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******
 その日、自分の元に運命の女神が微笑んだ――と、部井透瑠は後に回想する。
 年の瀬も差し迫った冬休みのある日、新年の準備の為に透瑠は近所の商店街へと買い出しに出かけ
ていた。
 とはいえ、高校生の女手一つ――彼女は祖父と同居していたが、その男、部井一緒は透瑠にしてみ
れば、猫の手はおろか、ミジンコのツノ以下の存在だった――では、何かと不便だ。
 しかし今彼女の手にあったのは、軽い手荷物のみであった。

 理由は、彼女の貧乳――へぶっ!!…も、もとい、控えめな胸の下から聞こえる声の正体にあった。

「透瑠さんどうしたんです?急にあさっての方向に裏拳なんて」
「…いや、なんかどこかで物凄く失礼な事言うヤツがいた様な気がしてさ。それよりスピン、重くな
い?やっぱりあたしも持とうか?」
 心配そうに声をかける透瑠に、スピンと呼ばれた少女――いや、外見は幼女と呼んでも差し支えな
い娘はにこり、と微笑んだ。
「平気ですよ。この位、ロボットの私には何てないことです!」
 そう言うとスピンはよいしょ、と背中の風呂敷を背負いなおした。健気なものである。

 ちなみに、風呂敷の中には年末年始の食料品や、掃除用洗剤、替えの蛍光灯をはじめとする日用品
の数々、果ては一緒の注文の品であるDVD-ROM(用途は聞くまでもない)などが入っており、女手では
もちろん、大の男でも全てを一気に持ちきるには、かなり骨が折れるシロモノであった。

 そりゃ、楽なのはいいんだけどねー…問題はこの姿を他人が見てどう思うかなんだよなあ…。

 自分の背丈ほどもある風呂敷入り荷物を背負う、いたいけな幼女の図は、一歩間違えれば即通報レ
ベルの問題だ。
 それでも、スピンは透瑠の役に立てることが嬉しいのか、にこにこと上機嫌だった。
 …まあ、いいか。
 透瑠は心の中で呟くと、スピンに向け、小さく笑みを浮かべた。

 普段、常軌を大幅に逸脱した家族や近隣住民に振り回されてばかりいる透瑠にとって、こうしてス
ピンとのんびりしている時こそ、正に至福の時と呼べるものだったのだ。
 
 ――カランカランカラン。
「はい出ました!三等、DVDプレーヤー!」

 鐘の音と、賑やかな声にスピンが足を止める。つられて透瑠も立ち止まった。
「透瑠さん、あれ何です?」
「え?あー、歳末の福引きだね。ホラ、買い物した時おつりの他に何枚か紙貰ったでしょ?アレを集
めたらあそこで抽選が出来るんだよ。上手くいくと、さっきみたいに賞品が貰えるってわけ」

 透瑠の説明にスピンが、ぱあああっと顔を明るくさせる。

「すごいです!!こんなにお買い物させてくれた上に、賞品が貰えるなんて!何てパラッパラッパーな
んでしょう!」
 太っ腹のどこをどうしたらそうなるのかは謎だが、目をキラキラさせて抽選会場を見るスピンに、
透瑠は自分のカバンを見た。
「スピン、あそこに行って抽選したい?」
 言葉を聞くなり、スピンの頭が高速で上下する。
 そんなに頭を動かすと首の駆動部分に負担がかかるのだが、お構いなしだ。
 苦笑しながら透瑠は、スピンに抽選補助券を持たせ、共に列に並んだ。

 ――…一等のプラズマテレビ、三等のDVDプレーヤーと電動自転車は…当選済みか。ちぇっ、自転車
はもう先越されたか。
 二等は…温泉旅行。悪くはないけど、無理だろうね。

 当選済みを示すリボンが目立つパネルに目を遣り、透瑠はこっそり溜息をついた。
 スピンはといえば自分の番は今か今かと鼻息荒く(実際はロボットなので呼吸などしないはずだが)
待ちわびていた。

「…白玉ね。ハイ、七等のポケットティッシュでーす。…お、次は小さいお嬢ちゃんが引くのかい?」
「お、押忍!!よろしくお願いします!…って透瑠さん、これどうやるんです?」
 はじめて見るガラポン(回転式抽籤器)に、スピンの緊張は更に高まる。
「ああ、まずはこのハンドルを握って」
「に、にぎ、握って…」
「で、こうぐるぐるーって回すんだ」
「ぐ、ぐるぐるぐるぐる…」
 スピンは言われた通り、ハンドルを回し始めた。――だが。
 あまりの緊張からか力の加減がきかず、ガラポンは回転スピードを上げ、ついには残像さえ見える
レベルにまでなってしまった。
「う、腕が増えた…?…って、ダメだ!スピン、ストーップ、ストーップ!!!!」
「おーっとっとっとっと」

 ――カッ!!ズビシッ!!「痛ぅっ!!?」
 玉の残りが少なかったのが災難だったらしい。
 ガラポンから放たれた玉は猛スピードで跳ね、抽選担当者の額にめり込んだ。

「わぁ、やった透瑠さん、赤玉ですよー」
「これは俺の血だーっ!!何すんだこのガキッ!!」
 額から血を流す担当者に怒鳴られ、スピンの目にみるみる内に涙(レンズの洗浄液だが、外見は涙
 にしか見えない)が浮かぶ。
「ご…ごめんなさ…」
「ちょっとアンタ!こんな小さな子に向かって怒鳴ることないじゃない!!」
「てめえにはこの血が見えねーのか!?いいからティッシュ持って帰れ!」

 ことスピン関係ともなれば、過保護になり周りが見えなくなるのが透瑠の長所であり、また短所で
もあった。

「残念だったね、抽選券ならまだ一枚残ってんだよ!!…スピンの仇、取ってやるんだから!」
 透瑠の瞳が真っ赤に燃える。
 握ったハンドルに力を込め、運命のルーレ…もとい、ガラポンはゆっくりと回りだした。
     
 ――そして。
*     
「…という訳で、明日からあたしとスピンは二泊三日で温泉ペア旅行に行くことにしたから、留守よ
ろしく」

 かちゃ。
 夕食(おせちもいいけどカレーもね)を済ませスプーンを置くと、透瑠は目の前の祖父に向け、涼や
かに言い放った。
「…明日?」
「一応両親の許可は取ってるから。食費くらいは置いておくし、何かあったら例の変態二人組にでも
すがり付いてちょうだい」
「…いや、ワシの許可は…」
「い・る・の・か?――…安心しな。万が一の時の為にバックアップ用のノートPCは持っていくし、
メンテナンス位ならあたしの腕でも何とかなる。じゃあ、ごちそうさま」
 ずずー、と食後のお茶を飲み、透瑠は一息吐いた。
「…いや!と、透瑠お前受験生じゃないのか?この冬にラストスパートを決めず、温泉でにょた…ゲ
フンゲフン、だらけるなんぞもっての他だろうが!!ま、まあ、スピンを外の世界に連れて行くのには
ワシも反対せんがな。だがお前に――は…」

 説教を口にしつつ脳裏に蘇った記憶に、一緒は青ざめた。
 対する透瑠は片方の口端に笑みを作った。しかしその目は笑っていない。

「思い出したか色ボケじじい。あたしはとっくに推薦の合格通知が届いてるんだよ。本当は黙って行
くつもりだったけど、それだと何か不祥事があると困るから、一応伝えるだけ伝えたの」
「――くっ…」
     

 ※突然Q&A※
 Q・一緒と透瑠が泊まって、スピンを荷物扱いにしちゃいけないの?
 A・アスタロロボモタの事故以来、自立思考型ロボットの存在が認められていない以上、自立思考
型ロボットであるスピンは、一般的にはあくまでも『人』扱いなんだよ。
 だからスピンといっしょに旅館に泊まりたい場合は、透瑠か一緒かのどちらかかが旅行を諦めなきゃ
いけないんだ。
 Q・でもそれって、ぶっちゃけ勝手に作った設定じゃない?
 A・…聞くな!!(血の涙)
       
「くっ…老い先短い年寄りに、夢を見させる事すらせんとは…何と非道な孫か…」
「アンタの夢は、前途ある若者の将来を潰しかねないじゃないか。温泉地でのハレンチ行為で捕まった
祖父の為に、合格取り消しだなんて、絶対ゴメンだね」

 そもそもあたしが当てた旅行だし、という至極もっともな意見で透瑠の言葉が締めくくられる。
 一緒は、額に青筋を浮かべ、ぐぎぎ、と歯軋りをした後、がっくりと項垂れた。

「――見損なったぞ透瑠。ワシがそこまでスピンを愚弄していると思っとったのか。…ワシとて科学
者の端くれだ。だがな、それ以前に一人の人間なんだぞ?綺麗な景色、澄んだ空気を己の最高傑作た
るスピンと共に感じたい――…そう思って何が悪いと言うんだ」

 項垂れたままの一緒の声は、心底落胆したようで、さすがに透瑠の胸も微かに痛んだ。

「…じじい…」
「スピンに今まで苦労をかけてきたと思うのはワシも同じだ。だからこそ、ワシの手で最高の状態に
保たれたスピンによってその素晴らしい景色の記憶を残したいと思っておるのだ!分かったか!!!!」

 どん、と効果音でも付きかねない程の迫力でもって、一緒は透瑠に向き直った。

「……」
 ちょいちょい。
「なんですか透瑠さん?」

 しばし無言で向かい合いつつ、透瑠は手招きでスピンを呼び寄せる。
「スピン。あのじじいの顔見てごらん」
「?」
 言われて、スピンは一緒の顔を見た。

 ――ピッ。

『エロを感知しました』
「ギニャァァァァァァァアアアアアッ!!!!!!」
 ――やっぱりか。
 エロ防止装置により夜空の星となった祖父の姿を尻目に、透瑠は二度目の食後の茶をゆっくりと喫
していた。

*     
 その夜、猫耳アパート『男物だけど濡れた服よりマシだろ』号室の片隅に青白い光が瞬いていた。
 と、たまたま付近を通った近隣住民は証言する。

 ついでに、『コノウラミハラサデオクベキカ』という怨念染みた、老人の低いうめき声も耳にした。
と。
 ただし、あまりの不気味さに証言者が逃げ出したため、声の主が薔薇柄のシャツを身に着けていた
かどうかは不明である。
 そんな呪詛は欠片も知ることなく、同号室の自室で次の日からの旅路を夢見る少女は、心地良い眠
りについていた。

 その日、自分の元に運命の女神が微笑んだ――と、少女――部井透瑠は後に回想する。
 だが、災厄の種を持つ悪魔もまた、同時に微笑んだのだった――そう続けて回想する事になろうと
は、この時はまだ欠片も気付かずに、安らかに眠っていたのだ。

*      
 長距離バスがトンネルをいくつも抜け、山間へと近づく度に、周りの風景は雪で白く染まっていく。
 所々から、温かそうな湯煙が昇る様を目にし、透瑠は、ようやく遠くへ来たのだという実感を持つ
ようになった。

「わあっ、あそこが温泉なんですね透瑠さん!」
「うん。これからお世話になる旅館もあの辺にあるから、着いたらちょっと周りを歩いてみようか」
 透瑠の提案に、スピンは目を輝かせた。
「温泉にも入れますか!?」
「勿論。『今の体』なら大丈夫だよ」
 そう透瑠が話しかける相手は、同じスピンではあったが、数日前のような幼女の姿をとってはいな
かった。

 背丈も外見年齢も透瑠とほぼ同じ位のツインテールの少女の体は、スピンが『女子高生』の姿で学
校に通う時に使用するボディである。
 エネルギー消費が激しいのが難点だが、ノーマルボディと異なり防水加工も施されているので、ロ
ボットでも温泉に入れるという利点もある。
 ――誰に対する利点かと言えば、元々はエロ願望しか持たない一緒に対してなのだが、今の透瑠に
とっても、損な話ではなかった。

 …せっかくの温泉なのに、スピンを部屋に置いてけぼりにして自分だけ悠々と温泉に浸かるっての
も、何だしねえ。

 昨日の一緒のセリフではないが、透瑠もまた製造されて間もないスピンに、色々(非エロ)な経験
をさせたいという親心染みた考えを抱いてはいた。
 普段、代わり映えの無い日常を送るスピンへの、ささやかな贈り物、といったところか。
「さて、と。もうすぐ目的地に着くから、降りる準備しようか」
「はい!」
 おんせん、おんせん、と鼻歌を歌いながらごそごそと手繰るスピンの手荷物は――バックアップ用
のノートパソコンや、予備バッテリーその他、こまごまとしたパーツなど、温泉旅行としてはどうか
と思う中身だったのだが。


「ようこそ『新春山村荘』へいらっしゃいましー。部井様でいらっしゃいますね?御待ちしておりま
したー」

 旅館に着いて早々、柔らかな笑みをもって二人に頭を下げる女将(外見は女将というより、大沢家
政婦事務所から派遣されてきた人に大変よく似ている)に、透瑠とスピンもまた、頭を下げ返す。

「年明け早々すみません。二日間、よろしくお願いします。――ええと、前もって連絡はしたと思う
のですが、食事は…」
「お一人様分だけで宜しいと。はい、伺っておりますー。お連れ様の体質はどうしようもございませ
んものねえ」
 大福帳に目を通しつつ、ころころと笑う(声も、今にも『むかーし、むかし』と言い出しそうな位
似ている)女将に引きつった笑みを返しながらも、透瑠は心の片隅で、騙しているような(実際騙し
ているのだが)申し訳ない気分を覚えていた。

 温泉に関しては何とかなっても、食事はどうにもならないのがスピンの体である。
 故に、周りにはアレルギー体質と称して、スピンには外食の類は一切取らせないのだが、この対応
だけはいつまで経っても慣れない。

 叶うなら、食事もいっしょに摂る事が出来れば――思うこともある。
 しかし反面、食費が浮く、という意味で便利だと思うこともある訳で。

 どれだけロボット工学が進歩したとしても、悩みの種は尽きまじ、なのだ。

「新春さんしょんしょ…新すん山村荘…新春しゃんしょん…「スピン、言えないなら無理に言わなく
ていいから」
 当のスピンは透瑠の心情を知らぬまま、今から泊まる宿の名前を小さく連呼していた。
 どうでもいいが、新春以外の季節もこの宿はこの名前なのだろうか。
 本当にどうでもいいが。

 どさどさっ。

 こじんまりした和室――『枯葉の間』という(ちなみに隣室は『ろくでなしの間』だった。何だか
ブルースも似合いそうな名である)――に、二人分の荷物を置く音が響いた。
「ふう、商店街の福引きにしては、割といい部屋だね。眺めもいいし」
 大窓の外は、雪景色もあいまって、水墨画の如き清冽さを二人にもたらしてくれる。

 こんな風景、街中に居たままだったら、けして味わう事が出来なかっただろう。
 透瑠は、改めて自分の強運に感謝した。

「本当すごいですねー!この部屋、レンズの倍率上げたら、露天風呂丸見えですよ透瑠さん」
「ぶっ!!」
 無邪気にはしゃぐスピンの声に、透瑠は啜りかけていた茶を噴きだした。
 言葉に悪意が全く無いだけに、かえって生々しい。
「博士が来てたら、喜んだでしょうねえ」
「げほっごほっ…そ、そうだね…」

 ――本当に、本当にあのクソジジイが来なくて良かったよ。

 茶にむせながら、孫娘が心底強く思った事など、遠く逢魔市の猫耳アパートで一人エロDVD鑑賞に
耽る一緒には、知る余地もない事だったという。

「そ、それよりスピン、一息ついたとこだし温泉入る準備でもしようか。エロ防止装置のロックも外
さないとね」
 バックアップ用のPCを立ち上げながら問う言葉にスピンは明るくはい、と答えた。
「さっきの露天風呂に入るんですか?」
「いや…ここ、家族風呂があったから、まずはそっちに入ってみようか。…スピンに何かあったら大
変だし」
 ロックの解除プログラムを打ち込みつつ、透瑠は苦笑い混じりに答える。

 簡単なメンテナンス程度なら自分の腕でも出来るのだが、万が一の事態に陥った場合、最悪、この
地にあのド変態を招かねばならない。
 それだけは勘弁して欲しかったし、その為には徐々にハードルを上げるべきだと、透瑠は判断した
のだった。

 ――というのは建前で。
 本音の一つに、露天風呂で自分のAAAカップの胸を晒したくn――ごぎゃあっ!ゴメンナサイ許して
下さいっ!…はあはあ…もとい、白昼から嫁入り前の肌を他人に見せるのを苦手としたからでもあった
のだが。

「どうしたんです透瑠さん?急にあさっての方向に千烈脚なんて。エア・ストリートファイトですか?」
「何でもないよ。…ただ、ちょっとムカつくセリフが聞こえてきた気がしただけだから…さて、解除
完了、と」
 エンターキーを押すと同時に『プログラム解除イタシマシタ』という機械音声が、スピンのエロ防
止装置の解除を告げる。
「じゃあ、いっしょにおフロ入ろうか!」
「はい!」

 …十数分後、『新春山村荘』家族風呂に女性のものとも思えないほどの絶叫が響き渡ろうとは、こ
の時、誰も知るはずが無かった。

      
「お客様ー?どうかなさいましたかー?」
 札を立てた脱衣所の戸を叩く女将の声に、透瑠は平常心を持ち出せるだけ持ち出したような声で、
何でもありません、と返した。
「ちょ、ちょっと転んでしまっただけですから…ご迷惑かけて申し訳ありません」
 勿論、実際は誰も転んでなどいない。
 だが、目の前に起きた非常識事態を、どう説明すればいいと言うのか。
          
 あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!
『あたしは女同士脱衣所で服を脱いでいたと思っていたら いつの間にかスピンの股間に助六寿司が
出現していた』
 な…何を言っているのかわからねーと思うが あたしも何を見たのか一瞬わからなかった…
 頭がどうにかなりそうだった…
 キノコを大きくするキノコだとかドッキリ企画だとか そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
 もっと恐ろしい業の片鱗を味わったぜ…(AA略)
         
 …つまり、そういう事なのだ。

 今、下着姿の透瑠の目の前で全裸(風呂に入るのだから裸で当然なのだ)になったスピンの股間、
通常なら何もない筈のその場所に、成人男性の性器――ご丁寧に竿だけでなく袋まで付いている――が
突如、鎮座してしまったのだ。

「な…な…なんで」
「どうしたんです透瑠さん?」
「どうしたって…スピン、こ、コレどうしたの?」
「?」
 疑問符を掲げ、スピンは自らの股間を見る。

 ――いやスピン、そんなの触んなくていいから。揉まなくてもいいから。

 透瑠は首から上を真っ赤にさせつつ、心でツッコミを入れた。
「あー…、ゴメン、聞き方が悪かったね。スピン、あのクソジジイが『何の為に』そんなモン付けた
か、あたしに教えてくんない?」
「博士が『温泉に入る時に絶対必要なオプションだ』って言ってましたから。温泉って、胸がまっ平
らか、あそこにオチンチンが無いと入れないって。…その、私も入りたかったですし…」

 プチン。

 あ・の・色ボケ老人…っっ!!!!
 純真なロボット騙くらかしてまであたしにイヤガラセしたかったのかああぁぁあぁーーーーっ!!!!!

*    
 かぽーん。(場面転換SE)

「…大丈夫ですか透瑠さん?」
「……まあ、何とか落ち着いたよ。あのクソジジイに対しては後で文句言っとくとして…今は温泉を
楽しまなくちゃね」

 正直、全然大丈夫ではない。

 今から引き返してボケジジイの臓物ブチ撒けたい気分ではあったが、それこそ一緒の思う壺かと考
えると癪に障る。
 しかし考えてみれば女体バカ一代のあの男が、イヤガラセとは言えども、スピンに男性器を装着す
るという行為に踏み込むのはかなりの精神的ダメージを受ける作業ではなかろうか――かつて自分が
細工した時でさえ、かなりの衝撃を受けていたのだから。
 己の信念を曲げ、血の涙を流しつつ一晩でやってのけた一緒のジェバンニを思うと、ほんの少しだ
け溜飲が下がる気持ちもあった。

 というか思わないとやってけない。
 ぶくぶくと口元まで湯に浸かりつつ、透瑠はそう自分を納得させていた。

「たださ、その…言いにくいんだけど、そのカラダだとスピンは人前でお風呂に入れないよ。残念だ
けど、露天風呂は諦めなきゃね」
「はい…」
 湯煙に霞むスピンは心底しょんぼりしているようで、透瑠の心にチクリとした痛みを感じさせた。

 ――全く、なんて事してくれたんだよ。スピンにはなんの罪も無いってのに。

 ロボットであるスピンにとって温泉の(人間が一般的に感じる)心地良さや効能は、はっきり言って
無用の長物である。
 故に、楽しみにする物といえばそこから目にする光景や音、人とのコミュニケーションなどであろ
うが、今の状況では楽しみも半減といったところであろう。

 ひょっとしたら――今、ここに来た事を後悔しているかもしれない。
 あたしが誘った事を、恨んでいるかもしれない。

「…ごめん」
 溢れ出した罪悪感からの言葉に、スピンが透瑠を見た。
 長い時間湯に浸かりながら尚白いままの肌が、妙にまぶしく見えて――透瑠は視線を逸らした。
「あたしのワガママ…なんかに付き合わせたせいで、スピンに辛い目に遭わせる事になっちゃってさ
…本当、ごめん」

 ――今が湯煙の中で良かった。
 掛けた眼鏡が白く曇り、相手に自分の表情がわからなくなっている事に、透瑠は少し感謝した。

 あーあ。なにやってんだろあたし。
 こんな思いする為に温泉旅行なんかに来た訳じゃないのに。

 鼻の奥がツンと痛み、柄にも無い表情になっていくのを自覚した瞬間――ばしゃん、という水音と
共に、透瑠の体が湯船に沈んだ。
「っ!!?ごぼっ…っぷあっ!スピン!?」
 まさか殺意まで!?ぞくりと背を震わせた透瑠の憶測はしかし、目の前で満面の笑みで抱きつくスピ
ンの表情によって打ち消された。
「…スピン…?」
「透瑠さん、私、辛いなんて全然思ってないですよ。…私、透瑠さんといっしょに温泉に来られて良
かったって思ってますもの」
「……」
「ホラ、その…大学の推薦合格のお祝いも、ちゃんと出来ませんでしたし…本当は、私が福引きを当
てたかったんですけどね。だから…」
 そんな表情しないで下さい。スピンはそっと透瑠の眼鏡を外すと、こつん、と額を重ね合わせた。

 ――どきん。
 何気ない筈のスピンの仕草に、透瑠の胸が断続的なビートを刻みはじめる。

 …うわあ。何であたしドキドキしてんの?スピンはロボットで家族で――…一応女の子、で…。
 そういや今のスピンの股間には…あ…アレが…。
 ひゃああっ!あ、あたしの太股に当たってるんだけどっ?

「どうしたんです透瑠さん?なんか心拍数、上がってますけど」
 きょとんとした表情で尋ねるスピンの言葉も、妙に意識し始めた透瑠の耳を素通りするばかりだった。
「透瑠さん?」

 ああ、あたしなんでスピンに抱きつかれてんだっけ。…頭ン中ぐらぐらしてきちゃったよ…。
 それにしても…悔しいけど、スピンの胸、あたしよりも…やわら…か…。

 くてん、と首を曲げ、そのまま透瑠はスピンの腕の中で意識を手放した。
 真っ暗闇な状態の中、透瑠は水音と同時にふわふわと体が宙に浮いているような感覚を憶えていた。

 かぽーん。(場面転換SE)

******
 ――これが『湯当たり』というものなんだろうか。
 そういえば、修学旅行の時も何人か、旅館の風呂から上がった後に、こんなふうにぐったりしたク
ラスメイトを見たような気がする。

 脱衣所で、肌を紅く染めた透瑠の姿を目に、スピンは冷静に過去のメモリを思い返していた。
「透瑠さん、服を着ないと風邪引いちゃいますよ」
「…うー…」
 スピンの腕の中で、小さくうめく声――しかし、透瑠はまだ熱に浮かされた状態から目覚めそうに
も無かった。
「体、拭きますね」
 自分の体ならともかく、人間の体である透瑠の場合は、このまま放置していては季節柄問題がある。
判断の末、スピンは透瑠を腕に抱いたまま、脱衣カゴからタオルを取り出すと、そっと温かな水滴が
伝う肌をタオルで拭った。

 髪留めを外した――透瑠は自分の髪形にコンプレックスを抱いているので、水分を取った後はちゃん
と結びなおす――髪から始まり、顔、首筋、腕と、タオルを持ったスピンの手が優しくなぞる。
 しっとりした肌を傷つけないように、あくまでそっと。
 薄い、だがそれでも微かな弾力を感じる胸に触れた時、腕の中の体が、ぴくんっ、と跳ねた。
「んっ…」
 ――気が付いたのだろうか。思ったが、違うようだった。
 けれど、どうしてさっきより心拍数が上がっているのだろう。心なしか、頬の赤味も増しているよ
うな気がする。

 何より表情が、普段の透瑠と違う。
 見ているこちらのモーター回転数が上がりそうな、頭のリミッターが外れてしまいそうな、蟲惑的
とでも表現するかのような顔。

 それを『感じている』のだと、気付くのは、残念ながらもっと先のことで。
 この時のスピンには、自分一人では解くことの出来ない謎を内に抱えながら、微かに震える透瑠の
体を伝う雫を拭う事しか出来なくて。

「……あっ…あ、れ…?」
「気が付きましたか透瑠さん?」

 体を反転させ、背中を拭いている時に胸の下で聞こえた声に、スピンも反応した。

 回転数が上昇していた自分のモーターの駆動音が、透瑠の耳に入っていなければいいのだけど、な
どと少し思ったのだが。
 何故かはスピン自身、あまりよくわかっていなかった。

「湯当たり起こしちゃったみたいですね。透瑠さん、お家のお風呂だとこんな長い間入ってませんか
ら…やっぱり、温泉っていいものなんですね。肌のキメも随分良くなってますよ」
 レンズの倍率を上げ、スピンは透瑠の肌の細かい部分を見た。
 自分の肌と異なる、天然の肌は、湯から上がりなおほの紅さを失ってはいなかった。

 そしてスピンはそんな体を――素直に『綺麗だ』と思っていた。

 できるなら、ずっとこうしていたい。柔らかくて、滑らかな人肌に、ずっと触れていたい。
 今まで抱いた事の無い思いに、どこかで戸惑いながらも、スピンは願ってしまったのだ。

「す、スピン、ちょっと…体離してくれないかな」
「?」
 淡い願いを遮る声に疑問符が浮かぶ。
「その、あああたしの目の前…」
 言われてスピンもはっとなる。
 ――今、スピンが透瑠を抱きながら透瑠の背中を拭いていると言う事は、透瑠の顔はスピンの肌に
密着している訳で。
 ついでに言えば、今透瑠の顔のある場所は、ご丁寧にも件の『助六寿司』のある場所で。

「ひゃああああぁぁぁああーーっ!!!!す、すみませえぇえんっ!!」
「わあああああーーーーっ!」

 さっきは全然気にしてなかったのに、今になって、どうしてこんなに意識してしまうのか。
 わからないまま大声を上げるスピンとつられて叫んでしまった透瑠。

 凸凹コンビ二人だけの旅の日々は、まだ始まったばかりだという。