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「…はい、包帯はこれで良し、と。軽くひねっただけだから、全治1週間といったトコかしら。勿論、
安静にしてね。ああ、そこらのヤブ医者なんか行かなくてもいいわよ。他に怪我した所も無いし、頭も
打ってないし」
 先程痛めた足首にてきぱきと処置を行う保険医の手つきを見ながら、あたしは黙ってうなづいた。
 外科医もやっていた、と噂に聞く目の前の先生は、女子に対してはまともな対応をするので、割と評
判がよいのだ。
「さて、次は外のいい体したコかしら?」
「彼は大丈夫だって言ってました」
「あら残念。でも一応診といたほうがいいんじゃないの?頭とか胸とかお尻とか」
 代わりにちょっと困った性癖を持っているため、男子からの評価は最悪だけど。

 受験生なら早く帰りなさい、というごもっともなセリフに促され、保健室を出ると、制服姿に着替え
た乾が扉の前に立っていた。

 お姉さ…阿久津くんって呼べばいいのかな…あの二人(?)の姿は無かった。
 いたらいたで、顔を合わせづらかっただろうから、あたしは少しホッとした。

「……」
「やっぱりひねってたって。縁起悪いよね受験生なのに」
「……」
「あたし、帰るね。乾はまだ残るんでしょ?ボタン、見つかってないって聞こえたよ」
「……」
 返事はない。
 ただ黙って、何か訴えるようにあたしを見る乾の目が、胸に痛くて、息苦しくて、辛くなる。
「…何か言ってよ」
「……夕利は、オレのボタン探してたんじゃねーのか」
          
「――はいっ!これで残る四天王関連は、只今席を外している乾君のボタンのみとなりました!…が!
乾君はそろそろ制限時間の1時間を過ぎてしまいそうです!このままでは失格になってしまいますよ!?
乾くーん?」
 窓の外からのアナウンスが再び呼んでいる。
 けれど、動かない目の前の姿に、あたしは期待してしまうのだ。
           
「オレは、夕利からボタンを受け取りたい。他の奴じゃ駄目だ」
「…後悔、するよ?」

 だって、あたしよりいい子なんていっぱいいて。
 乾はバカだから、それに気付いてなくて。

「しねーよ。何いまさらな事聞いてんだオマエ」
 乾はくしゃっとあたしの頭を撫でると、オレのバカが移っちまったんじゃねーか?と聞いてきた。
 困ったように笑う表情にあたしは耐え切れず、廊下の床に、幾滴もの涙の粒を落とした。
「うーー…」
「泣くなって。帰るならオレも一緒に帰るから。元々『ラブ・デス』なんて、オレどうだっていいし。
…あ、そうだ夕利」
「?」
 目を開けると、乾はあたしに背を向けて身を屈めた。って何してんの?
「足痛めたんだったら歩きづらいだろ。乗れ。背負ってやる」

 ……え゛。

「や、やややだよ!何考えてんの!?そんな小学生みたいな事あたししないよ!」
「体は小学生並みがいっちょ前のセリフ言うなって」
「余計なお世話!大体あたし歩けるし!そんなんで外出たら何言われるか…!」
「…見せ付けてやりたいんだよ、周りに。今背負ってんのがオレの彼女だって。オレが、一番好きな人
だって」

 バカだ。今更言うのも疲れるくらい、こいつ大バカだ。
 そんな恥ずかしい事、出来るわけないじゃない。
 そりゃアンタはドMだからそんなプレイも慣れっこでしょうけど。
 だけどあたしは…あたしは――。

「よいしょっと…あれ?夕利太ったか?」
 言うに事欠いてなんてこと口走りやがりますかこのバカ犬。…あれ?あたしまだ…。
「失礼ね、レディに体の重さを聞くなんて躾がなってないわよ」
「おわわわわわっ!?」
「きゃあああっ!?ぶ、ブラ孔雀先生!?何してんですか!!」
 乾の背に乗り、耳元に息を吹きかける保健医(ちなみに性別はレディではない。念の為)にあたしも
乾も目を白黒させた。
 正直言って、気持ち悪い。あ、乾の首筋トリハダ立ってる。
「何って、さっきから保健室の前で甘ったるい話なんかしてたのは誰よ。それにいい男に『乗れ』なん
て言われたら乗るのが礼儀でしょ」
「どこの礼儀ですか!」
「い、いいから先生、早く降りて下さい…」
 青ざめた顔の乾の言葉に、名残惜しそうに変態保険医は背中から降りた。
 いや、親指の爪噛みながらこっち見ないで下さい。

「わ、わかったわよ!乗るわよ!あたしが乗ればいいんでしょ!」

*        
 やれやれ、やっと終わったか。

 あの変態野郎の告白は、男に触れて人格が変わってしまった笛路の回し蹴りという、お約束によって
幕を閉じた。
 しかしアイツ結局何も変わってねえなあ。
「これでアイツらも帰り支度するだろうから、オレたちも引き上げるか」
 フェンスから手を離し屋上を後にしようとしたオレの足は、オレと融合したもう一人の存在によって
止められていた。
「矢射子?」
「…もうすこしだけ、待って」
「ん?」

「乾君!制限時間を今切ろうとしています!本来なら失格です!…しかしっ!もて四天王だけの特例に
より特別にオマケが付きましたっ!題して『3分間だけ待ってやろう』!」
「銃で括った髪撃ち落とされそうな題だな」

 オレのつっこみはグラウンドの明石に届くわけも無く、アナウンスは更に続く。

「ボタンを探している女子にも特別サービスで、乾君のボタンの番号を教えておきます!乾君のボタン
番号は…『1』!そのまんまです!安直です!さあ3分以内に探しだす事ができるのかーっ!?」

 来ねえと思うがな。あの男が今更のこのことグラウンドに戻ると思えない。
 というより、戻ってきたりなんかしたら、今度こそ本気でぶん殴りそうだ。

「3分で探して持ってくるのも難しいとは思いますが、そこは気力でカバーです!愛は心の仕事です、
と、かつて本当のロッカーと評された人は言ってました!……あ!今!校舎から――来たぁっ!主役は
遅れてやって来るのか乾一!」
「なにーっ!?」
 オレはフェンスに顔を近づけ、グラウンドを見た。だが姿は校舎の影になってまだ見えない。
「玄関を抜け、こちらに来ます!軽やかな足取り…で…?」
 明瞭さが売りの明石の声がよどむ。
 それもその筈、校舎の影から出て来たもて四天王最後の男は、背中に少女を背負ってグラウンドへと
やって来たのだから。
 …おいおい、どこの羞恥プレイだ。

「何やってんだアイツ…!」
 呆れてそれ以上声が出ない。馬鹿だとは知っていたがこれほどとは。
 背負われてる一口も災難だ。真っ赤になって背中で縮こまってるし。

 今時ラブコメディでもメロドラマでも、絶対やんねえぞこんなクサい展開。
 ああもう恥ずかしくて見てらんねえっ!

「あ、あー…乾君?えと、後ろに背負っているのは…というか、『ラブ・デス』は…?」
 引きつった声になりながらも尋ね、明石がマイクを向ける。
 今の彼女を動かすのはアナウンサー魂とかいうヤツなのだろう。あまり知りたくないが。
 マイクを向けられた乾は大きく息を吸い、

「待ってくれてすみません!でもっ、オレの彼女が怪我をしたので送って帰ります!」

 とグラウンドどころか学校中に轟くような声で答えたのだった。

「やっちまった…」
 ご丁寧に『オレの彼女』の部分を強調しやがって。
 階下から窓を開ける音や、女子のざわめく声が聞こえる。
 けれどあいつにしてみれば、こんな羞恥は慣れてるのだろう。
 むしろ、周りが恥ずかしがってるのだが、気付いてねえんだろうなあ。

「き…きたぁーーーーーっ!!!!これぞまさに『大・ドン・デン・返し!!』!」
「明石本当に大学1年生かって聞きたくなるな」
 わああああああああっ。
 二人の周りが歓声に包まれる。
 調子に乗ってくるくると笑顔で回っていた乾は、背後の一口に怒られたか、グラウンドに置きっぱな
しだったらしい自分の鞄を持つと、小走りで学校を後にした。

「あーあ…ありゃ一口も苦労するぞ。なにせ相手が底抜けの馬鹿だからな」
「そう、だね……でも」
 矢射子の言葉は、途中で声にならなくなり、代わりにオレは自分の目頭が勝手に熱くなっていくのを
感じていた。
「よ…よかっ…」
 視界が曇り、一滴、二滴。ぱたぱたと晴天の屋上に雫がこぼれる。

 オレはあいにくと、こういう事で泣くような青臭さは持ち合わせていない。
 今泣いてるのは100%矢射子の涙だ。大事な後輩を思うコイツの涙だ。
 だから――オレはただ素直に泣かせておこう、そう思った。
 例えオレの顔がみっともない泣き顔になっていたとしても。

*       
「ばか、バカバカバカバカバカ!信じらんないあんな大勢の前で!」」
「はいはい、オレはバカですよー。いいじゃねえか皆祝ってくれたし」
「さらし者扱いだってあんなの!面白半分で騒いだに決まってんじゃん!…責任取んなさいよバカ犬」
 オレの肩を掴む手に、力がこもる。おう、と言い返し、校門まで続く道を小走りに駆ける。

 本当はもっともっと、叫びだしたいくらい嬉しいんだ。――これでも我慢してんだぞ?

「あ、乾ちょっと下ろして」
「え?何だトイレか?」
「違うっ!…学校の門、くぐるの最後だからさ。自分の足でくぐりたいんだ」
 なるほど。納得したオレは身を屈めるとゆっくりと夕利を下ろした。
「…もう、この格好でここには来られないんだね」
「…ああ」
 次に来る時は学園祭か体育祭か…どちらにしても、学生としてこの学校に来る事は、もう、ない。
 教室にも、もうオレたちの居場所はない。

「一年と二年の時は、矢射子先輩追いかけてばっかりだったな。オマエ先輩の邪魔ばっかして」
「乾だって人の事言えないでしょ!全然女心わかってなかったし!」
 気持ちがわかったのが、先輩が卒業した日だったなんて、随分皮肉な話だった。
「まあ女心に関しては、今もまだまだわかってないと思うけどね」
「あーその言葉そっくり返すぞ夕利。先輩のデートつけ回した挙句にラブホまで入っていきやがって。
巻き添えくらったオレはだな…」
 言いかけて、言葉が詰まる。

 あの通り雨の日――あの出来事がなかったら、オレは。
 傍らにいたコイツの温かみも、優しさも、気丈さも知らずにいたのか。

「…なによ」
「オレは…」

 色々言いたくて、でもオレはやっぱりバカだから、言葉にならなくて。
 目の前でへの字口にする、大好きな娘を――ただ、黙って抱きしめる事にした。

 かつん。
「…ん?夕利、ポケットから何か落ちたぞ?」
「え?何だろ」
 腕をほどき、アスファルトで舗装された地面を二人揃って見る。
 かすかに鈍く光るものを見つけ、拾い上げると学ランのボタンだった。
 なにやら番号が振ってある、という事は『ラブ・デス』のボタンか。
「何でボタンが」
「あ、保健室――あたし、診てもらった時、上着脱いでたから」
 という事はあの保健医の仕業か。
 …さっき耳に吹きかけられた吐息の生ぬるさを思い出し、オレの背筋に悪寒が走る。
「『ラブ・デス』、結局ボタン探せなかったね」
「いーんじゃねーか?結果は決まってたし」

 オレが誰からボタンを貰っても、夕利が誰のボタンを手にしても。
 何も変わらなかった。
 ――それはとても、幸福なことだ。

「ねえ、番号、何番?」
「知ってどうすんだよ」
「いいじゃない。教えてーよー」
「いでで、わかったから髪引っ張んなって!…えーと」

 オレは言われるままボタンに書かれている番号を口にする。
 そのボタンの番号は――。

 また、別の機会に。