岩手県立大学総合政策学部 見市建研究室

基礎演習

2年次の演習。専門演習に進む前の「お試しコース」です。2011年度は次のような内容で行います。

政治学および行政学系の専門演習へ進むことを想定している。政治学の入門書を参照しつつ、主に文学を題材に政治学の基本的な概念について学ぶ。扱うのは日本や海外の小説やエッセイ、詩、あるいは映像作品など。親しみやすい題材を通して想像力を鍛え、異文化への接近を通して自分の文化や社会、国家について考える枠組みを身に付ける。また、大学生にとって最も重要な、論理的な思考と読み、書き、話す訓練を繰り返し行う。


2011年度前期教材(更新中)

宮沢賢治『猫の事務所』、村田喜代子『縦横無尽の文章レッスン』(朝日新聞出版、2011年)、ジョージ・オーウェル「象を射つ」、ジョージ・オーウェル原作『動物農場』(映画)、マックス・ウェーバー『職業としての政治』、マキャベリ『君主論』、町村敬志・西沢晃彦『都市の社会学―社会がかたちをあらわすとき』 (有斐閣、2000年)、



以下は2008年度後期に担当したときの試みを記録したものです。

文化や政治についての寓話や小説を、受講生全員が毎回読み、自分の頭で考え、自分の言葉で考えをまとめ、議論する。書評レポートを作成する。

1月26日,2月2日

ムハマド・ユヌス『貧困のない世界を創る (早川書房、2008年)を輪読。

1月19日

各自それぞれの興味に従って選んできた新聞の書評について、それがどの(専門演習の)学問分野に相当するのか、話し合い発表。
最終課題 :演習で扱ったいずれかの本の書評を書く。締め切り2月12日。

12月8,15,22日

バラク・オバマ『マイ・ドリーム』 1,2,4章を輪読。
8日はアメリカのキリスト教について解説。
15日は日本と諸外国の難民受け入れについての記事を紹介。

12月1日

映画「ゲート・トゥ・ヘヴン」 鑑賞。
その場で簡単な感想文。ドイツの空港で不法移民が繰り広げるラブコメディ。「不法行為」や移民に違和感を感じた受講生が多かった。

11月27日

太宰治『お伽草紙』より「瘤取り」「カチカチ山」「舌切り雀」
3グループに分かれて事前に読み、感想文を提出。一人の担当者が物語の内容を、もう一人の担当者がメンバーの感想をとりまとめて発表。

11月17日

多和田葉子『ペルソナ』
主人公道子への共感と違和感、主人公が仮面を被る不思議なラストの意味について簡単なレポートを事前提出。

グループ1
 この話で主人公道子に共感した点は、弟と仲がよい、思ったことを表に出さないという点である。友人からの電話で冷静を装っていたことが特に感情を表していないように思えた。しかし、弟を溺愛しすぎている、仲がよいがときに2人の間に距離を感じるという点に違和感を持った。
また、主人公は周りから日本人にみられず、日本やその他の国の区切りを曖昧にしたかったために、自分や韓国人のセオンリョンのことを「東アジア人」と呼ぶと考えられる。
 主人公が最後に仮面を被る理由は、日本人らしい顔ではないため、その顔を隠したかったからだと考えられる。仮面を被ることは本当の自分を見せずに、堂々といていられる唯一の方法であったのではないか。
 この話でわからなかった点は、病気になってしまったセオンリョンや途中から登場していないレナーテの2人はどうなったのか、どうして中華料理屋は見つからなかったのかという点である。おそらく主人公が見つけられなかったのは中華料理屋ではなく、行方が気になっていたセオンリョン自身ではないかと考えられる。彼のことが気にかかるあまりに、店の名前である「金龍」とセオンリョンが重なって映っていたのではないだろうか。(苅間澤優香子)

グループ2
 この物語は、自分を東アジア人と漠然と思っていた主人公道子が、ドイツで弟やドイツ人やドイツ在住の日本人と接しているうちに徐々に自分が何なのかということに悩み苦しみ 、能の仮面をかぶるという奇妙な結末を迎える。
 道子は弟に東アジアの中でも韓国や日本の違いを指摘され戸惑う。ましてや弟の和男はベトナム人と日本人はまったく違うと考え、ベトナム人を蔑んでいる。一方、ドイツ人には韓国人も日本人も、東アジア人は基本的に顔のつくりが同じだと言われる。さらにドイツ人にとって東アジア人というくくりの中に、弟が蔑んでいたベトナム人も入っているということにも気づく。人種や外見をあまり気にせず、差別的な考えのなかった道子にとって、一番近い存在の弟や、今住んでいるドイツの人たちにさまざまな差別感情があることに気づき、道子は戸惑う。そしてドイツ在住の日本人の家にあったスペイン製の能の仮面が、うそや矛盾や現実とのずれを表していることに気づく。それは仮面自身が偽物であるし、日本人らしい顔の仮面が気味の悪い顔に思える、つまり自分たち日本人も客観的に見ればこの仮面のように自分たちが思っているのとは違って見えるのではないかと思ったのである。道子は一緒にいた日本人の中ですら居場所のなさを感じ、自分を偽ることを表している能の仮面をかぶり、日本人らしいが日本人とは誰も気がつかない姿で街中を歩いた。(山口智)

グループ3
  • 主人公共感できる点、違和感を覚える点。
 「東アジアの人間は表情がない」と言われることに関して、主人公は仕方がないと思っているようだ。たしかに欧米の人間と比べると日本人は感情を表に出さないように見えるので、そう思われても仕方がないという気持ちに共感できる。また主人公が心に「痛み」や「かゆみ」を覚えるなど、精神的にまいってしまっているような表現が出てくる。日本とは全く違う文化の中で生活をしなくてはならない状況では精神的に辛くなる気持ちも理解できる。逆に主人公が全くと言っていいほどに自己主張をしない点については、違和感を覚えた。自分を抑圧しすぎているのではないかと疑問に思う。

  • 主人公が「東アジア」という言葉を使うのはなぜか。
(どのような人種観、民族観をもっているのか。)
主人公は人種差別に嫌悪感を持っているので、韓国人や日本人という区別の仕方もあまり好きではないように思える。だから、「東アジア」という広い括りで表現したのではないだろうか。もしくは、私たち日本人に欧米諸国の人が見分けられないように、欧米の人たちにとっては東アジアの人間は見分けがつかない。だから主人公のまわりの人々は「東アジア人」という言葉を使う。主人公は自己主張が苦手な性格で周りの人に流されやすいようなので、周りの人間に影響されて「東アジア」という言葉を使っているのではないだろうか。

  • 仮面をかぶる理由
 主人公は「感情がない」「ベトナム人のような顔立ちだ」と言われた。そのせいで、自分の顔があまり好きではないように思える。仮面をかぶったのは、自分の人格を仮面で覆い隠してしまうことで楽になれるからではないだろうか。もしくは日本の伝統的な「能」の面をかぶることで日本人らしく見えるようになると考えたから仮面をかぶったのではないだろうか。(畠山洸享)

11月12日

ジョージ・オーウェル『象を撃つ』
物語の舞台となっている社会(英国統治下のビルマ)の構成、主人公とビルマ人の関係、英国社会における主人公の立場、アジアのイメージ、象射殺の是非について議論。
後半はオーウェルについて解説。

11月10日

ジョージ・オーウェル『動物農場』
もっとも印象に残った登場動物を取り上げたレポートを事前提出。それぞれの動物グループに分かれ、それぞれ人間社会ではどのような立場の人物に当たるのか、物語全体の構成を頭に入れながら議論。今回はうまくばらけた。
後半は『動物農場』の背景について解説。

10月27日

サマセット・モーム『コスモポリタンズ』 (ちくま文庫、1994年)の4短編から一つを選んで書いてきた感想文を使って議論。のつもりが、ほとんどの受講生が同じ作品を選んだので議論は取りやめ。文章の講評を30分ほどかけて行う。

予定を変更し、 アーサー・ビナート「強さ」/谷川俊太郎「同性愛」 を読んで議論。以下、その議論のまとめ。

グループ1
 私達のグループは、「強さ」という詩が言いたかったことは、本当の強さは自分の弱さを見せないことではなく、自分の弱さを見せる勇気を持つことであると考えた。また筆者は、弱点を含めありのままの自分を認めることが大切だ、ということを言いたかったのかもしれない。「ぼく」は始め、友達が自分はゲイであるとあえて弱点を見せてきたことに戸惑ったのだと思っていた。しかし、本当は友達が自分の弱点を見せられる強さを持っていたことにうろたえたのだ。「ぼく」は友達の強さを見て、自分の弱さを見せないようにしていたこと自体が自分の弱さだったのかもしれないと感じたのではないだろうか。
 また、2つ目の「同性愛」では、同性愛的な感覚は誰にでもあるという意見にまとまった。同性愛者は異性愛者より、異なる価値観を尊重し合う感覚を備えていると考えられる。また、同性愛は結婚や出産といった答えや結論を求めず、起承転結のようなはっきりとした区別がない場合が多いだろう。それらの点から、同性愛には対立より融和、劇より歌があると述べられているのではないだろうか。(山口碧)

グループ2
 『強さ』を読み、友人のゲイという告白に対して筆者の強さを表していると考えた。私であれば、友人からゲイであるという告白をされたら戸惑ってしまう。だが筆者は今まで通り接している。告白される覚悟があったかもしれないが、そこで事実を受け入れることができた筆者は強いと考えた。しかし、自身を「自らの弱さが照らされたようで」と弱いと表現している。これは、筆者も多少同性愛の傾向があったからだと考えた。同じ立場にあり、友人はゲイであることを打ち明けた。しかし、打ち明けられなかった自分は弱いと比較したのだろう。
 また、『同性愛』については、同性愛には「劇よりむしろ歌がある」という表現に疑問を抱いた。直前に「同性愛には対立するよりむしろ融和があり」と記されている。異性では、分かり合えないことがあり対立が生じる。だが、同性なら分かり合えるだろう、という意味で表現されていると考えた。それと同様に、劇には役者がいてやり取りがある。しかし、歌はみな共通した行動をとる。したがって、この二つの文章が類似の意味で使われたと考えた。(大澤真也)

グループ3
『強さ』を読んで
 友人からのゲイであるという告白に対して、ショックではないがうろたえてしまっているぼくの気持ちが文章から伝わってくる。ぼくは、友人が無防備になって弱点を見せてきたことに対してうろたえてしまったのではない。無防備になれるその強さにうろたえてしまったのだ。
 私たちのグループでは、友人に自分がゲイであるということを告白されたとしたらどう感じるかという点から考えた。もし自分がゲイだとしたらあえて自分の弱さなんて言えないし、打ち明けてきた友人はすごく心の強い人だと感じた。自分の弱さを隠すことが強いのではなく、弱さを見せることができる人が本当に強い人なのではないか。

『同性愛』を読んで
 「どんな人間に中にも、同性愛的な感覚はある。」と文章中にあるが、その意見に同感である。同性の友達になるということはその人のことが好きだからで、それは同性愛とまではいかないが感覚は似ているのではないだろうか。友達ができるというのは自然のことである。しかし、自分の中でその想いを特定の同性に強く向けてしまうと同性愛者になってしまうのではないかと考えた。(小野千尋)

グループ4
 アーサー・ビナートの『強さ』という詩は、なんでも話せる友人に実はゲイであることを告白され、うすうす気づいていて心構えはできていたはずなのにいざ言われるとうろたえてしまった。そのときの友人の強さと自分の弱さについての話だった。
 私たちのグループでは、題名にもなっている「強さ」とはなにかについて話し合った。友人の、自分を信頼しゲイであるという弱点を打ち明けた無防備さ。その友人に対し、自分は防備万全のつもりだったのにもかかわらず、その告白を聞きマゴマゴとうろたえてしまった。しかし友人がゲイであるという告白にではなく、何か言い訳するわけでもなく、事実をごまかしもせずに自分に話してくれた友人の強さにうろたえたのであった。気心知れたはずの友人に対して防備万全だった自分に、ありのまま無防備でぶつかってきてくれた友人の勇気が「強さ」だということだと思った。
 谷川俊太郎の『同性愛』はわかりにくい単語が多く、グループ内だけではうまくまとめることが出来なかった。しかし他のグループから、劇とは役者がいてストーリーが決まっている。それに対して歌は皆が同じことをするという意見がでて、それを頭にいれて読むと理解することが出来た。同性愛とは不毛なものだが、人間にはだれしも同性愛者になりえる素質があるという内容だった。たしかに歴史的有名人にも同性愛者といわれている人物は多く、国によっては同性愛者同士での結婚を認めているところさえある。動物の中でも同性愛があるという。今の時代にも同性愛に対する差別や偏見は多いが、これだけ世間的に認知されつつある同性愛を不毛だとはもはや言えないだろう。(小野寺孝)


10月20日

宮沢賢治『猫の事務所』
O型チーム
 筆者の宮沢賢治はこの物語を通して、世の中に「差別をするな」という強いメッセージを発しているのではないのかと思う。
 主人公の「かま猫」は、賢治自身に重ねられ、ストーリーが書かれたのではないのか。賢治は若いころに東京に出稼ぎに行ったことがあった。東京のものたちは、田舎から働きに来た賢治を、自分たちと違って田舎ものだからと差別をしていた。そのような体験を踏まえ、賢治は自分のやるせない気持ちを物語に投影していたのではないだろうか。
 最後に出てくる「獅子」は、絶対的権力の所持者で、誰も逆らえない存在だと考えた。その絶対的権力者である獅子によって強引に猫の事務所は閉鎖された。こんな常識的ではない事務所をいつまでも残すよりも、無くした方がまだいいから、賢治は最後に「獅子に半分同感」と言ったのではないのか。もう半分の同感できない点については、かま猫は「つらくてもがんばる」と言っていたのに、獅子の行動によって、もうがんばることができなくなったからだと考えた。(佐々木喜美子)

B型チームⅡ
 この物語を読んで、私たちのグループはいじめをしてはいけないということを宮沢賢治は言いたかったのではないかという結論になった。物語の中ではかま猫が周りの三匹の猫から憎まれ、ひどい扱いを受けていた。さらにいじめに事務長も加わった。宮沢賢治は平和主義者ということを前提とすると、このような現状は耐え切れないということで獅子が登場し事務所を解散させ、いじめはしてはいけないというメッセージをこの物語に込めたといえる。
 また、最後の「ぼくは半分獅子に同感です」という部分が議論になった。半分の同感とは、猫同士は自分たちで解決できそうにないので、絶対に逆らえない百獣の王の獅子が出てきたことにより、この現状を打破したことへの賛成だと考えた。しかし、宮沢賢治は本当は事務所を閉めたくなく、猫同士での解決が一番の最善策だったのではないかという意見もあった。
 私たちのグループでは宮沢賢治は平和主義者であるということを前提としたが、彼が心酔した法華経には満州国の建国につながるようなユートピア思想を含むとの指摘があった。したがって宮沢賢治がこの物語を作った心境や新たに分かった部分を踏まえ、別の視点でこの物語を読むことによって違う解釈も可能であろう。(久慈沙織)

B型チームⅠ
 私たちのグループでは、「猫の事務所」という物語を通して作者が伝えたかったことは、仲間はずれや嫌がらせをしてはいけないという道徳的なことではないかと考えた。
 具体的な内容については、物語の中に2度出てくる「ぼく」の心境と最後に登場する獅子の意味の2つを大きなテーマにして話し合った。
 まず、「ぼく」とは作者である宮沢賢治のことであろう。「ぼくは半分獅子に同感です」という文は、事務所の閉鎖とその方法について言及したものである。仲間はずれやいじめをしているようでは地理も歴史もあったものではないので事務所閉鎖には同感だが、事務所を安易に解散したことについては賛成できないという意見が出た。
 次に、獅子が登場したのは宗教的に古くから獅子というのは神様のような絶対的な存在だったからであるという考え方と、かまねこが日頃いじめられたり辛い思いをしてきた不満のようなものがたまっていて、それが獅子という形で反映されて登場したのではないかという2つの意見に分かれた。(菅原麻子)

A型チーム
 この話は、かま猫をはじめその他の登場人物を通して、現実社会の差別・偏見を痛烈に風刺しているものだった。このような差別・偏見は現代の職場や学校にもあるのではないか。読む度に心にずしんとくるものがある作品である。
 最後の「ぼくは半分獅子に同感です。」という一文について、なぜ「半分」同感なのか疑問に思い、話し合った。かま猫はいつまでも泣いていないでみんなにはっきりと休んだ理由を言って自分で解決するべきだったからではないか、かま猫が必死に守ってきた居場所を他の誰かの一言により簡単に奪ってしまうのではなく、自分達で解決したほうがよかったからではないかという意見が出た。事務長の黒猫も他の者の意見に左右されず、本当のことを確かめるべきだった。
 消化するには自分で色々考えなければならない話である。(藤村真実)


10月6日:石川啄木の3歌を鑑賞、好きな歌を選びその理由を議論。寺山修司の「石川啄木論」を紹介。


読書リスト選考中(似たテーマの作品を複数読み比べる)
  • 石川啄木『一握の砂・悲しき玩具』
  • 寺山修司「石川啄木論」
  • 宮沢賢治「猫の事務所」/ジョージ・オーウェル「動物農場」
  • 宮沢賢治「土神と狐」/サマセット・モーム「漁夫」
  • ジョージ・オーウェル「象を撃つ」
  • 谷崎潤一郎「陰翳礼讃」/柳田国男、岡本太郎
  • 民話(遠野、インドネシア)
  • 多和田葉子「ペルソナ」/リービ英雄「千々にくだけて」
  • サマセット・モーム『月と六ペンス』
  • 星野道夫
  • ハイリル・アンワル『ヌサンタラの夜明け』


授業の進め方(案)
  1. 毎回指定文献を事前に読んでくる。その際、気づいた点(疑問点、考えたこと、好きな/嫌いなところとその理由など)についてメモを取ること。
  2. 気づいた点について小グループで議論し、論点を集約してクラス全体で発表する。
  3. 毎回各小グループないしクラスの担当者1人が議論の内容をメモし、要約を作成する。金曜日までに見市にメールで提出。校正の上、見市がウェブにアップ。
  4. 演習で取り上げた文献のなかから1つないし複数を選んで書評を書く。書き方、提出時期などは追って指示する。


合計: 938
今日: 1
昨日: 2

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