周倉


周倉(しゅうそう)
字は不明

三国志演義の架空人物とされる。
黄巾の乱に参加していたが、後に裴元紹と共に山賊をしていた。
そこへ、曹操の元から劉備のところへ向かう関羽と出会い、付き従うようになった。

関羽と魯粛との会談では、その従者として参加する。
孫権側は関羽を闇討ちしようと企んでいたが、周倉の合図によって味方の水軍を呼ぶ。
関羽は魯粛を人質に取り、闇討ちを阻止。無事に帰還した。

荊州戦での周倉は、濁流からの脱出を図る龐徳の船に自分の船をぶつけて転覆させ、得意の水泳で龐徳を捕縛した。
ところが、その後孫権と曹操が同盟。
戦局は不利になり、関羽と共に麦城に籠城する。
関羽が成都に救援に向かう時には、周倉は麦城の守備に就いていたが、その関羽は途中で呉軍に捕えられ処刑される。
城を包囲する孫権軍から関羽達の首を見せられた周倉は、城壁から飛び降りて自殺したのだった。
最終更新:2010年02月13日 15:28