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何故ニセ科学を批判するのか

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pseudoctor

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何故ニセ科学を批判するのか

人それぞれ

…と言うとまるで冗談のようだが、これは重要なポイントである。現実のニセ科学批判には実に様々な動機がある。従って、ニセ科学批判を行う人々をまとめて「一派」のように看做すことは全くの間違いである(大多数のニセ科学擁護者は、もうこの時点で既に大きく間違えている)。ニセ科学批判はイデオロギーでもないし宗教でもない。
とは言え、ニセ科学批判の動機にも幾つかの典型的といえる考え方があるので、以下にそれを箇条書きにし、次項以下で詳述する。
  1. 「ウソはいけない」という動機
  2. 「社会に害をもたらす」という動機
  3. 「結局、自分達が損をするからやめよう」という動機
  4. 「科学の発展を妨げる」という動機
  5. 「社会が住み難くなるのは嫌だ」という動機
  6. 「(初等的なレベルの)間違いが広まっているので,間違いを指摘しましたが何か?」
  7. 「その他」

「ウソはいけない」という動機

「科学ではないのに科学を装う」のは単純に言ってウソツキだからいけないのである。
これには幾つかの反論が考えられる。まず「何故ウソがいけないのか」という反論があるかもしれない。しかし、残念ながらそれは(論じたいのはやまやまではあるが)「論点のすり替え」であると言わざるを得ない。何故なら、少なくとも我々が住んでいる社会においては「ウソはいけない」というのが一般的な合意事項だからである。
また、より現実的な立場から「許されるウソもある」という反論もあるかもしれない。確かにウソが許される場合もあるだろう。しかしそれはどのような状況でのウソなのかという事に強く依存する。つまり「許されるウソかどうか」は個別の状況を見て判断するしかないし、そういう特殊な状況はむしろ例外的である。従って、そのような特殊な状況であるという点が明確に示されない限りは「ニセ科学はウソであり、ウソは良くない」と判断するのが適切である。
更に「私には科学では無い事が容易に判断できるから、ウソにはあたらないだろう」という反論も考えられるが、これはどちらかというと定義の問題になるので、そちらを見て欲しい。

「社会に害をもたらす」という動機

上に述べた様に、単に「ウソはいけない」というだけでは反論の余地がある。また批判するにしても、道義的・道徳的な立場からの批判が中心にならざるを得ないだろう(勿論、そういう立場からの批判もアリである)。
一方で、批判対象を絞って、より強い批判を行おうという考え方もある。その場合の基準として考えられるのが「現に社会に害をもたらしているか、あるいは害をもたらす危険性が極めて高い」である。
この場合の批判は道義的なものに留まらず、もっと強いものになる。時には公的な手段や法律に訴えたりする事もあるかもしれない。「そこまでするなんて、お前は警察か」という意見があるかもしれないが、端的に言って「犯罪の予防と解決への協力は、市民の義務」なのではないだろうか(勿論「各自が出来る範囲内で」というのが原則である)。

「結局、自分達が損をするからやめましょう」という動機

上と似ているが、こちらは「害悪」の話ではなく「損得」の話である。
ニセ科学はしばしば、悪徳商法と結び付く。その中にも積極的に騙そうというものから善意で無邪気に信じ込んでいるだけのものまで様々な段階があるが、いずれにしても、このようなものに手を出して最終的に得をする可能性は殆ど無い。ウソをつかなければ出来ないような商売は、そもそも商売として成り立っていない。
「本人が喜んでやっているから良いではないか」という反論があるかもしれない。しかしこれまでの例を見る限り、巻き込まれた人、周囲の人々、最終的に破綻した事例等を総合的に考え合わせると「幸福になった人よりも不幸になった人の方が圧倒的に多い」と言わざるを得ない。
更に、このような商売が蔓延すると、直接関わった人が損をするだけでなく、まともに商売している人達の邪魔をする事になり、そちらにも損が及ぶ。それだけでなく、おかしな商売を取り締まる為の労力が増大していけば、それは社会の負担になり、最終的には「税金の値上げもしくは公共サービスの低下」という形で現われてくる。つまり、巡り巡って最終的には全く関係無い人達まで間接的な損失をこうむる結果になる。
大袈裟と思われるかもしれないが、どこかで歯止めをかけない限り、現実に起こり得る(というより、部分的には既に起こっている)話である。

「科学の発展を妨げる」という動機

どの分野でもそういう傾向があるが、ニセ物の方が本物より安易に結果が得られる(ように見える)。従って、ニセ科学が増えれば増えるほど、まともな科学は隅に追いやられていく。しかし勿論、ニセ科学は安易に見えるだけで成果が得られないので、結果として真面目に科学に取り組んでいる人がワリを食う。そしてその状況が長引けば、やがて科学の発展により恩恵をこうむってきた人(つまり、社会の構成員殆ど全て)にとって無視出来ない不利益をもたらす事になるだろう。

「社会が住み難くなるのは嫌だ」という動機

ここで「住み難い」とは前項で挙げた「科学の発展が阻害されて社会の構成員が不利益を蒙る」事も含まれるが、問題はそれだけではない。もし我々の社会で「見た目だけ繕った、受け取り手にとって都合の良いウソ」ばかりがもてはやされる様になったら、それは非常に住み難い社会になるだろうし、大袈裟に言えば「滅びへの道」であると考える。
また、そこまで極端にならずとも「ウソをウソだと指摘し難い社会」が住み難いだろうという事は容易に想像できるだろう。

「(初等的なレベルの)間違いが広まっているので,間違いを指摘しましたが何か?」

間違った知識が世の中に広まっているのは、単純に言って気持ち悪いので、訂正の為の努力をしているだけである。

「その他」

ここに上げたもの以外にも様々な理由が考えられるだろう。細かい事を言えば、人の数だけ理由があると言っても良いかもしれない。従って、それぞれの人がそれぞれの理由で批判する事は一概に否定されるものではない。しかし、一つだけ考えて欲しい事がある。
それは「自分なりの理由を明確に意識して欲しい」という事である。あなたの理由は、上に記した理由のどれかと一致するかもしれないし、全く別の理由なのかもしれない。いずれにしても「自分自身の心に対して、明確に理由を説明できる様にしておく事」が極めて大切であると考える。
さて「あなたの理由」は何だろうか?

リンク

それぞれの理由



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