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気が付くと、僕は暗い所に居た。
閉鎖空間のような薄い闇ですら無く、ただただ暗く足元すら見えない。
これは先程鏡の中の僕が言っていた場所なのだろうか。
だが不思議と肌寒さは感じない。
空気の流れもなく、僕の意識だけが浮かんでいるような感覚すら覚えた。
何か聞こえはしないかと耳を澄ませば、静寂から生まれる耳鳴りだけが……いや違う。
ここには誰かが居る。闇の中で身じろぐ気配がある。
遠くでは無い。近くだ。とても近い。
囁く小声すら聞こえそうな程に近くの。
そうだ。足元を見れば。
白い体が蹲っていた。

驚きに数歩後退る。
そこに居たのは黒く艶やかな長い髪を持った少女で。
俯いている為に表情は見えないが
白い裸体を自らの腕で抱き締めるように座り込んでいた。
「……ョン……」
少女の掠れた呟きを聞いて、僕は少女が何者かを瞬時に理解した。
これは髪を切る前の彼女だ。
白く小さい彼女の手が彼女自身の体を辿り、下へと降りて行く。
片手を胸元に添えながら、膝を立て足を軽く開いて。
体の中心に沿わされた手が、指先が妖しく蠢く。
これ以上見てはいけない。そう思い、僕は目を逸らそうとした。
だけど、彼女はゆっくりと顔を上げて。
その形良い唇が、甘えるように開かれるのを。
その繊細な指先が、誘うように僕の方へと伸ばされるのを見てしまう。
それは抗いがたい誘惑だった。

しかし、彼女が呟いたのは誰の名前だったか。
その事実が僕を押し留めた。
少し離れて見守る僕の前で、彼女の周囲にぼんやりと誰かの姿が浮かび上がる。
見とめた彼女の顔が嬉しそうに綻んだ。
彼が来たのだ。

これが鏡の中の世界だとするのなら、悪趣味極まりないと僕は思う。
二人の仲が進展する事は確かに僕も望んではいるが
誰が好き好んで友人同士の性行為を覗き見したいと思うのだろうか。
現実には彼らがまだこのような間柄では無いのを知っている。
だから、これは鏡の中の僕が見せる幻に違いなく。
これが僕の願望だとでも言うつもりなのか。
だとしたら興醒めも甚だしい。
――それでは、こうしましょうか。
僕の声が聞こえると同時に、目の前で彼女と睦み合う彼の姿は一瞬にして霧散し
代わりにそれは僕の姿となった。
裸の僕が裸の彼女を組み敷いている。
彼女の顔は、彼を相手とする時と何も変わらず幸福そうに見えて。
僕は虫唾が走った。

「何なんですかこれは」
いつしか隣に立っていた黒い詰襟の学生服姿の僕に問い掛ける。
暗闇の中で、まるで顔と手だけが浮かんでいるようだった。
――言ったでしょう。本当のあなたを教えて差し上げると。
それがこれか。なんて下らない。
「あなたとは違い、僕は彼女をそういう目で見た事はありませんよ」
これは僕では無く、異世界の僕の願望では無いのか。
伝聞でしか知らない、彼女を好きと言った別の僕の願望。
――本当にそう思いますか?
僕が試すように口を開く。
――彼を羨ましいと思った事はないですか?
今度は一体何を言い出すのか。
――僕はあります。
――彼は半年以上かけても僕が出来なかった事を、実に簡単にやってのけた。
異世界での話だ。でもそれも、彼が彼女に選ばれた存在だからこそ。
「僕はこれでも自分の身を弁えているつもりです。
あなたには気の毒だったとは思いますが」
何も知らずに彼女に惹かれて。
それで彼を知ったのならば、確かに気の毒だったのかも知れない。
だからと言って、こんな幻想を僕に見せるのは話が違う。

――あなたはそれで良いのですか?
――常に彼を立てるべく一歩引いて。何も求めずに自分を殺して。
「それは違います。僕は僕の立場を良く理解しているだけです」
彼らは愛すべき人達だ。多少もどかしくもあるが、
二人の幸せが僕にとっても幸せであるはずなのだから。
――彼女に触れたいと思った事は一度も無いのですか?
――それとも。こちらの方が?
絡み合う僕と彼女の姿が、今度は彼と僕の姿になった。
思わず体が強張る。次いで感じたのは例えようの無い不快感だ。
趣味が悪過ぎる。
「……止めて下さい」
硬い僕の声に、闇の中で手と首だけが浮いている僕が肩を竦めた。
目の前に居た二人が消えて行く。
僕がこちらを見て言った。
――欲しい物を欲しいと思って何がいけないのですか。
これはおかしい。異世界の僕にも半年もの期間があったはずだ。
その間に動かなかったのは、他の誰でもない自分の責任だろう。
――失ってから気付くのは良くある事です。だってそうでしょう?
――今まで普通に生活してきたのですから。それが続くと思ってしまうのは。
それは解る。でもそれとこれとは別問題だとも思う。
「あなたは一体何がしたいんですか」
――僕はもっと生きていたかった。
そう呟いた僕の目は昏い色をしていた。