痛みが手に取るようにわかる。

私だけではなかったのだ。
この許されたいという気持ち。


だが誰に願う?

誰が答えてくれる?


死ぬまで引きずるのだろう。
この鎖の先に括られた、殺してしまいたい過去の自分。

だがそれは必要な事。
忘れてはならない記憶。

受け止めなくてはならないのだ。



ラムザ。
私の前で本当の自分を見せてくれた事に感謝する。
お前のおかげで今、私が生きて行く上でひとつの答えが見つかった。

お前を助けたい。
力になってあげたい。

一人ではつらいことも支えあえば受け止められるかもしれない。
そして今、お前にこそ私を支えてくれる人であってほしいと思う。

多くの感情が一気に引き出され、少しだけ前へ進めたような気がした。


時間にすれば二分ほどの静寂。


私だけがこの気持ちにわずかなケリをつけ、パン一枚分ほど心が軽くなったことに少しだけ申し訳ないと思った。

涙をぬぐい、気づかれないように軽く笑う。
この頭を抱えている青年にどんな回復魔法をかけてやろうか。

いや……することは決まっていたのだ。



「……ラムザ」

私は呼びかけ、首を上げたラムザに間髪いれず唇を重ねた。

「ッ……!」

驚いたからだろうか、ラムザは呼吸をとめている。
自分でも大胆だと思うがやってしまったものはしょうがない。

できれば顔が離れたとき眼を瞑っていて欲しいものだ。

唇が離れ……私の呼吸につられる様にラムザが小さく息を吐いた。

「アグリアス……さん……?」

まだお互いの表情が認識できるほど顔は離れてはいない。

「これで……良いか?」
「な、何を……」
「皆を……私を……信じてくれるか?」

今からお前の悩みは私の悩み、そして私の悩みはお前の悩み。



「自分を信じられる理由が欲しかったのか、この軟弱者……。
 理由なんかより……信じられる何かというものを先にくれてやる」

あらためてラムザの顔を見つめなおす。
ワインでも飲んだみたいに真っ赤になり、口をパクパクさせている。

ラムザが腰掛けた窓辺の黒い木製の椅子。
二人で座るには小ぶりだが、寄りかかるようにして半分だけ座らせてもらう。

「きっと夢の中の私は、同じ心の痛みを持つ者を見つけたんだ」
「……?」
「夢の中の私が「お前もか」といった理由……私には分かるぞ。
 それに、お前だけが悩みを打ち明けるのはずるい。
 今度は私がお前に話をする番だ……」

椅子の小ささが窮屈だがもう少しこうしていたい。

幸いにも嫌いな筈だった夜はまだまだ長い。
ゆっくりと話そうと思う。

楽しい話ではないが、今ここで話しておきたいのだ。


fin
最終更新:2012年01月02日 19:20