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あの日古泉の身に起こった事は、共に居た涼宮以外は誰も知らない。
誰にも話していない。涼宮が他人に話す事も無いだろう。
今は不都合も生じては居るが、このまま二人だけの胸のうちに秘めておけば
いずれ時間が解決するだろうと古泉は思っていた。
それなのに、何故こんな話を初対面のこの少年にしようと思ったのか
自分でも不思議ではあった。
異邦人が滞在するのは、僅かな期間に過ぎないと解っていたからだろうか。
その者が立ち去ってしまえば、何を言っても何をしても、それで終わりだから。

「無体……?」
ジョンが意表を突かれた顔で問い返す。
「平たく言えばレイプ紛いな事、でしょうか」
その言葉に驚いたのかジョンの手が緩む。その隙に古泉は身を離した。
「……お前が、…・された、のか?」
「ええ、僕が」
予想もしていなかったのだろう。ジョンは心底驚いた顔で古泉を見ていた。
男子トイレの空気は冷えていて、とても寒かった。
「詳しく聞きたいのならば、お話する事も出来ますが。意に沿わぬ性行為を強要されれば
 以来他人への抵抗が強くなっても仕方ないでしょう?
 自分で自分を慰める事も出来なくなれば、日々些細な事で催す事もあるでしょう」
古泉は他人事のように淡々と言葉を続ける。
「確かに人から掛け離れた異能の力があったなら、それで苦労する事も多いのでしょうね。
 でも、そのような力があれば、自分が強ければ。他人に無理矢理体を開かれる事も
 無いのではないかと。それを羨ましいと言っただけですよ」
涼宮に笑顔に関する思いは、この恋敵に明かすつもりは無かった。

「……ハルヒは知っているのか?」
静かに話を聞いていたジョンは暫くして顔を上げ、古泉にとって
一番聞かれたくない事を尋ねてきた。
古泉が口では答えずに眉を寄せたのを見て察したようで。
「すまん」
ジョンが項垂れて頭を下げる。
しかし、古泉は別に謝って欲しい訳でも無かった。
「誤解の無いように言いますが、涼宮さんは起きた事は知っていても
 それ以降の事は知ってはいません。単に僕が人嫌いになっただけですから。
 他人との接触を嫌がるのも、涼宮さんには見せていませんし」
「徹底してるんだな」
「好きな人に情け無い所は見せたくないものでしょう?」
古泉の言葉にジョンが頷く。
「動機はえらく違うが、古泉は古泉だったな。やっぱ似てるよお前」
「どういう意味でしょうか」
「ハルヒの見てない所でしか、自分を出さない辺りがな」
そう言われても、古泉には意味が通じない。
自分を出していないつもりは無かった。ただ涼宮に笑っていて欲しいだけで。
自分一人の力では、涼宮を笑顔にさせる事は出来ないのかも知れないが。
古泉があの件を未だ引きずっていると知れば
涼宮の顔は笑うどころか曇ってしまうだろうから。

「なぁ。それ、治せないのか?」
思案顔だったジョンが、ふと思いついたように口を開いた。
「さぁ。試した事はまだありませんから。
 元よりあまり人と接触する機会も無いと言うのも有りますが」
転校生である古泉は家族とは同居していなかった。
学校に友人は居るが、そこまで馴れ馴れしく触れ合う仲では無かったし
涼宮も自分から古泉に手を伸ばす性質でも無かった。
力で連れ回さずとも、古泉が自発的に後を追うせいかも知れないが。
「手を出してみろ。嫌なら離せば良いから」
何をする気かと訝しみながらも古泉は手を差し出した。
冷えた手にジョンの手が重なる。緊張か寒さか、少しだけ手が震えた。

「どうだ?」
「どう、と言われても……。正直全く嬉しくはありませんが。それより何故こんな事を」
「人と触れる度に体を硬くしてたら、幾ら何でもハルヒにバレるだろ。
 嫌なのは解るが、少しでも慣らしていかないとマズイんじゃないか。
 それに……お前には世話になったからな。俺の世界のお前だが。
 俺の世界のお前もやっぱり常に笑ってはいるんだが、色々多忙でな。
 普通の高校生してたら、きっと毎日へらへらしてるんだろうと思うんだ。
 だから何の属性も無い普通のお前には、普通に笑っていて欲しい」
一応はジョンも言葉を選んでいるのだろう。何処かたどたどしい口調だった。
「それに、俺だって自分の役立たずっぷりは良く知ってるんだ。一般人だしな」
「僕から見れば、非日常の塊であるあなたが
 一般人を語るとは、それこそ笑ってしまいますよ」
古泉は小さく笑う。
その苦笑ともつかない笑みを見て、ジョンは表情を和ませた。
「やっぱお前はツンツンしてるより、笑ってる方が見慣れてるな」
「これは苦笑いですが」
「それでもだ」
ジョンの手がぽんぽんと古泉の頭を撫でた。
子供をあやす様なそれの仕草に、古泉は不満げな表情を浮かべる。

「手はもう平気そうだな。じゃあこれは?」
そう言ってジョンは腕を上げた。引き寄せられる。
「流石に冷えてるな」
硬直する古泉の間近でジョンの声がした。
ジョンは何も考えてなさそうな顔で古泉の肩を抱いていた。
「な……っ。突然何をするんですか」
一瞬遅れて我に返った古泉が驚きに声を上げる。これは流石に近過ぎると思った。
「言っておくが他意は無いぞ。手の次ときたら、何処にすりゃ良いか解らんだろうが」
いちいち手から腕へと辿ってく方が気色悪い。そう言われ、古泉もそれには同意した。
「しかし、あなたの考えは読めませんね……。驚きました」
「俺だってこれだけ近いのは気持ち悪いが、これで少しでも治るなら安いもんだろ。
 で、どうなんだ。耐えられない程に嫌か?」
問われて古泉は考える。確かに抵抗感が全く無いとは言えないが
不思議とどうして、我慢出来ない程に嫌では無かった。
「……やはりこの季節に薄着過ぎて寒いからでしょうか。
 温かさを感じるとだけ言ってきます」
そうだった。本来人の肌は暖かいものなのだと古泉は思った。
そしてあの日。暴漢を追い払った涼宮は、こうやって古泉を
抱き寄せてくれたのではなかったか。
あの時の涼宮の温もりは、心身共に疲れ果てた身に安心感と
心地良さを与えてくれたはずだったのではないかと。

大丈夫そうだと判断したのだろう、ジョンの手が古泉の背中を撫でた。
それは先程と同じ、子供をあやすような軽いものだったが
少し気を緩めていた古泉の体に、別の衝動を湧き起こさせた。
そう、話に集中してすっかり失念していたが、
そもそもこの場所へ来た理由はなんだったのか。
「ぁ……」
撫でる手に小さく声が漏れた。
人と触れ合う嫌悪感が薄れてしまえば、長い事刺激を与えていない欲求不満の体は
軽い接触ですら、そちらの方向に受け取ってしまうもので。
治まっていた熱が再び頭をもたげたのだ。
「ちょ……ちょっと待って下さい」
急に様子の変わった古泉の顔をジョンが不思議そうに覗き込む。
その顔色を見て背中の手を止めた。
「……顔が赤いが、言っとくが俺はそういう趣味は無いからな」
「僕だって有りませんよ!」
ジョンの手が動揺して緩んだのを幸いと、古泉は慌てて身を離す。
古泉は体操着の上着の裾を引っ張るが、いかんせん短いのが難点だった。

「……そういえば、そういう理由でここ来たんだったな」
「……そういう事です」
服を着ているとは言え、こんな状態で立っているのが恥ずかしくて
古泉は近くの個室へと入り、鍵を掛けた。
「ええと……まぁ気にするな。男ならしょうがない」
個室の扉越しに微妙なフォローが入るが、古泉は羞恥に物も言えなかった。
「しかしそんなに勃ちやすいと苦労しないか?」
世間話でもするかのように、そんな話題を振って来るジョンに返す言葉が見当たらない。
放っておいてくれと言いたいが、一応は自分の身を慮っての事だから文句も言い辛い。
「……先程言ったでしょう。長い事自分で処理してないんですよ」
別に元からそこまで所構わず勃ってる訳では無いと言いたかった。
「ああ……それって大変じゃないか?」
「……大変ですよ」
何せ自慰をする気にはなれなくとも、体は健康なのだから。

「ついでにそっちも克服してみたらどうなんだ?」
扉を背に立つ古泉に、ジョンはとんでもない提案をしてくる。
「何がダメでそれが出来なくなったんだ?」
原因を突き止めようと言うのだろう。古泉も面と向かってならまず言えないが、
今は相手の顔が見えないのだ、少しなら心情を吐露する気になれた。
「……笑い声を、思い出すんです。……自分が凄く惨めで……汚らわしくて」
ぽつりぽつりと話し出した古泉に、ジョンの声が答える。
「それなら俺が何か適当に話していてやる。それなら思い出さないだろ?
 それにな、こういうのは汚らわしいもんじゃないだろうが。
 男には必要なんだから、そこで負い目を感じてどうするんだ」
「それはそうですが……無茶言わないで下さい」
「今から治まるのを待つのと、さっさとするのと、どっちが早いんだ?」
そんな事言われても解る訳が無い。
長らくしていない分、きっと早いだろうとは思えるが。
ただ、ここに来てからそれなりの時間が経っているのは確かだった。
涼宮は二人を見失って苛立っているかも知れない。
これ以上悠長な事はしていられない。
「……」
古泉は無言で手を下腹部に伸ばした。体操着のウエストはゴムなので
下ろしても音がしないのが幸いではあった。そこに触れても今は怖く無かった。

「俺の世界での古泉はさ」
ひたすら沈黙を守る古泉を気遣ってか、扉越しにジョンが語り始めた。
「ああ見えて苦労性なんだぜ。確かに超能力者ではあるんだが
 それも特殊な限られた場所だけでさ。最早ハルヒの太鼓持ちって役割で。
 機関だってハルヒを楽しませる為に一芝居を打つ程なんだ」
お前の知らない古泉はこういう奴なのだと語っていく。
遅れてきた転校生と過ごした一学年。
春が過ぎ夏になり、秋に越えて冬が来る。
「胡散臭いんだが、でも悪い奴じゃないんだ。非常識にどっぷり浸かりながら
 それでも日常の学生生活も楽しんでいるように見える。
 だから、こっちのお前も毎日を楽しんでいて欲しいんだ」
一人語り続けるジョンの前で、個室の扉が開かれた。
「……そちらの僕とこちらの僕を同一視されても困りますが。
 でも、近いうちに元の世界に戻れると良いですね」
「ああ、そうだな。ってお前、早くないか?」
予想よりも早く出てきた事を言っているのだろう。
そんなに早漏なのかと言外に問われているようで、古泉は誤解されぬように言った。
「あなたの話を聞いていたら、見事に萎えてしまいましたよ。
 しかし大分時間をとられてしまいました。涼宮さんを探しましょう」
古泉が軽く笑みを浮かべれば、ジョンも安堵したように笑い返した。

──そうしてジョン・スミスは古泉達の前から姿を消した。



古泉は考える。
ジョンと涼宮の言質から、三年前の出来事が重なっていた事は解っている。
それ以降のどこかで分かたれたのだろう。

喫茶店で話した際に、古泉は二つの解釈を出した。
一つはパラレルワールド間の移動、もう一つはジョンを残しての世界改変。
仮に改変だとするのなら、秋のあれは何故起きなければならなかったのか。
誰かが改変したとするのなら、それまでの人生はその誰かの設定した事となる。
幾らなんでもあの出来事は悪趣味過ぎやしないかと。
何よりも。ジョンが戻れば自分たちのいる現行の世界はどうなるのか。
ジョンと話しながら、内心気にはなっていた事ではあった。

しかし。ジョンが居なくなった今も、古泉たちの世界は健在だった。
それはつまり、仮定としていた解釈の前者の方、
パラレルワールドとの邂逅だったのだと考えられる。
そしてこの世界が、ここに居る人間が、ジョンの世界と対応しているとするのなら
今古泉たちが居る世界の何処かに、ジョンも居るに違いない。
出来ればもう一度会ってみたいと言うのが正直な所だった。

「そろそろ行くわよ、古泉くん!」
考えに耽っていた古泉に声が掛けられた。顔を上げる。
涼宮の満面の笑みがそこにあった。
「ふふ、今日は誰が最後かしらね!みくるちゃんかしら、有希かしら!」
以前よりも涼宮は楽しそうに笑うようになった。
それもそのはず。駅前の喫茶店を拠点としてSOS団を発足したのだ。
ジョンの受け売りではあったが、涼宮は4人での不思議探しを
明らかに楽しんでいた。
あとは、ジョンを探し出して入団させればそれで良い。
「最近は涼宮さんがとても楽しそうで喜ばしい限りですよ」
涼宮の笑顔を見るのは、古泉の何よりの喜びだ。
「そう?でも古泉くんも最近良くなったわ。まぁ元から良いけど。
 そうね、笑顔が柔らかくなったの。男前度がアップね!ジョンも見たら驚くわよ!」
「それはありがとうございます」
古泉は笑う。
そのまま手を差し出せば、握り返してくる暖かな手があった。

涼宮と手を取り合い、待ち合わせの喫茶店へと向かう。
そこでは物静かで口下手な読書少女と、何処か抜けていて可愛らしい上級生が居て。
そんな日々は、古泉にとって確かに楽しいと言えた。