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──何かの夢を見ていた。
それが何だったのかは、目が覚めた今となってはもう解らない。
古泉は気だるげにゆっくりとベッドから身を起こし。
そこで違和感に気付いた。下着が濡れている。
それを確認して溜息をつく。
意識の無い間に吐き出した己の精に塗れた下着を片手に
眉を顰めつつ洗面所へと向かった。

それは秋の事だった。
涼宮と共に下校していた古泉に、突如災難が降りかかったのは。
結局は涼宮の機知に救われたが、以来古泉は自らを慰める事が出来なくなった。
自分の中で割り切れたと思ったのに、その時になると手が止まってしまうのだ。
それでも不要物は排出されるのが人体の生理と言う物で。
古泉が夢精するようになってから数ヶ月が過ぎた。



年の暮れも近づいたある日。
古泉と涼宮の前におかしな人物が現れた。
何処からどう見ても平凡な日本人男子高校生にしか見えないその少年は
ジョン・スミスと名乗った。

喫茶店でジョンの語った内容は、あまりにも荒唐無稽で。
しかし涼宮の興味は惹いたようで。
突然現れたこの少年は、いとも簡単に涼宮の明るい表情を引き出したのだ。
あっさりと全てを信用した少女の大輪の花が咲くような笑みは
春から涼宮に付き添っていた古泉の胸中に、チクリとした痛みをもたらした。

先に店内から出て行った涼宮を見送り、古泉は残された伝票を手に取る。
奢りの代価としてジョンから得られた情報は、古泉にとって素直に喜べる物でも無かった。
世界の異なる自分も、形は違えど涼宮を信奉していたと。
「そうですね。僕は涼宮さんが好きなんですよ」
そうで無ければ、幾ら何でもあんな事まではしない。
くつくつと笑いながらも、古泉の心のうちでは嫌な思い出が蘇る。
古泉の転校生だという属性だけが、涼宮との接点だった。
忘れてしまいたい事件のせいで、涼宮との距離は多少変わったが
ただ、それは同情を買っただけと言えるのかも知れないと。

ジョンの言うパラレルワールド、もしくは改変前の世界で
何の属性も無く何の事件も無く。それなのに涼宮の近くに居たと言う少年が
古泉には単純に羨ましく思えた。
ドアから顔を出した涼宮に怒鳴られ、古泉とジョンは慌てて席を立つ。
その際、テーブルの上で二人の手が触れ合った。
古泉は瞬時に身を硬くして、すぐさま手を引く。
「古泉?」
明らかに顔色を変えた古泉を見て、ジョンが不思議そうに問う。
「失礼しました。あまり人と触れるのは好きで無いものでして」
硬い声色にジョンが訝しげな表情を浮かべた。
「……古泉らしくないな」
何も知らない癖に一体何を持って自分らしいと言うのか。
僅かに芽生えた反抗心を曖昧な笑顔で誤魔化して
古泉はジョンと共に涼宮を追って暖房の効いた喫茶店を後にした。

「タクシーは黒塗りじゃないんだな」
涼宮が呼び止めていたタクシーを見て、ジョンが呟いた。
何とはなしに古泉は問う。
「黒塗り?」
「ああ、お前の送迎に良く使われてるんだ。機関の人の車でさ」
どうやら異世界の自分は、随分と一般人とは違う生活を送っているらしい。
それもそうかと古泉は納得した。
何たって超能力者で?涼宮から力を与えられて?機関と言う組織に所属していて?
さぞや力も有るに違いない。暴漢に絡まれた少女一人を救うくらい訳が無いのだろう。
しかし、どれ程そんな自分を夢見ても、今ここに居る自分はごく普通の高校生でしか無い。
少女の身代わりになるくらいしか能が無かった無力な自分だ。
「どうした古泉。乗るぞ?」
声を掛けられ、はっとして古泉は意識を戻した。

涼宮、ジョン、古泉の順で座った後部座席は手狭なものだった。
肩や腰、足に触れる隣人の体温が、古泉は不愉快で仕方が無い。
涼宮になら自分から手を伸ばし、その体を支える事も厭わないのに
何故それ以外はダメなのだろうかと古泉は自問する。
特に好意を持っていない初対面の他人だからなのか。
それとも、同性からの忌まわしい体験を思い出させるからか。
車内で一人物思いに耽っていた古泉を涼宮が呼ぶ。
顔を寄せ合い伝えられた作戦に、古泉は複雑な表情をせざるを得なかった。

涼宮は突如訪れた非日常的な状況を心から喜び、期待に胸を膨らませているのだろう。
ジョンが一度学校へ向かって準備をしている間、待たされた古泉と涼宮は
校門から少し離れた角で、雑談をして時間を潰していた。
「SOS団なんて面白そうよね。やっぱり待ってるだけじゃダメなのね。あたしも作りたいわ」
目を輝かせる涼宮を見るのは嬉しい。嬉しいが、古泉には素直に喜べない。
「ったく遅いわね。さっさと変装しないと入れないじゃないの」
そう思うでしょ、古泉くん!と、涼宮が古泉を見上げて言う。
笑顔で同意しながら、古泉はこうまでも涼宮に楽しみを与えられる
ジョンへの羨望と嫉妬を確実に自覚していた。

やがて、体操着を手にジョンが戻ってきた。
屋外で着替える事に古泉が難色を示すと、浮かれていた涼宮も少しは察したのか
自ら壁役になると言い出した。
涼宮にそこまで言われては逆らえない。
寒々しい空気に身を竦めながら、古泉は所々汚れている体操着を手に取った。
表情が強張っているのは、寒さのせいだと涼宮には思って貰えるだろうか。
あの一件が未だに尾を引いているなんて、知られたくなかった。
「……何で見てるんですか」
古泉が視線を感じ、そちらを見やるとジョンと目が合った。
「ああ、いや。何かお前時々緊張してないか?」
「それはこの季節に屋外で、半袖短パンに着替えるとなれば当然でしょう」
「そうじゃなくてさ。何かこう……古泉らしいんだけど古泉じゃないような」
尚も口を開こうとするジョンに、古泉は言う。
「あなたの世界での僕の人物像は解りませんが、多少の差異は仕方ないかと。
 他の方だってそうだったのでしょう?
 とりあえず、着替えるのであちらを向いていてくれませんか」
視線に晒されつつ肌を見せるのは、幾ら同性とは言え、寧ろ同性だからこそ嫌だった。
「そんなに古泉くんを見ていると、スケベって言うわよ。ジョン」
横から冗談交じりに涼宮が口を挟む。気を使わせてしまっただろうか。
内心慌てる古泉を他所に、涼宮はジョンの勧め通りに髪を纏めようとしていた。
「何でだよ。男同士でそりゃないだろ」
露骨に嫌そうな顔でジョンは後ろを向いた。

剥き出しの手足がじわじわと冷えていく。古泉の肌が粟立った。
気温こそ違えど、素肌に触れる風が嫌な記憶を呼び覚まして仕方が無い。
これが体育の時間だったのなら、余計な事を考えなくても済むと言うのに。
古泉は上着を欲しがったが、涼宮には受け入れられなかった。
しかしその寒気を吹き飛ばすような笑顔は、古泉の心を暖める。
いつだって涼宮は前を見ている。目標を見つけた今は尚更で。
元気良く走り出した涼宮の背を眺めて
古泉は隣に立つジョンに視線をやり、ほぼ同時に肩を竦めた。
ジョンと言う少年の言う事を全て信用した訳ではないが、
何度も繰り返した動作なのかと思える程に、二人のタイミングは合っていた。

涼宮を追いかけて、古泉はジョンの案内の下に他校へと入り込む。
全く物怖じしない涼宮の感想を耳にしつつも、古泉は落ち着かない。
何よりも肌寒い。何故こんなにもこの高校の体操着は短いのか。
廊下で擦れ違う学生が自分達を見ているようで嫌だった。
自意識過剰だと古泉は自分に言い聞かせながら
早く何処か暖かい部屋で人目を避けたいと、そればかりを考えた。

三人はまず書道部に寄る事となった。
あまり人目に触れたくなくて、一人廊下で待機する古泉の耳に
室内から部員の一人だろう、悲鳴のような驚きの声と涼宮の喜びの声が聞こえてくる。
涼宮が書道教室から連れ出してきたその少女は
中学生かと思える程に頼りなく幼げな容貌で、しかしその身体つきは豊かな曲線を描いていて。
制服越しにもはっきりと解る豊満な胸は、涼宮の手に揉みしだかれて形を歪めていた。
その様に、古泉は思わず体の芯が熱くなるのを実感した。これはいけない。
悟られぬように足踏みをして、涼宮とその上級生らしい女生徒の視線を誤魔化す。
「さあ、残るは長門さんとやらよ!」
涼宮が女生徒を伴って駆け出す。
ジョンもそれに習おうとし、体操着の上着の裾を掴んで前を隠している古泉に気付いた。
気まずさに古泉は視線を逸らすも、同性であるジョンにはバレただろう。
それ程に先程の女生徒のプロポーションは見事だった。

「あー……古泉、トイレ寄るか?」
何て事を言い出してくるのかと古泉は内心憤る。無視してくれれば良いものを。
「ええとだな……いや、朝比奈さん相手なら仕方ないって。
 俺だってあの人には何度もお世話に……ってそれは置いといて。免疫無いなら尚更だ」
返事をしない古泉にジョンは更に呼びかける。
さらりと性的趣向を明かしながらも、その声には何処か同情の色が混じっていた。
「……暫く放っておけば大丈夫です」
自慰行為を止めてからと言うもの、古泉は日中こうなってしまう事も多かった。
その都度、古泉は自分を宥めすかし、素知らぬ顔で体が治まるのを待っていたのだ。
「でもその格好だと目立つだろ?それにこれから女性陣の所へ行くんだぜ?」
そう言われてしまえば、確かにその通りで。
こんな姿を女性に見せるのはあまり心地良い物では無い。そういう性癖があれば別だが。
「お前も普通の男なんだと思ってちょっと安心したんだ。
 いつもお前は何を見ても笑うだけで、全然そういう気配を見せないからな」
そんな見も知らぬ自分の話をされても、古泉には返しようが無い。
尚も渋る古泉の手をジョンは掴んで連れて行こうとした。
その手を振り払う。
「……解りましたから、触れないで頂けませんか」
嫌悪感も露な古泉にジョンは一瞬言葉を無くす。
二人は無言で連れ立って男子トイレへと向かった。

放課後のその場所は人気が無かった。
どうせ何も出来はしないのにまっしぐらに個室へ行くのもどうかと思い
立ち止まる古泉にジョンが言葉を続ける。
「俺んとこの古泉は自分からべたべた寄って来るんだが、お前は随分と違うんだな」
「そのようですね」
「ハルヒなら良いのか?」
ジョンと出会った時に、よろめいた涼宮を支えた件を言っているのだろう。
「涼宮さんは僕にとっては特別な人です」
古泉が答えると、ジョンは喫茶店の時と同様に戸惑いの表情を浮かべた。
おそらくジョンも、異なる世界では涼宮の事を好いているのだろう。
でもここでの涼宮にそれが当てはまるとは言えない。
いや、本当は古泉には解っている。
涼宮とジョンは、古泉には与り知らぬ何処かで通じる物があるのだろうと。

「……そちらの世界を羨ましく思ってしまいますね」
「どういう意味だ?」
「言葉の通りです」
古泉はジョンの言葉を全て信用した訳ではない。訳ではないが。
ジョンへもそうだが、異世界の自分への羨望も生まれていた。
きっとあちらの自分はこのジョンと共々、単調な毎日に退屈を隠し切れない涼宮の
不機嫌そうな顔を見る事も無い。
こんな無力感に苛まれる事も無いのだろうと古泉は思った。
「……見た目はそっくりだが、中身は本当に違うな」
古泉の笑みに浮かぶ皮肉を汲み取ったのか、ジョンが呟いた。
「それはそうでしょう。そちらの僕は超能力者で怪しげな組織に組しているのでしょう?
 単なる普通の高校生でしかない僕とは大違いでしょうね。
 羨ましい事この上ないですよ。何か困難があっても、その力、もしくは組織力で──」
言い募る古泉の襟首が掴まれ、言葉が途切れる。
「本気でそう思ってるのかよ」
古泉を睨みつけてくるその目には、はっきりとした怒りの色が有った。
「思っていますよ」
思わず鼻で笑って古泉は言い返す。
何故ジョンが怒っているのか不思議な位だった。
「こっちの古泉からしたら、今のお前みたいに
普通の高校生活してるのは羨ましく映りそうだがな」
「それは持つ者と持たざる者は決して相見えないとの同じではないでしょうか。
 それぞれの立場の者は互いの気持ちなんて解りはしないのですよ」
「お前と話していると苛々してくるな」
「奇遇ですね、僕もです。ところでそろそろ離してくれませんか?
触れられるのは本当に嫌なんです」
「大体なんでそんなに嫌うんだ」
このジョンと言う者は、どうしてここまで他人に踏み込んでくるのかと古泉は思う。
それを問うのも最早面倒で、古泉は自嘲の笑みを浮かべた。
「他人から無体を働かれたならば
他者との触れ合いが嫌になるのは当然だと思いませんか?」