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*      
 長距離バスがトンネルをいくつも抜け、山間へと近づく度に、周りの風景は雪で白く染まっていく。
 所々から、温かそうな湯煙が昇る様を目にし、透瑠は、ようやく遠くへ来たのだという実感を持つ
ようになった。

「わあっ、あそこが温泉なんですね透瑠さん!」
「うん。これからお世話になる旅館もあの辺にあるから、着いたらちょっと周りを歩いてみようか」
 透瑠の提案に、スピンは目を輝かせた。
「温泉にも入れますか!?」
「勿論。『今の体』なら大丈夫だよ」
 そう透瑠が話しかける相手は、同じスピンではあったが、数日前のような幼女の姿をとってはいな
かった。

 背丈も外見年齢も透瑠とほぼ同じ位のツインテールの少女の体は、スピンが『女子高生』の姿で学
校に通う時に使用するボディである。
 エネルギー消費が激しいのが難点だが、ノーマルボディと異なり防水加工も施されているので、ロ
ボットでも温泉に入れるという利点もある。
 ――誰に対する利点かと言えば、元々はエロ願望しか持たない一緒に対してなのだが、今の透瑠に
とっても、損な話ではなかった。

 …せっかくの温泉なのに、スピンを部屋に置いてけぼりにして自分だけ悠々と温泉に浸かるっての
も、何だしねえ。

 昨日の一緒のセリフではないが、透瑠もまた製造されて間もないスピンに、色々(非エロ)な経験
をさせたいという親心染みた考えを抱いてはいた。
 普段、代わり映えの無い日常を送るスピンへの、ささやかな贈り物、といったところか。
「さて、と。もうすぐ目的地に着くから、降りる準備しようか」
「はい!」
 おんせん、おんせん、と鼻歌を歌いながらごそごそと手繰るスピンの手荷物は――バックアップ用
のノートパソコンや、予備バッテリーその他、こまごまとしたパーツなど、温泉旅行としてはどうか
と思う中身だったのだが。


「ようこそ『新春山村荘』へいらっしゃいましー。部井様でいらっしゃいますね?御待ちしておりま
したー」

 旅館に着いて早々、柔らかな笑みをもって二人に頭を下げる女将(外見は女将というより、大沢家
政婦事務所から派遣されてきた人に大変よく似ている)に、透瑠とスピンもまた、頭を下げ返す。

「年明け早々すみません。二日間、よろしくお願いします。――ええと、前もって連絡はしたと思う
のですが、食事は…」
「お一人様分だけで宜しいと。はい、伺っておりますー。お連れ様の体質はどうしようもございませ
んものねえ」
 大福帳に目を通しつつ、ころころと笑う(声も、今にも『むかーし、むかし』と言い出しそうな位
似ている)女将に引きつった笑みを返しながらも、透瑠は心の片隅で、騙しているような(実際騙し
ているのだが)申し訳ない気分を覚えていた。

 温泉に関しては何とかなっても、食事はどうにもならないのがスピンの体である。
 故に、周りにはアレルギー体質と称して、スピンには外食の類は一切取らせないのだが、この対応
だけはいつまで経っても慣れない。

 叶うなら、食事もいっしょに摂る事が出来れば――思うこともある。
 しかし反面、食費が浮く、という意味で便利だと思うこともある訳で。

 どれだけロボット工学が進歩したとしても、悩みの種は尽きまじ、なのだ。

「新春さんしょんしょ…新すん山村荘…新春しゃんしょん…「スピン、言えないなら無理に言わなく
ていいから」
 当のスピンは透瑠の心情を知らぬまま、今から泊まる宿の名前を小さく連呼していた。
 どうでもいいが、新春以外の季節もこの宿はこの名前なのだろうか。
 本当にどうでもいいが。

 どさどさっ。

 こじんまりした和室――『枯葉の間』という(ちなみに隣室は『ろくでなしの間』だった。何だか
ブルースも似合いそうな名である)――に、二人分の荷物を置く音が響いた。
「ふう、商店街の福引きにしては、割といい部屋だね。眺めもいいし」
 大窓の外は、雪景色もあいまって、水墨画の如き清冽さを二人にもたらしてくれる。

 こんな風景、街中に居たままだったら、けして味わう事が出来なかっただろう。
 透瑠は、改めて自分の強運に感謝した。

「本当すごいですねー!この部屋、レンズの倍率上げたら、露天風呂丸見えですよ透瑠さん」
「ぶっ!!」
 無邪気にはしゃぐスピンの声に、透瑠は啜りかけていた茶を噴きだした。
 言葉に悪意が全く無いだけに、かえって生々しい。
「博士が来てたら、喜んだでしょうねえ」
「げほっごほっ…そ、そうだね…」

 ――本当に、本当にあのクソジジイが来なくて良かったよ。

 茶にむせながら、孫娘が心底強く思った事など、遠く逢魔市の猫耳アパートで一人エロDVD鑑賞に
耽る一緒には、知る余地もない事だったという。

「そ、それよりスピン、一息ついたとこだし温泉入る準備でもしようか。エロ防止装置のロックも外
さないとね」
 バックアップ用のPCを立ち上げながら問う言葉にスピンは明るくはい、と答えた。
「さっきの露天風呂に入るんですか?」
「いや…ここ、家族風呂があったから、まずはそっちに入ってみようか。…スピンに何かあったら大
変だし」
 ロックの解除プログラムを打ち込みつつ、透瑠は苦笑い混じりに答える。

 簡単なメンテナンス程度なら自分の腕でも出来るのだが、万が一の事態に陥った場合、最悪、この
地にあのド変態を招かねばならない。
 それだけは勘弁して欲しかったし、その為には徐々にハードルを上げるべきだと、透瑠は判断した
のだった。

 ――というのは建前で。
 本音の一つに、露天風呂で自分のAAAカップの胸を晒したくn――ごぎゃあっ!ゴメンナサイ許して
下さいっ!…はあはあ…もとい、白昼から嫁入り前の肌を他人に見せるのを苦手としたからでもあった
のだが。

「どうしたんです透瑠さん?急にあさっての方向に千烈脚なんて。エア・ストリートファイトですか?」
「何でもないよ。…ただ、ちょっとムカつくセリフが聞こえてきた気がしただけだから…さて、解除
完了、と」
 エンターキーを押すと同時に『プログラム解除イタシマシタ』という機械音声が、スピンのエロ防
止装置の解除を告げる。
「じゃあ、いっしょにおフロ入ろうか!」
「はい!」

 …十数分後、『新春山村荘』家族風呂に女性のものとも思えないほどの絶叫が響き渡ろうとは、こ
の時、誰も知るはずが無かった。

      
「お客様ー?どうかなさいましたかー?」
 札を立てた脱衣所の戸を叩く女将の声に、透瑠は平常心を持ち出せるだけ持ち出したような声で、
何でもありません、と返した。
「ちょ、ちょっと転んでしまっただけですから…ご迷惑かけて申し訳ありません」
 勿論、実際は誰も転んでなどいない。
 だが、目の前に起きた非常識事態を、どう説明すればいいと言うのか。
          
 あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!
『あたしは女同士脱衣所で服を脱いでいたと思っていたら いつの間にかスピンの股間に助六寿司が
出現していた』
 な…何を言っているのかわからねーと思うが あたしも何を見たのか一瞬わからなかった…
 頭がどうにかなりそうだった…
 キノコを大きくするキノコだとかドッキリ企画だとか そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
 もっと恐ろしい業の片鱗を味わったぜ…(AA略)
         
 …つまり、そういう事なのだ。

 今、下着姿の透瑠の目の前で全裸(風呂に入るのだから裸で当然なのだ)になったスピンの股間、
通常なら何もない筈のその場所に、成人男性の性器――ご丁寧に竿だけでなく袋まで付いている――が
突如、鎮座してしまったのだ。

「な…な…なんで」
「どうしたんです透瑠さん?」
「どうしたって…スピン、こ、コレどうしたの?」
「?」
 疑問符を掲げ、スピンは自らの股間を見る。

 ――いやスピン、そんなの触んなくていいから。揉まなくてもいいから。

 透瑠は首から上を真っ赤にさせつつ、心でツッコミを入れた。
「あー…、ゴメン、聞き方が悪かったね。スピン、あのクソジジイが『何の為に』そんなモン付けた
か、あたしに教えてくんない?」
「博士が『温泉に入る時に絶対必要なオプションだ』って言ってましたから。温泉って、胸がまっ平
らか、あそこにオチンチンが無いと入れないって。…その、私も入りたかったですし…」

 プチン。

 あ・の・色ボケ老人…っっ!!!!
 純真なロボット騙くらかしてまであたしにイヤガラセしたかったのかああぁぁあぁーーーーっ!!!!!

*    
 かぽーん。(場面転換SE)

「…大丈夫ですか透瑠さん?」
「……まあ、何とか落ち着いたよ。あのクソジジイに対しては後で文句言っとくとして…今は温泉を
楽しまなくちゃね」

 正直、全然大丈夫ではない。

 今から引き返してボケジジイの臓物ブチ撒けたい気分ではあったが、それこそ一緒の思う壺かと考
えると癪に障る。
 しかし考えてみれば女体バカ一代のあの男が、イヤガラセとは言えども、スピンに男性器を装着す
るという行為に踏み込むのはかなりの精神的ダメージを受ける作業ではなかろうか――かつて自分が
細工した時でさえ、かなりの衝撃を受けていたのだから。
 己の信念を曲げ、血の涙を流しつつ一晩でやってのけた一緒のジェバンニを思うと、ほんの少しだ
け溜飲が下がる気持ちもあった。

 というか思わないとやってけない。
 ぶくぶくと口元まで湯に浸かりつつ、透瑠はそう自分を納得させていた。

「たださ、その…言いにくいんだけど、そのカラダだとスピンは人前でお風呂に入れないよ。残念だ
けど、露天風呂は諦めなきゃね」
「はい…」
 湯煙に霞むスピンは心底しょんぼりしているようで、透瑠の心にチクリとした痛みを感じさせた。

 ――全く、なんて事してくれたんだよ。スピンにはなんの罪も無いってのに。

 ロボットであるスピンにとって温泉の(人間が一般的に感じる)心地良さや効能は、はっきり言って
無用の長物である。
 故に、楽しみにする物といえばそこから目にする光景や音、人とのコミュニケーションなどであろ
うが、今の状況では楽しみも半減といったところであろう。

 ひょっとしたら――今、ここに来た事を後悔しているかもしれない。
 あたしが誘った事を、恨んでいるかもしれない。

「…ごめん」
 溢れ出した罪悪感からの言葉に、スピンが透瑠を見た。
 長い時間湯に浸かりながら尚白いままの肌が、妙にまぶしく見えて――透瑠は視線を逸らした。
「あたしのワガママ…なんかに付き合わせたせいで、スピンに辛い目に遭わせる事になっちゃってさ
…本当、ごめん」

 ――今が湯煙の中で良かった。
 掛けた眼鏡が白く曇り、相手に自分の表情がわからなくなっている事に、透瑠は少し感謝した。

 あーあ。なにやってんだろあたし。
 こんな思いする為に温泉旅行なんかに来た訳じゃないのに。

 鼻の奥がツンと痛み、柄にも無い表情になっていくのを自覚した瞬間――ばしゃん、という水音と
共に、透瑠の体が湯船に沈んだ。
「っ!!?ごぼっ…っぷあっ!スピン!?」
 まさか殺意まで!?ぞくりと背を震わせた透瑠の憶測はしかし、目の前で満面の笑みで抱きつくスピ
ンの表情によって打ち消された。
「…スピン…?」
「透瑠さん、私、辛いなんて全然思ってないですよ。…私、透瑠さんといっしょに温泉に来られて良
かったって思ってますもの」
「……」
「ホラ、その…大学の推薦合格のお祝いも、ちゃんと出来ませんでしたし…本当は、私が福引きを当
てたかったんですけどね。だから…」
 そんな表情しないで下さい。スピンはそっと透瑠の眼鏡を外すと、こつん、と額を重ね合わせた。

 ――どきん。
 何気ない筈のスピンの仕草に、透瑠の胸が断続的なビートを刻みはじめる。

 …うわあ。何であたしドキドキしてんの?スピンはロボットで家族で――…一応女の子、で…。
 そういや今のスピンの股間には…あ…アレが…。
 ひゃああっ!あ、あたしの太股に当たってるんだけどっ?

「どうしたんです透瑠さん?なんか心拍数、上がってますけど」
 きょとんとした表情で尋ねるスピンの言葉も、妙に意識し始めた透瑠の耳を素通りするばかりだった。
「透瑠さん?」

 ああ、あたしなんでスピンに抱きつかれてんだっけ。…頭ン中ぐらぐらしてきちゃったよ…。
 それにしても…悔しいけど、スピンの胸、あたしよりも…やわら…か…。

 くてん、と首を曲げ、そのまま透瑠はスピンの腕の中で意識を手放した。
 真っ暗闇な状態の中、透瑠は水音と同時にふわふわと体が宙に浮いているような感覚を憶えていた。

 かぽーん。(場面転換SE)

******
 ――これが『湯当たり』というものなんだろうか。
 そういえば、修学旅行の時も何人か、旅館の風呂から上がった後に、こんなふうにぐったりしたク
ラスメイトを見たような気がする。

 脱衣所で、肌を紅く染めた透瑠の姿を目に、スピンは冷静に過去のメモリを思い返していた。
「透瑠さん、服を着ないと風邪引いちゃいますよ」
「…うー…」
 スピンの腕の中で、小さくうめく声――しかし、透瑠はまだ熱に浮かされた状態から目覚めそうに
も無かった。
「体、拭きますね」
 自分の体ならともかく、人間の体である透瑠の場合は、このまま放置していては季節柄問題がある。
判断の末、スピンは透瑠を腕に抱いたまま、脱衣カゴからタオルを取り出すと、そっと温かな水滴が
伝う肌をタオルで拭った。

 髪留めを外した――透瑠は自分の髪形にコンプレックスを抱いているので、水分を取った後はちゃん
と結びなおす――髪から始まり、顔、首筋、腕と、タオルを持ったスピンの手が優しくなぞる。
 しっとりした肌を傷つけないように、あくまでそっと。
 薄い、だがそれでも微かな弾力を感じる胸に触れた時、腕の中の体が、ぴくんっ、と跳ねた。
「んっ…」
 ――気が付いたのだろうか。思ったが、違うようだった。
 けれど、どうしてさっきより心拍数が上がっているのだろう。心なしか、頬の赤味も増しているよ
うな気がする。

 何より表情が、普段の透瑠と違う。
 見ているこちらのモーター回転数が上がりそうな、頭のリミッターが外れてしまいそうな、蟲惑的
とでも表現するかのような顔。

 それを『感じている』のだと、気付くのは、残念ながらもっと先のことで。
 この時のスピンには、自分一人では解くことの出来ない謎を内に抱えながら、微かに震える透瑠の
体を伝う雫を拭う事しか出来なくて。

「……あっ…あ、れ…?」
「気が付きましたか透瑠さん?」

 体を反転させ、背中を拭いている時に胸の下で聞こえた声に、スピンも反応した。

 回転数が上昇していた自分のモーターの駆動音が、透瑠の耳に入っていなければいいのだけど、な
どと少し思ったのだが。
 何故かはスピン自身、あまりよくわかっていなかった。

「湯当たり起こしちゃったみたいですね。透瑠さん、お家のお風呂だとこんな長い間入ってませんか
ら…やっぱり、温泉っていいものなんですね。肌のキメも随分良くなってますよ」
 レンズの倍率を上げ、スピンは透瑠の肌の細かい部分を見た。
 自分の肌と異なる、天然の肌は、湯から上がりなおほの紅さを失ってはいなかった。

 そしてスピンはそんな体を――素直に『綺麗だ』と思っていた。

 できるなら、ずっとこうしていたい。柔らかくて、滑らかな人肌に、ずっと触れていたい。
 今まで抱いた事の無い思いに、どこかで戸惑いながらも、スピンは願ってしまったのだ。

「す、スピン、ちょっと…体離してくれないかな」
「?」
 淡い願いを遮る声に疑問符が浮かぶ。
「その、あああたしの目の前…」
 言われてスピンもはっとなる。
 ――今、スピンが透瑠を抱きながら透瑠の背中を拭いていると言う事は、透瑠の顔はスピンの肌に
密着している訳で。
 ついでに言えば、今透瑠の顔のある場所は、ご丁寧にも件の『助六寿司』のある場所で。

「ひゃああああぁぁぁああーーっ!!!!す、すみませえぇえんっ!!」
「わあああああーーーーっ!」

 さっきは全然気にしてなかったのに、今になって、どうしてこんなに意識してしまうのか。
 わからないまま大声を上げるスピンとつられて叫んでしまった透瑠。

 凸凹コンビ二人だけの旅の日々は、まだ始まったばかりだという。