九州大学生体解剖事件(きゅうしゅうだいがくせいたいかいぼうじけん)は、1945年に福岡県福岡市の九州帝国大学(現在の九州大学)医学部において米軍捕虜に対する生体解剖実験が行われた事件である。相川事件とも言われる。
1945年5月、九州方面を爆撃米空軍は福岡市において市街地に対して無差別爆撃を敢行している。(上坂(1982)、34頁)するために飛来したB-29が熊本県・大分県境で撃墜され、搭乗員のウイリアム・フレドリック少佐ら12名が捕らえられた。西部軍司令部は、裁判なしで12名の搭乗員の内、8名を死刑処分とすることにした。それを知った九州帝大卒で病院詰の小森見習士官は、岩山福太郎主任外科部長(教授)と共に、8名を生体解剖に供することを軍に提案した。これを軍が認めたため、8名は九州帝国大学へ引き渡された。8名の捕虜は収容先が病院であったため健康診断を受けられると思い、「サンキュー」と言って医師に感謝したという。
生体解剖は1945年5月17日から6月2日にかけて行われた。指揮及び執刀は岩山主任外科部長であった。
軍人5名が肝臓を試食したとする容疑については、GHQ捜査官による全くのでっち上げで、当時においても死刑求刑後11日目に被疑者全員がGHQによって無罪放免にされている上坂(1982)、147頁。。
なお、戦後、戦争犯罪として裁かれた裁判では複数の被告人に死刑判決が下されたが、獄中自殺した1名を除き減刑された。ただし、のちに被告人の一部は自白の強要によって捏造された事件であると主張している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月21日 (火) 20:47。