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/In the Daybreak


 明くる日の新聞の一面を飾ったのは新都における建築途中のビルの炎上騒ぎだった。

 真実は隠蔽され璃正神父の総括の元、聖堂教会のスタッフが総出で関係各社に働きかけを行い、事実は歪曲されて世に出る事となった。責任の一手は管理会社に押し付けられ、今頃彼らは針の筵の気分であろう。

 魔術師とはいえ市井の只中に身を置き、しかも土地の管理を任された遠坂家にあっては新聞の一つも購読している。
 世俗の情報を取り入れる上で新聞は然程に有益な働きをし、近年ではおよそ一般家庭に普及したテレビを全く見ない時臣にとっては唯一の情報源だったとも言える。

 彼の家には現在彼一人しかいない。勤めていた多くの侍従には暇を出され、妻子もまた禅城の邸宅に預けられた今、聖杯戦争の当事者たる頭首ただ一人が健在だった。

 家事の一手を侍従や妻に任せ切りだった時臣だが、家訓である“常に余裕を持って優雅たれ”の心得は如何なるときでも忘れない。
 普段と変わらぬ時間に起床し、手抜かりのない朝食の準備を完璧にこなし、優雅に食して片付けも早々に終え、今では書斎にて食後の紅茶に舌鼓を打ちつつ、新聞に目を通している次第であった。

「ふむ……」

 新聞の一面に踊った文字から璃正神父の隠匿は間違いなく行われたものと承諾し、時臣は更に一口紅茶を啜った。
 しかし、彼はそのような危惧を抱いてはいなかった。面識深い璃正神父にあってはこの程度の隠蔽工作などお手の物であろう。前回から監督役を任されているだけの人物であるのだから。

 だから時臣が一面に目を通したのはあくまでただの確認。冬木の地を預かる者としての責任を果たす為に視線を落としたに過ぎない。
 むしろ──彼が着目した記事は別のところにあった。

「『怪奇、墓荒しか!? 深夜に行われた卑劣なる行為の真実とは……?』 クッ、今時の新聞はこんな文言を見出しにするのか」

 注目を浴びたビル火災のその裏側、真夜中に起きたもう一つの異常。一夜にして教会の麓にある外人墓地にあった全ての墓が暴かれ、更には火を放った痕跡まで確認されたとされる一記事にこそ、時臣は着目した。

「ふむ……こちらの隠蔽はしかしほぼ完全だな。時間帯が良かったせいもあるか」

『はい。深夜でしたので人目につき難かった点。先行していた執行者が結界を敷設していた点。そして教会から程近く、私が第一発見者となった点が功を奏したかと』

 ビル火災は多くの人の目に晒され、それこそ新聞の一面を飾るほどの注目を集めたが、墓地での一幕はほぼ完全に隠蔽され、どうしようもなかった墓荒しと痕跡を消しきれなかった火災の痕だけが事実として世間に露見した。

 しかし、この程度なら何ら問題ない。ほとんどの人はこの記事には注目せずビル火災に着目するし、仮に興味を持ったところで真相は闇の中。酒に酔った若者が持て余した鬱憤から墓所を暴き立てたという辺りが関の山だろう。

「そう……誰もこの真相には気付けない。この一連の異常が、まさか最後のサーヴァント招来に関わっているなどとはね」

 綺礼より昨夜の一連の出来事の報告を受けた時臣はその事実を黙秘とした。殊更他のマスター連中に教えてやる義理などないし、敵の正体を知る存在が自分と綺礼だけであるのはむしろ好都合だったからだ。

「死徒化した少女と化物のサーヴァント、か。ふむ……そんなもの、有り得る筈がないのだがな。聖杯の招く英霊に怪物、それこそ悪に類される者が組み込まれる事など」

『しかし、確かに私はこの目で確認しました。少女の手の甲に宿る令呪と、その背後に揺らめく化物の影を』

 俄かには信じ難い事であったが、綺礼が嘘を吐く理由もない現状、時臣は弟子の言葉を信用して思考に耽った。

「何れにせよ、これで七人七騎の参加者は集った事になる。一つ憂慮が消えてまた一つ憂慮が生まれた事を良くは思えないが、さて……どう対処するか」

 綺礼から第一報を受けた時点で時臣は協会に探りを入れている。今は封印指定を受け、執行者に追われていた当該の少女の委細を引き出す為に協会に置いた知人からの情報提供を待つ段階だ。

 ただ座して待つのも時間の浪費と考える時臣はこうして朝早くから隠れ潜む綺礼と通信機で会話をしながらより詳細な情報を纏め上げようと躍起になっていた。

「ん……来たか」

 通信機の傍に置かれていた振子状の装置が勝手に揺れ出した。振子の先端に嵌め込まれた宝石と遥かロンドンにある時臣の知人が手にするペンの先に同じく嵌め込まれた宝石が共振し、遠い地球の裏側で筆記された情報の全てを勝手に網羅してくれる、魔術仕掛けのファクシミリだった。

 揺れる振子の先に滴るインクが生乾きのまま時臣は書き上がった一枚を手に取り目を滑らせていく。

「……対象の名はフュルベール・カノヴァス。封印指定を受けた理由は研究内容である魂の再現及び死者蘇生の危険性から……とは建前であり、本当の理由はその猥雑な研究手段により、市井の人間を攫い実験の材料と化し、神秘の漏洩に関与したから、か」

 更に二枚目には彼女が隠居していたとされる工房から見つかった魔術の痕跡から、如何様な研究が行われていたかの仔細について述べられていたが、流し読んだ時臣の目に留まるような成果らしい成果は見受けられなかった。

 つまり、単純にレベルの低い魔術師が身の程を弁えずに研究に終始し、あまつさえその稚拙な行動が全ての引き鉄を引いたというわけだ。

「魔術師にあるまじき体たらくだな。研究内容にも目を見張るものはなく、お粗末極まりない。三流もいいところだ」

 吐き捨てると同時に手にした紙をはらりと舞い落とし、時臣は元の椅子へと戻った。

「とにかく、どんな理由があるにせよこのフュルベールという女がマスターとなった以上はこちらの管轄だ。
 魔術協会、聖堂教会の双方は彼女の一件から手を引いて貰う。でなければ、無意味な犠牲が重なるだけだ」

 サーヴァントを従えた以上、並の魔術師……いや、相当に腕の立つ執行者や代行者連中であろうと敵わない。
 サーヴァントを打倒し得るのサーヴァントだけであり、マスターを斃すのもまたマスターの役目である。こうなっては封印指定の以前に聖杯戦争への参加者という立場が前面に押し出てくるのだから。

『……は。聖堂教会へは父から通達が渡っており、今後この街に外来の代行者が潜む可能性は皆無かと』

「魔術協会の方へは私が取り計らおう。これもこの地を預かる者の務め。無益ないざこざは極力廃しておきたいからな」

 無論、時臣の言は建前も含んでいる。
 この地で既に幕を開けた聖杯戦争に、余分な勢力は必要ない。異端の少女を狩るという名目で他の魔術師や代行者が彼女を襲撃し、マスターとしての権利やサーヴァントの情報を奪い取る可能性もゼロではない。

 その為の緘口令。
 我らが祭儀の邪魔をするな。もし余計な手出しをすれば容赦はしない。しかし管理者たる者の名において、必ず異端者は排除する……とそういうわけだ。

『それで、導師。彼女の処遇については如何致しますか』

「現状は変わらないよ。如何に封印指定の者であろうと、マスターとなった以上は他のマスターと同列に扱うだけだ。
 当面は情報の収集に当て、何かしらの動きがあればその都度対処する。何ら問題などあるまい」

『…………』

「何か言いたい事でもあるのかね、綺礼?」

 珍しく押し黙った綺礼にそう訊ねると、微かな黙考の気配の後にやおら口を開いた。

『導師、私は彼の者を捨て置くのは危険だと考えます』

「ほう、そう思う根拠は?」

『直接対面した私にしか分からない事だとは承知していますが、あれは……あの女は何処か異常です。通常の死徒ではない予感があります』

 通常の死徒とは親となる吸血鬼に噛まれその従者と成り果てる者か、魔術の叡智を極め自ら永遠の探求者となるかの二通りしかない。
 綺礼はそんな普通の死徒を指して違うと言う。あの女は何かが違うと。

「一時は代行者にまでなった君の言であれば聞き逃せないものがあるが、しかしな……それだけでは優先的に対処すべき敵とみなす必要性には足りないな」

『通常人が死徒になる際には幾つかの段階を踏む必要があります。中には稀有な才能を有し即座に死徒と成り果てる者もいますが、そんな稀は数が少ない。
 だというのにあの女は血を吸う事なく死者を繰っていました。地の底で眠る亡者を何の手も下す事無く配下とする能力。捨て置いていいものではありません』

 事実としてそんな事が可能であれば、この冬木はすぐにも魔都と化す。死者は生者を喰らい、死者に堕ちて更なる死者を生み出していく。鼠算式に増える亡者の軍団。それが死徒の繁殖能力だ。
 そして彼の少女にはそのプロセスを短縮し、より高い生産性を実現可能とする何らかの能力が備わっている可能性がある。

 無論、そんな死を忌避する者達を指し、横暴を是としない者達も存在する。それこそが聖堂教会の異端審問を預かる代行者、引いてはその存在は最重要機密とされる埋葬機関の面々だ。
 彼らは世に蔓延る不条理を良しとしない。遍く全てを許す神の御許にあって“存在を許されない者”を狩る狂信者。表の宗教観に背く倫理を是とする、悪魔のような殺戮者集団は死徒の存在こそを許さない。

 しかし、この冬木にあっては事情が違う。時臣と璃正の働きかけで彼らはこの街へと踏み込む事が出来なくなる。魔術師達の闘争の更に裏側で、死徒の暗躍を許すなどあってはならない横暴だ。

 故に綺礼は進言した。まず最初に刈り取るべきはその異端者。あるべき聖杯戦争を遂行しようというのなら、必ずやその存在は邪魔となる。
 力を蓄える前に。勢力を増す前に。昨夜綺礼が亥の一番に彼女を発見できたのも天啓に違いない。悪を討つべしという、教義の裏にある正義の信念だと。

「いや、私の考えは変わらない。綺礼、君は彼女に関する情報についても他のマスター同様に逐一私に報告してくれればそれでいい。
 由々しき事態となったのならば、そこは私の責任で必ずや対処すると誓おう」

『……分かりました』

 綺礼は通信機の向こうで歯噛みする。分かっていない、時臣は死徒の繁殖力を理解していない。
 あくまで死徒でも封印指定でもなくマスターとして対応しようとする時臣では、必ずや後手に廻る。要は侮っているのだ、大した魔術研鑽もなく、神秘の露見で追われる身となった者など歯牙にも掛ける必要はないと楽観している。

 昨夜披露されたセイバーの実力も裏づけとなり、もし何らかの不測の事態が起きようとも自らの魔術とセイバーの戦闘力があればどうにかなると思っているのだ。

 もし綺礼の想像の通り、彼女は死徒でありながら死徒を超える能力……血を吸わずして死者を操る能力を持っているとすれば、その気になれば三日も持つまい。それだけの期間があれば、必ずや力をつけてこの街を地獄へと塗り替える。

 無論綺礼の想像はあくまで想像だ。彼の異端者がマスターとなった経緯やこれからどう動くかなどはまだまだ不明瞭。
 だからこそ最悪の事態を想定する。過去代行者達が討伐してきた死徒や封印指定は少なからず悪意と害意を持つ連中だった。ならば彼女もまた、その負の枠組から外れるものではないだろう、と。

『では引き続き情報の収集に当たります。現在居場所の判明していないマスターを中心として』

「ああ、頼む」

 優雅に紅茶を煽る時臣とは裏腹に、綺礼は己が今後どう動くべきかを深く思案する。最悪の場合、師の意に反する行動も辞さないと決意を固め始めていた。


/In the Graveyard


 日も昇り切らない頃合に、切嗣は既に動き出していた。

 最初に行ったものは地形の把握。事前に当たりをつけていた場所を重点的に徘徊し、戦場と成り得る場所と狙撃地点、潜入経路などを余さず脳裏に叩き込んでいく。
 深山町と新都の両方を人間一人の足で歩き詰めればそれなりに時間を喰う。それでも前もって準備をしていた分だけ時間のロスは少なくなったと見ていいだろう。

 目ぼしい場所を見て廻った後、市井に紛れ込み適当な場所で軽食を腹に詰め込み更に探索を続行する。
 午後は拠点の屋敷を出る前に目に付いた奇妙な点の確認だ。新聞の三面記事の片隅に書かれるような、誰の記憶にも残りそうもない墓暴きの記事。

 その記事に切嗣は着目した。今この冬木はどんな怪異が起こるとも知れない魔境と化している。真実は隠蔽されるのが常だが、完全なまでの隠匿は現代では不可能。必ず痕跡は残り歪曲された虚構が世に出る事になるのだ。

 それらの常として共通するものは“奇妙”な点が見受けられる事。魔術を知らない表の人間が魔術により行われた荒事を分析する時、必ず解明出来ない部分が生じる。
 出なければ辻褄が合わなくなる。日の下に暴かれた神秘は神秘としての価値を失くし、ただの現象と成り下がる。故に必ず不可解な部分が生まれるのだ。それは神秘が神秘として携わる限り必ず残る痕跡だ。

 だから切嗣はその“奇妙”なものを情報の中から探し出す。その線で探れば必ずや自らが関与しない神秘にぶつかるからだ。

 教会の膝元たる外人墓地の前に辿り着く。進入禁止の旨が記されていたが、辺りに人気がない事を確認して滑り込む。
 監督役の目の下という場所は切嗣にとってもぞっとしない場所だったが、現状手掛かりは幾つあっても困る事はない。素早く潜り込んだ切嗣は何かしらの痕跡が残っていないか探りを入れた。

「……やはりか」

 何気なく打ち捨てられていた煙草を拾い上げた切嗣は嘆息と共に確信した。この煙草、微かに魔術の痕跡が見受けられる。ライターなど持っていない魔術師が己の魔術で火を灯したのだろう。

 この辺りは正統な魔術師ほど見落とし易い点だ。魔術師は魔術を至上のものとする余りに一般に普及する道具であっても魔術で代用できるものは魔術に頼る。
 魔術師らしい魔術師ほどこの傾向は強くなる。千年を純血で保ち続けたアインツベルンなどその最たる例だろう。

 何れにせよ、昨夜この場所で魔術師が何かしらの戦闘行為を行ったのは間違いない。記事には小火程度と書かれていたが、焼け焦げた痕跡は随所に見受けられる。
 一般の捜査機関はこれを花火程度の火遊びをそこかしこで行ったと報じたようだが、この火の規模はこの一帯を燃やし尽くした可能性の方が高い。教会による隠蔽工作が為されたせいでそこまでは思い当たらないように仕組まれたのだろう。

 証拠を手に入れた以上は長居は無用。切嗣はそそくさと墓地を後にし市井に紛れ込んだ。

 坂道を下る途中、けれど切嗣は疑問を抱いていた。火を属性とするマスターは切嗣が確認しているだけで一人。遠坂時臣しかいない。単純な火を起こす魔術程度ならば属性に拠らずとも行使可能だが、それでも不可解だった。

 少なくとも、切嗣の知るマスター連中に煙草を嗜む奴はいない。事前にそんな事まで調べ尽くしてはいないが、人物像と照らし合わせれば大体は読める。他ならぬ切嗣が元喫煙者なのだから。

「ならば、まだ見ぬマスターか」

 可能性はゼロではない。現在判明しているマスターに可能性がないのであれば、むしろそちらの方が高く見積もれるだろう。

「…………」

 とりあえず収穫はあった。煙草に火をつけた人物と墓地に火を放った人物が同一かまでは定かではないが、これでその存在は確認できたのだから。

 新都の駅前まで戻った切嗣はその足で近くにあったコンビニへと入る。店員に言い付け昔吸い慣れた銘柄の煙草とライターを購入。
 外へと出てすぐさま一本を取り出し、慣れた手つきで火を灯し肺に紫煙を満たして、吐き出した。

 懐かしい感触が胸を焦がす。九年前の感覚が戻ってくるようだ。ここに思わぬ収穫があった。母子の健康を思い止めていた煙草を、まさかこんなひょんな出来事から再度手に取る事になろうとは。

 しかし、悪くはない。

 今宵よりの闘争は九年前の自分を取り戻す戦いだ。その狼煙としては充分だ。紫煙が胸を焦がしながらも、心は冷たく凍えていく。
 怜悧な瞳が見上げる空は青く、乱立する摩天楼の一つを確かに見咎めていた。


/In the Street


「ったく、何だってボクがこんな事……」

『そう言うな坊主。余の覇道の一歩に貢献出切るとあらばこれほど光栄な事もあるまいよ』

「だからそれがイヤだって言ってンだよッ!」

 ただでさえ目立つ容姿であるというのに、商店街の只中で喚き散らしたウェイバーはたちどころに注目を集め、居た堪れなくなり逃げるように歩を早めた。

『ふむ、坊主も中々やるな。ご近所さんの注目の的だぞ』

「誰のせいだと思って────くっ……!」

 霊体化して傍にある巨漢の声を聞けるのはウェイバーだけであり、道を行き交う人々は一人で怒鳴り散らすウェイバーに怪訝な眼差しを向けるのも致し方ない事だった。

 ウェイバーは不機嫌だった。それもこの上もなく。

 昨日は死中に無理矢理引き摺り込まれ戦車で空を翔けるというおよそこの戦争に関わらなければ体験できない思いをし、サーヴァントの力量をまざまざと思い知らされた。
 心身共に疲れた果てたウェイバーがぐっすりと眠り、普段よりも深く睡眠を取った事は別段誰にとやかく言われる筋合いのない事である。

 問題があるとすればその間におこなれたライダーの奇行だ。

 夢現と惰眠を貪っていたウェイバーの耳元に届く『ふぬぅん!』という声。訳の分からない奇声を耳に聞き、やおら目を覚ましたウェイバーが、爽やかな朝の亥の一番に目にしたものがTシャツ一枚のはいてない巨漢のポージングとあっては流石にウェイバーに同情を禁じえないだろう。

 世の中で見たくないものベスト5に入りそうなものを瞼に焼き付けてしまったウェイバーは現実逃避の為の二度寝へと陥り掛けたところでライダーに阻止された。
 聖杯戦争の主だった戦場は夜だ。ありとあらゆる生物が眠りに就く時間帯こそが魔術師の闘争の場であり、つまり昼はじっくりと英気を養うか情報収集に勤しむしかない。

 昨夜の疲れの抜け切らないウェイバーはもう一度眠りに落ちたかったのだが一度目覚めてしまったら中々寝付けず、脳裏には怪奇なる物体、更にライダーの邪魔と三拍子揃ってしまい嫌々ながらに起床する事にした。

 朝食もそこそこにライダーに懇々と聞かされた状況を纏めるとこうだ。何かと実体化している事に拘るこの男は現状に不満を抱いていた。
 ウェイバーがライダーに厳命したものはこの部屋の中と夜に限った実体化だ。昼間の実体化は許可しないし、往来を歩き回るなど以っての外だ。

 ところがそれがどうしても納得のいかないライダーは考えた。考えに考えた。そして辿り着いた結論が今現在彼が身に着けているTシャツだ。
 何時の間にやら通販を使い注文していた胸に世界地図を頂くとあるゲームのTシャツを誇らしげに着ているサーヴァントに、ウェイバーは辟易せずにはいられない。

 曰く──当代風の服装さえ着ていれば歩き回るのも文句はあるまいと。

 ウェイバーにすれば充分に文句があったが、召喚直後の格好で歩き回られるよりは幾分マシであった事から渋々と同意してしまった。

 それが、いけなかった。

 主の同意を得て快活に笑いながら往来へと繰り出そうとするライダーははいていない。誰がなんと言おうとはいていなかったのだ。そして必死の形相で押し止めたウェイバーは焦燥の余りについつい迂闊な発言をしてしまったのだ。

『何考えてンだよっこのバァカ! そんな格好で出歩く奴が、どこの、世界にいるっていうんだ!』

『少なくとも余の時代であればさして問題などなかったが』

『今と昔は違うんだよっ! ああもうっ、わかった。ズボン買ってやるから霊体化して付いて来い!!』

 ……そして今に至る。

「はぁあ、なんでボクはあんな事言ったんだ。サーヴァントにはもっとこう、威厳ある態度で臨みたかったのに……これじゃただの小間使いみたいじゃないか……」

 そう、あの場は断固として拒否すべきところであった筈だ。この男に自由という名の服を与えてしまっては今以上に手綱を握り辛くなる。
 ただでさえ暴れ馬であるというのに、わざわざ目の前にニンジンをぶら下げて一体何をやっているのかと。

『どうした坊主、そんな顔をして。何かイヤな事でもあったか?』

「おまえがそれを言うのかよ……ああ、もういいよ。ボクの迂闊さが悪いんだからさ。ところでライダー、おまえ昨日の戦いをどう見てるんだ?」

 約束してしまった以上はもうどうしようもない。ならばせめて少しでも有益な時間を築こうと昨夜の闘争へと思いを馳せた。

『どうとは、どういう意味だ?』

「勝算とかそういうのだよ。セイバーとは直接やり合いたくないって言ってたけど、ランサーやアーチャーはどうなんだ」

 姿は見えなかったが暫し考え込むように嘆息を漏らしたライダーの気配を感じ取り、ウェイバーはライダーが口を開くのを待った。

『ランサーに関してはとりあえず保留さな。セイバーとの戦舞を見るからに彼奴らの決着は見送られた。ならば先に二人で明確な決着をつけさせてやればいい。余は勝ち上がった方を打倒する』

 それを尊重と取るか漁夫の利と取るかは難しい判断だが、本人はおそらく前者のつもりなのだろう。しかしそれはウェイバーにとっても悪い提案ではない。無駄に戦闘を重ねる必要はない。敵は絞っておけば後が楽になるのだから。

『アーチャーは……そうだな、騎士の戦場を荒らした罪は重いが、それ以上に良き腕の持ち主であった。
 あれほどの射手ならば是が非でも我が傘下に加えたいところだ。戦士の心はそれから説けばいい』

「……おまえそれ、本気で言ってるのか? サーヴァントがサーヴァントを従える? そんな事、出来ると本当に思ってるのか?」

『無論だ。余の大望は遍く戦士の導。世界を征すという覇道を一度として夢に見なかった男児などおるまいよ』

 幼子の夢はとかく大きい。身に余る大望、手の届かない夢を理想と謳い、やがて現実の壁を理解しなんとか辿り着ける夢を見つけるのだ。
 ウェイバーにしても、子供の頃はそんな夢を見なかったわけではない。ただ今では現実を受け入れて、手の届く範囲の希望に縋っているのだ。

 しかし、この男は違う。童心をそのままに、見果てぬ夢を現実と成す為に世界を駆け抜けた。王の旗印の下に集うは同じ憧憬に胸を焦がした連中だ。
 一度は斬り捨てた筈の大望を、この男の背中に見て、今一度走り出した大馬鹿野郎達。それが、征服王イスカンダルと彼に付き従った騎士達の誇り高きユメなのだ。

「あれだけ暴れておいて良く言うな。少なくともアーチャーはおまえの戯言に耳なんか貸さないんじゃないか」

『話してみなければ分からんではないか。ふむ、その為にはもう一度ヤツとは相見える必要があるな』

 どうやらライダーは本当にアーチャーを臣下に加え入れたいらしく、展望を広げていた。

 サーヴァントは倒さなければならない敵だ。聖杯の頂に辿り着ける者は唯一組。そう理解してなお大言をのたまうライダーはウェイバーには理解し難い。
 魔術師足らんとするウェイバーは現実的に物事を考える。夢を優先するこの男の思考とは相容れないものがあった。

 そう、ウェイバーが聖杯戦争に参加した目的は何だったか。

 聖杯に託す願いなどない。ただ証明したかった。見返したかった。このウェイバー・ベルベットを見下した全ての者を。とりわけ、ウェイバーの奉ずる魔道の対極にある男……ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに。

「……や、止めてください!」

 ウェイバーが思索の渦に囚われ、傍らの姿なき大男に己が野望を聞かせた時に喰らわされた痛みを思い出し、無意識に額を擦った時、そんな声が聞こえた。

「なんだ?」

 訝しんで視線を向ければ、数人の男が一人の女の子を取り囲んでいた。

「なあ、いいじゃん。ちょっとお茶するだけだからさ」

「い、いやです。わたし、これから用事があるから……」

「えー? それってオトコ? ハハ、ドタキャンしとけばいいじゃん? オレらがもっと楽しませてやるからさ」

 足を止めて少女と男達のやり取りの一部始終を見ていたウェイバーであったが、下らないと吐き捨てて歩を速めた。

『おい』

 ウェイバーはライダーの問いかけを無視する。この男が何を聞こうとしているのか大体察しがついたからだ。

『おい坊主、ありゃなんだ。あの女子は何か嫌がってるように見えるんだが?』

 重ねて問いかけられ、仕方なく答える。

「……ただのナンパだろ。ボク達には関係ないことだ」

 そう、関係ない。ウェイバーがこの街に訪れた理由は戦争を行う為だ。あんな何処の街にでもいるようなチンピラと係わりたくはないし、何よりこれ以上目立つ真似はしたくなかった。
 ただでさえ不必要な用事の為にこうして往来を歩いているというのに、これ以上気分を害されてたまるものかと更に歩を速めて立ち去ろうとした。

「きゃ、やめ……だ、誰か、助けて……!」

 ナンパ──もはや誘拐に近い強引さで少女の腕を取った男が口元を歪めニヤついた。男の力に敵わず少女は助けを求めたが、この時間帯では主婦か老人くらいしか商店街にはいなかった。
 見るからに柄の悪そうな連中に係わり合いになりたくないと皆が揃って視線を外し、助力しようなどと思う者は誰一人としていなかった。

『坊主、何をしとる助けんか』

「……はぁ? 何だってボクがそんな事する必要があるんだ。あんなの放っておけばいいんだよ」

『戯けがッ! 男子足るもの、女子の悲鳴を聞いて素通りなどしてどうする。正義うんぬんの話ではない、これは責務の話だ。
 いつの世も弱きを助けるは当然の事。そこに利も害もなかろうが』

 憤懣やるかたないといった気迫で説教を垂れてくれたライダーにウェイバーはさて、どうするべきかと思い悩んだ。
 数日しか共にしていないがこの男の気性は大体理解できたつもりだ。恐らく、このまま否と答え続ければそれこそ実体化してでも止めに入りかねない。

 それは、拙い。皆が皆目を背けているとはいえそれなりの人通りがある昼下がりだ。こんな場所で身の丈二メートルを越す巨漢が時代錯誤の衣服を纏い突然現われでもすれば、事態は最悪の方向に向かいかねない。

「……分かったよ。ボクが止めるから、おまえは絶対出て来るなよ」

 天秤にかけた皿は容易く傾き、ウェイバーはさも面倒臭そうに男達に近寄った。

「ぁん? なんだテメェ?」

「その子、嫌がってるだろ。離してやれよ」

「はぁあ? 何だって見もしねえテメェにンなこと言われなきゃなんねぇんだよ。あ?」

 少女の手を掴んだまま男が眉を吊り上げウェイバーを威嚇する。身長差にして二十センチ以上はある男に見下ろされ、更に同程度の男達に囲まれたウェイバーはしかし、動揺の一つもなく憚った。

「────聞こえなかったか? ボクは止めろと言ったんだ」

 言葉を発すると同時、男達の瞳を睥睨して強く目に力を込めた。身竦められた男達はびくんと身体を仰け反らせ、虚ろな目をして離れていった。

「ふん……」

 男達はウェイバーの気迫に圧されたわけではなく、ウェイバーが発動した暗示にかかったのだ。単一にして単純、しかも持続時間の短い暗示ならばウェイバーでも予備動作なしで仕掛けられる。
 相手が同じ魔術師であれば全く通用しないレベルだが、一般人が相手ならば何ら問題なく作用した。

 しかしその挙動は傍から見ればウェイバーの威嚇で男達が逃げ去ったように映り、周りからは少なからず喝采を浴びる事となった。
 こんな事で褒められたところで何も嬉しくはない。出来て当然の事をして賛美を浴びて喜ぶ奴なんていない。そう内心で思いながらウェイバーは立ち去ろうとして、

「ま、待って下さい……!」

 男達に囲まれていた少女に手を掴まれて、ウェイバーは足を止められた。

「ありがとうございます、助けてくれて」

「ああ、気にしなくていいよ。じゃ、ボクはこれで」

「ぁ……ま、待って」

 気恥ずかしさからか面倒臭さからか、ウェイバーはそれとなく腕を振り解いて立ち去ろうとしたが、またしても腕を掴まれて呼び止められた。

「何……? まだ何か用が?」

 ぶっきらぼうに言われて少女は一瞬身を竦めたが、意を決したように口を開いた。

「あ、あの、良かったらお茶でも如何ですか。その、お礼もしたいですから」

「いや、いいよ。ボクはこれから用があるから。アンタだってさっき何か用事があ──」

「ふむ。ならば相伴に預かろうではないか」

「──ってなんで出て来てンだよおまえはぁぁあああっ!?」

 恐慌も露に吠え立てたウェイバーの傍らには霊体化していた筈のライダーがいつの間にやらずぅんと佇んでおり、にこやかに微笑んでいた。
 ウェイバーと同程度か少し小さい少女は突然現れた大男を唖然としながら見上げていた。

「せっかくの婦女よりのお誘いだ。その好意を無碍には出来んだろうて。さぁさ、いざ行こうぞ」

「ちょ、ま、なんでこうなるんだぁぁぁあああぁぁああ!?」

 快活に笑う大男は泣き叫ぶ小坊主と状況の理解できない少女の二人を引き摺って商店街の奥へと消えていった。




「なんで、こうなるんだ……」

 適当な喫茶店へと入ったウェイバーとライダー、そして名も知らぬ少女は通りを見通せる窓際の席に腰を落ち着けそれぞれ異なる面持ちで沈黙の中に身を沈めていた。

 能天気なライダーはメニュー片手に唸りながらどれにしようかと本気で悩んでいる。少女は苦笑気味にそんなライダーと焦燥し切ったウェイバーとを見つめていた。

 余談だが、今のライダーはあの時代錯誤の服装ではなくウォッシュジーンズにTシャツという姿だった。

 どうにも霊体に戻りたがらないライダーを前にし、すわ令呪の出番かと本気で覚悟したウェイバーだったが、幸いにも近くに衣服を専門に扱う店を見咎め、ライダーを押し込んでサイズの合う服の上下を見繕った。

 ライダーは胸に世界地図を頂いていない事に不満げだったが、わざわざマッケンジー邸に戻るわけにもいかずなんとか説き伏せた。

 その間、ウェイバーがこのような災難に遭う原因ともなった少女はにこやかに付いて来るばかりで特にライダーを不審がる素振りをしなかった。
 一応弁明としてウェイバーの知人である事とコスプレ好きの親父であるとこっそりと告げておいたが、少女の反応は酷く淡白でまるで気にしていないようだった。

 むしろ『面白い人ですね』とかのたまう辺り、この女も何処かズレているとウェイバーは認識し、早々にこの茶席からも辞したい思いで一杯であった。

「改めて御礼を言わせて下さい。有難う御座いました」

 礼儀正しく頭を下げられウェイバーはムズ痒い面持ちだった。
 感謝を受ける謂れはない。ただ単にライダーの凶行を押し留める為にウェイバーが場を執り成しただけなのだから。……その努力も水泡と帰してしまったが。

「だからいいって。それより、こんなとこで油売ってていいの? 何か用があるんじゃなかった?」

「あ、あれは嘘です。ああでも言わないと引き下がってくれそうになかったから」

 そう言って舌を覗かせた少女の仕草にウェイバーはどきりとする。
 あのチンピラ達ではないが、なるほどこの少女の容姿は人目を惹く。慎ましい体型ながらウェーブのかかったブロンドの髪はしとやかで、翠を思わせる瞳は澄み渡っている。顔の造詣も整っており、肌も肌理細やかで白い。
 等身大のフランス人形……そんな形容が似合いそうな少女だった。

 この冬木を二分する深山町は更に二分され、日本家屋の多い一角と洋風建築の多い一角とに分けられる。後者は多くの外国人が暮らしており、他ならぬウェイバーが暗示を施し寄生しているマッケンジー夫妻の邸宅もこの一角に居を構えている。
 そのお陰もあってかウェイバーの容姿でも然程目立たずに冬木に溶け込めた。

 どちらかと言えば日本人の風格に近い髪と目の色をしたウェイバーと対照的に、この少女の容姿はそれでも目立つ部類だろう。
 ……まあ、ウェイバーには然程興味のない事であったが。

「アンタ、いっつもあんな風に絡まれてるの?」

 さっさと帰りたいウェイバーであったが、隣でナイフとフォークを両手に持ち、子供のように目を輝かす巨漢の腹を満たすまでは帰れまい……と諦観し、手持ち無沙汰ながらに少女に話しかけた。

「あ、いえ。私、最近この街に来たんです。だから街を散策してたんですけど、いきなりあんな事になって……」

「まあ、アンタの容姿は結構目立つからね。それなりに、気を付けといた方がいいんじゃない」

「ええ、はい。そうですね、次からは気をつけたいと思います」

 再度沈黙が降る。ウェイバーは女性がそれほど得意ではなかった。むしろ苦手な部類に入るだろう。
 幼少より魔道一筋に生きてきたこの少年にとって、魔道に関わらない一般人の、しかも年も程近い少女とあってはどう接するべきか分からない。

 これが同じ道を生きる者であるなら男女分け隔てなく共通の話題でそれなりに話し込める自信はあったのだが、如何せん世情に疎いウェイバーでは切り出すべき話題を見つけられなかった。

 そんな折、助け舟は思わぬところより出された。

「むほぉ、美味い。美味いぞ! このケーキとかいうヤツは中々にいけるではないか!」

 掌よりなお小さいフォークをぐっさりと刺した彩り鮮やかなケーキを頬張り顔を綻ばせる征服王。日本ほど多様化し文化の境界線を失くした国も珍しいが、これもその一つの弊害だろう。
 こういう店が取り扱う商品は主に外来のものであり、日本文化の一つである和菓子や抹茶などは余り見かけない。土着の文化を是とするライダーにあってはそちらこそを所望していたが、そこはそれ、美味ければ関係ないのである。

 しかし大の男がケーキの一つでこれ程喜ぶ様は傍目に見て充分に奇異である。

「あ、そんなに美味しかったですか?」

「うむ。余の時代にはこのような嗜好品はなかったからな。時代の変遷は人を豊かにしたのであろう、庶民がこのように美味いものを食する時が来ようとは……」

 明らかに地が出てしまっているライダーだったが、少女は気に掛けた様子もなく微笑む。

「喜んで貰えたなら私も嬉しいです。良ければもっと注文してください、先ほどのお礼ですから」

 この男は何もしていないじゃないかと思ったウェイバーであったが、薮蛇であろうと理解していたので口にはせず、ライダーと同じものを注文していたのでフォークを取りケーキを一口ばくついた。

「ん……確かに、美味い」

 イギリスの食事にとりわけ不満があったわけではないが、やはり食文化の発達した国は違う。日本伝来の和食に限らず、洋食中華と節操なく取り込み鎬を削り合ってきた日本は他国と比べても高い水準にある。
 あるいはただ単に慣れすぎて感覚が麻痺しているだけかもしれなかったが、ともかく美味いケーキであった。

「ふふ、好きなだけ御代わりして下さいね」

「…………」

 柔らかく微笑まれウェイバーは目を逸らす。苦手だ。やはりこういう手合いは苦手だと内心で呟きながら。

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最終更新:2010年07月10日 10:15
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