平成21年_裁判所事務官_教養


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平成21年_裁判所事務官_教養

1 次の文章中のA~Dの空欄に入る語句の組み合わせとして適当なもののみをあげているのはどれか。


芥川龍之介は、当初、平安・鎌倉時代の(A)の中から題材を設定し、「羅生門」「鼻」「芋粥」などを著し、さらに江戸ものといわれる「戯作三昧」や「枯野抄」といった作品を意欲的に発表した。それらの作品に求めたものは、理知的な完成によって現実を鋭く捉え、そこに登場する人間の微妙な心理の追究・分析であり、その構成や文章においてはきわめて無駄のない緊密な作風となっている。晩年の「河童」「歯車」「或阿呆の一生」などは、現実生活に取材し、(B)な境地を求めながらも行き詰まっていく内面的苦悩を赤裸々に示している。いずれにしても芥川の文学は、(C)あるいは理知派と呼ばれ、同派の作家の一人に(D)が挙げられる。

,1,A-歴史物語,B-芸術至上主義的,C-新思潮派
,2,A-歴史物語,B-理想主義的,C-新感覚派
,3,A-説話集,B-芸術至上主義的,D-菊池寛
,4,A-説話集,C-新感覚派,D-横光利一
,5,B-理想主義的,C-新思潮派,D-横光利一

2 わが国の近代の洋画家に関するA~Cの記述とその人物名の組み合わせとしてもっとも適当なのはどれか。


A 聖護院洋画研究所や関西美術院に学んだ後、明治40年渡仏。第一次世界大戦が始まると帰国し、関西美術院で教え、二科会員ともなった。模索の時代を経て、昭和初年には独自の様式を完成した。中堅の洋画家と日本画家による清光会に参加。特に肖像画に手腕を発揮し、「金蓉」は代表作の一つである。昭和10年、帝国美術院会員となり、昭和19年に東京美術学校の教授に迎えられた。

B 明治17年に法律を学ぶ為にパリに留学するが、画業を志し、ラファエル・コランに師事した。帰国後は、旧世代中心の明治美術会に対抗して白馬会を結成。明治29年から東京美術学校西洋画家で教壇に立ったほか、貴族院議員となるなど、美術行政家としても手腕を発揮した。没後、記念館が建てられ、代表作の「湖畔」(重要文化財)が収蔵されている。
C 中学を中退して洋画を学んだ。文芸誌『白樺』に掲載された美術関係記事に動かされ、自らも同誌に文章を寄せた。その後「近代というものの誘惑」を卒業したとして、西洋の古典美術に関心を深め、写実表現を研究した。大正4年、草土社を結成し、「道路と土手と堀(切通之写生)」(重要文化財)などを制作。また、娘の麗子像をしばしば描いた。

,,A,B,C
,1,安井曾太郎,黒田清輝,岸田劉生
,2,梅原龍三郎,青木繁,岸田劉生
,3,高村光太郎,黒田清輝,万鉄五郎
,4,梅原龍三郎,青木繁,高村光太郎
,5,黒田清輝,安井曾太郎,万鉄五郎



3 日中戦争から太平洋戦争までの国民生活に関する次のA~Cの出来事を、年代の古い順に並べたものとして正しいのはどれか。


A 国民徴用令が制定され、国民は強制的に軍需産業などに動員されるようになった。

B 中等学校・高等女学校以上の生徒は勤労動員が命じられ、未婚女性も女子挺身隊として軍需工場に配置された。

C 国民精神総動員運動が展開され、国民は挙国一致・尽忠報国・堅忍持久などのスローガンの元に戦争協力を強いられた。

,1,A→C→B
,2,B→A→C
,3,B→C→A
,4,C→A→B
,5,C→B→A


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