遼東半島(りょうとう(リャオトン)はんとう、中国語簡体字:Template:lang? Liáodōng Bàndăo)は中国遼寧省の南部に位置する中国第二の大きさの半島で、大連などの都市がある。遼東という名称は、遼河の東岸に位置する半島という意味である。
朝鮮半島の北西に位置し、旧満州南部から海を挟んだ対岸の山東半島へ向かって西南西へ飛び出した形となっている。半島の付け根は鴨緑江と遼河に挟まれており、半島部は西を渤海、南を黄海、南東を西朝鮮湾に囲まれている。主要都市は、最西端部に旅順や大連、半島付け根の渤海側に営口などがある。全体に山がちで平野は少ない。
遼東半島の都市群(遼東半島城市群)とは、遼東半島にある16個の都市の集合体のことである。
春秋時代より存在が確認され、燕の領土であった。後漢末になると、公孫氏が支配していた。三国時代では、公孫淵が呉と通じ魏から独立したが、司馬懿により滅ぼされ、司馬懿はさらに遼東に住む15歳以上の男子を数千人殺害した。このことが倭の卑弥呼が魏への遣使へと繋がったという説がある。
日本は日清戦争の講和条約である1895年の下関条約でここを割譲させたが、三国干渉にあって返還した。しかし日露戦争後のポーツマス条約で、日本は遼東半島のうち先端部にあたる関東州の租借地をロシアから獲得した。
その後、関東軍がこの近辺で満州事変を起こした。
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