前半は岩倉具視参照
※日付は明治4年までは旧暦。
京都・洛北の実相院近く(現・京都市左京区岩倉上蔵町)にあり、今は住宅や病院に囲まれている。数えの38歳で辞官・落飾した岩倉具視は地元の大工から古家を譲り受け、文久2年(1862年)9月から慶応3年(1867年)11月までの5年余り住んだ。幽居中とはいえ活発に政治活動を続けた具視はここでも浪士らにつけ狙われた。
建物は質素な平屋建て二棟で、うち南側(表側)の1棟は移住後の元治元年(1864年)に、増加する来客に対応するため増築したもの。具視死去後の明治35年(1902年)に、移住当初から建っていた北側の棟の屋根の一部が茅葺きから瓦葺きに改築されたがほぼ当時のまま残され、その後昭和7年(1932年)に国の史跡に指定されている。
現在は「財団法人岩倉公旧跡保存会」の手で管理され、有料で公開されている。敷地内には「対岳文庫」と名付けられた小さな博物館もあり、遺品等の収蔵品のごく一部は陳列されている。この収蔵品のうちの1011点は平成12年(2000年)に国の重要文化財に指定されている。
旧居内に上がって室内を見学することもできるが、あまり室内の清掃を行っていないため足裏が少し汚れることを了承のうえ見学すべきである。
昭和26年(1951年)発行開始の日本銀行券B五百円券、および昭和44年(1969年)発行開始のC五百円券に岩倉の肖像が採用された。C五百円券は500円硬貨の登場(昭和57年(1982年))後も、昭和60年(1985年)まで製造されていた。
村上天皇…(略)…具慶=具視━┳増子 ┏具栄━┳具忠 ┃ ┣=具定━┳周子 ┣具実 ┗具房 ┃具綱 ↑ ┣具張━╋具方 ┣具義 | ┣具幸 ┣初子 ┣具定―┘ ┣豊子 ┣雅子 ┣具経 ┣米子 ┣靖子 ┣極子 ┣具高 ┗凞子 ┣多治子 ┣具顕━┳具憲━━瑞江 ┣静子 ┣花子 ┗具子━━加山雄三━┳池端信宏 ┣寛子 ┣季子 ┣山下徹大 ┗道倶 ┗良具 ┣梓真悠子 ┗池端えみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月25日 (火) 09:03。