大輝丸事件

大輝丸事件(だいきまるじけん)は、1922年大正11年)におこった、日本の海賊によるロシア人殺害事件である。

概要

大正11年9月、茨城県結城町の江連力一郎(当時34歳)は、神戸西之宮の相沢汽船会社所有の船 大輝丸740トンを用船し、オホーツク海に砂金採取に行くと称して、人夫60名を募集した。

9月26日北海道小樽を出航し、黒竜江河口の沖合でロシアのランチ1隻、発動機船1隻を略奪し、さらに北樺太のポコピー、デスカストリー付近で帆船1隻およびその積荷を略奪し、それと同時にロシア人船長以下12名および先の発動機船の乗組員4名を大輝丸の船員室に監禁した。

10月22日23日、この全員を甲板に引き出し、日本刀で殺害した。江連は、略奪品を小樽に荷揚げしたのち、人夫らを脅迫し僅かの金銭をあたえて解散した。

この事件は、人夫であった田中三木蔵および菊池種松の自首によって発覚した。

江連は同年12月に捕縛され、法廷において「尼港事件で殺害された日本人の霊をなぐさめるため、天にかわって正義の剣をとり、懲罰をこころみた」旨弁明した。江連は3年間、未決であったが、大正14年2月27日、懲役12年の刑に処せられた。

その後

江連はのちに数度にわたる特赦に浴し、昭和8年に出獄し、昭和9年、マリー・ローザンヌ号金塊引揚事件に関与して再び捕らえられた。



  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月13日 (木) 21:40。












   

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最終更新:2009年01月24日 21:46
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