北洋軍閥(ほくようぐんばつ)とは、中国の辛亥革命後における袁世凱が指揮をとっていた軍による政権である。
元々は、清朝末期の淮軍として結成されていた地方軍が主体となっている。
1901年、袁世凱は清の北洋大臣に就任し、西洋式の新しい北洋軍を設立した。その後、北洋軍が拡大し、北洋だけではなく中央や各地方にも鎮守することになった。辛亥革命後、袁世凱は革命軍に協力して、清王朝を滅亡させた。そのため、彼は中華民国の臨時大総統に就任した。
1916年に袁世凱が死ぬと北洋軍閥は、いくつかの分派に分裂する。
そのほか細かい分派には、以下などがある。
最初に中央政府の実権を握ったのは、日本の後押しを受けた段祺瑞の皖系だったが、1920年の安直戦争で直系と奉系の連合軍に敗れ勢力を失った(その後1926年に北洋政府に統合)。直奉の連合も長くは続かず、1922年に奉直戦争が勃発、2年に及ぶ戦闘の結果、張作霖の率いる奉系が勝利を収めた(その後直系は1927年に国民革命軍により滅ぼされた)。張は直系から寝返った馮玉祥との争いにも勝ち、中央政府の実権を握った。1925年に孫文が没する。
1926年に蒋介石を中心とする国民革命軍は北伐を開始し、同軍は1928年に張作霖を破り北京を占領する。張は奉天へ向かう途中関東軍により爆殺された。その結果奉系の政府も結束され、17年間の北洋軍閥政府は終わりを告げ、蒋介石の国民政府が中華民国唯一の政府になった。
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