「軍令部」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「軍令部」(2009/03/22 (日) 21:40:58) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
'''軍令部'''(ぐんれいぶ)とは[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の中央統括機関([[海軍省]]と共同で行う)である。海軍省が[[内閣 (日本)|内閣]]に従属し[[軍政]]・[[人事]]を担当するのに対し、軍令部は[[天皇]]に直属し、その[[統帥]]を輔翼(ほよく)する立場から、海軍全体の[[作戦]]・[[指揮 (軍事)|指揮]]を統括する。
==概要==
長たるものは軍令部長(後に軍令部総長)であり、[[天皇]]によって[[海軍大将]]又は[[中将]]が任命される。また、次長は総長を補佐する。この二官は[[御前会議]]の構成員でもある。
軍令部は主として作戦立案、用兵の運用を行う。また、戦時は[[連合艦隊司令長官]]が海軍の指揮・展開を行うが、作戦目標は軍令部が立案する。
設置当初、政府上層部は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]を尊重していたため、参謀本部での軍令部は陸軍の下に置かれた。しかし、[[太平洋戦争]]時の最高戦争指導会議では大きな発言力を持つこととなる。
== 沿革 ==
* [[1884年]]2月 海軍省達丙第21号により海軍省の外局組織として'''軍事部'''が設置
* [[1886年]]3月 参謀本部条例改正により'''参謀本部海軍部'''が設置され、軍政と軍令が分離された。
* [[1888年]]5月 海軍参謀本部となる。
* [[1889年]]3月 海軍参謀部となり、再び海軍省の管轄下となる。
* [[1893年]]5月 勅令第36号海軍省官制改訂により軍令の管轄が海軍省から分離独立し海軍参謀部に移される。
* [[1893年]]5月 勅令第37号海軍軍令部条例により'''海軍軍令部'''が設置される。軍令機関として陸軍の参謀本部と平時に限り対等となる。
* [[1903年]]12月 勅令第293号戦時大本営条例改訂により戦時においても軍令機関として陸軍の参謀本部と対等となる。
* [[1933年]]10月 軍令海第5号軍令部令により冠の"海軍"が外れ'''軍令部'''となり、海軍軍令部長から軍令部総長となる。
* [[1945年]]10月15日 軍令海第8号によって廃止される。
== 組織 ==
* 第一部 作戦担当
* 第二部 軍備担当
* 第三部 情報担当
* 第四部 通信担当
== 歴代軍令部総長 ==
海軍軍令部の長は以下のとおり
*氏名 (就任時の階級・出身地・[海兵([[海軍兵学校 (日本海軍)|海軍兵学校]])卒業期・海大([[海軍大学校]])卒業期)]) 就任日
#[[仁礼景範]]([[海軍少将]]・鹿児島):[[1886年]][[3月16日]] 海軍軍令部長から参謀本部次官、更に参謀本部海軍部長に改称。
#[[伊藤雋吉]](海軍少将・京都):[[1889年]][[3月8日]] 海軍参謀部長に改称。
#[[有地品之允]](海軍少将・山口):[[1889年]][[5月17日]]
#[[井上良馨]](海軍少将・鹿児島):[[1891年]][[6月17日]]
#[[中牟田倉之助]]([[海軍中将]]・佐賀):[[1892年]][[12月12日]] 海軍参謀部長から海軍軍令部長に改称。
#[[樺山資紀]](海軍中将・鹿児島):[[1894年]][[7月17日]]
#[[伊東祐亨]](海軍中将・鹿児島):[[1895年]][[5月11日]]
#[[東郷平八郎]]([[海軍大将]]・鹿児島):[[1905年]][[12月19日]]
#[[伊集院五郎]](海軍中将・鹿児島・海兵5期):[[1909年]][[12月1日]]
#[[島村速雄]](海軍中将・高知・海兵7期):[[1914年]][[4月22日]]
#[[山下源太郎]](海軍大将・山形・海兵10期):[[1920年]][[10月1日]]
#[[鈴木貫太郎]](海軍大将・千葉・海兵14期・海大1期):[[1925年]][[4月15日]]
#[[加藤寛治]](海軍大将・福井・海兵18期):[[1929年]][[1月22日]]
#[[谷口尚真]](海軍大将・広島・海兵19期・海大3期):[[1930年]][[6月11日]]
#[[伏見宮博恭王]](海軍大将・皇族・海兵16期):[[1932年]][[2月2日]] 海軍軍令部長から軍令部総長に改称。
#[[永野修身]](海軍大将・高知・海兵28期・海大8期):[[1941年]][[4月9日]]
#[[嶋田繁太郎]](海軍大将・東京・海兵32期・海大13期):[[1944年]][[2月21日]]
#[[及川古志郎]](海軍大将・岩手・海兵31期・海大13期):[[1944年]][[8月2日]]
#[[豊田副武]]([[海軍大将]]・大分・海兵33期・海大15期):[[1945年]][[5月29日]]
== 参考文献 ==
* [[豊田穣]]『海軍軍令部』
: ([[講談社]]、1987年) ISBN 4-06-203155-8
: (講談社文庫、1993年) ISBN 4-06-185556-5
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%BB%8D%E4%BB%A4%E9%83%A8 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年8月16日 (土) 02:21。]
'''軍令部'''(ぐんれいぶ)とは[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の中央統括機関([[海軍省]]と共同で行う)である。海軍省が[[内閣 (日本)|内閣]]に従属し[[軍政]]・[[人事]]を担当するのに対し、軍令部は[[天皇]]に直属し、その[[統帥]]を輔翼(ほよく)する立場から、海軍全体の[[作戦]]・[[指揮 (軍事)|指揮]]を統括する。
== 概要 ==
長たるものは軍令部長(後に軍令部総長)であり、[[天皇]]によって[[海軍大将]]又は[[中将]]が任命される。また、次長は総長を補佐する。この二官は[[御前会議]]の構成員でもある。
軍令部は主として作戦立案、用兵の運用を行う。また、戦時は[[連合艦隊司令長官]]が海軍の指揮・展開を行うが、作戦目標は軍令部が立案する。
設置当初、政府上層部は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]を尊重していたため、参謀本部での軍令部は陸軍の下に置かれた。しかし、[[太平洋戦争]]時の最高戦争指導会議では大きな発言力を持つこととなる。
== 沿革 ==
* [[1884年]]2月 海軍省達丙第21号により海軍省の外局組織として'''軍事部'''が設置
* [[1886年]]3月 参謀本部条例改正により'''参謀本部海軍部'''が設置され、軍政と軍令が分離された。
* [[1888年]]5月 海軍参謀本部となる。
* [[1889年]]3月 海軍参謀部となり、再び海軍省の管轄下となる。
* [[1893年]]5月 勅令第36号海軍省官制改訂により軍令の管轄が海軍省から分離独立し海軍参謀部に移される。
* [[1893年]]5月 勅令第37号海軍軍令部条例により'''海軍軍令部'''が設置される。軍令機関として陸軍の参謀本部と平時に限り対等となる。
* [[1903年]]12月 勅令第293号戦時大本営条例改訂により戦時においても軍令機関として陸軍の参謀本部と対等となる。
* [[1933年]]10月 軍令海第5号軍令部令により冠の"海軍"が外れ'''軍令部'''となり、海軍軍令部長から軍令部総長となる。
* [[1945年]]10月15日 軍令海第8号によって廃止される。
== 組織 ==
[[Image:Japanese Department of the Navy trace.JPG|250px|thumb|right|海軍省・軍令部の碑(現在の[[中央合同庁舎第5号館]]敷地内。揮毫者は[[中曽根康弘]])]]
* 第一部 作戦担当
* 第二部 軍備担当
* 第三部 情報担当
* 第四部 通信担当
== 歴代軍令部総長 ==
海軍軍令部の長は以下のとおり
*氏名 (就任時の階級・出身地・[海兵([[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]])卒業期・海大([[海軍大学校]])卒業期)]) 就任日
#[[仁礼景範]]([[海軍少将]]・鹿児島):[[1886年]][[3月16日]] 海軍軍令部長から参謀本部次官、更に参謀本部海軍部長に改称。
#[[伊藤雋吉]](海軍少将・京都):[[1889年]][[3月8日]] 海軍参謀部長に改称。
#[[有地品之允]](海軍少将・山口):[[1889年]][[5月17日]]
#[[井上良馨]](海軍少将・鹿児島):[[1891年]][[6月17日]]
#[[中牟田倉之助]]([[海軍中将]]・佐賀):[[1892年]][[12月12日]] 海軍参謀部長から海軍軍令部長に改称。
#[[樺山資紀]](海軍中将・鹿児島):[[1894年]][[7月17日]]
#[[伊東祐亨]](海軍中将・鹿児島):[[1895年]][[5月11日]]
#[[東郷平八郎]]([[海軍大将]]・鹿児島):[[1905年]][[12月19日]]
#[[伊集院五郎]](海軍中将・鹿児島・海兵5期):[[1909年]][[12月1日]]
#[[島村速雄]](海軍中将・高知・海兵7期):[[1914年]][[4月22日]]
#[[山下源太郎]](海軍大将・山形・海兵10期):[[1920年]][[10月1日]]
#[[鈴木貫太郎]](海軍大将・千葉・海兵14期・海大1期):[[1925年]][[4月15日]]
#[[加藤寛治]](海軍大将・福井・海兵18期):[[1929年]][[1月22日]]
#[[谷口尚真]](海軍大将・広島・海兵19期・海大3期):[[1930年]][[6月11日]]
#[[伏見宮博恭王]](海軍大将・皇族・海兵16期):[[1932年]][[2月2日]] 海軍軍令部長から軍令部総長に改称。
#[[永野修身]](海軍大将・高知・海兵28期・海大8期):[[1941年]][[4月9日]]
#[[嶋田繁太郎]](海軍大将・東京・海兵32期・海大13期):[[1944年]][[2月21日]]
#[[及川古志郎]](海軍大将・岩手・海兵31期・海大13期):[[1944年]][[8月2日]]
#[[豊田副武]]([[海軍大将]]・大分・海兵33期・海大15期):[[1945年]][[5月29日]]
== 参考文献 ==
* [[豊田穣]]『海軍軍令部』
: ([[講談社]]、1987年) ISBN 4-06-203155-8
: (講談社文庫、1993年) ISBN 4-06-185556-5
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%BB%8D%E4%BB%A4%E9%83%A8 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2009年3月14日 (土) 20:03。]