蔵本書記生失踪事件

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'''蔵本書記生失踪事件'''(くらもとしょきせいしっそうじけん)は、[[1934年]]に発生した[[日本]]の[[外交官]]の[[失踪]]騒動。日本側が[[中華民国|中国]]側による[[テロリズム|テロ]]と早合点したために、あわや日中両国の軍事衝突寸前にまで陥った。 == 概要 == 1934年[[6月8日]]、当時中華民国の[[首都]]であった[[南京市|南京]][[総領事館]]に勤務する[[書記生]]・[[蔵本英昭]](当時)が突然行方不明となった。当時の南京駐在[[総領事]]であった[[須磨弥吉郎]]は当時の中華民国国内の[[反日感情]]から蔵本は[[中国人]]に[[拉致]]されて殺害されたものと判断して、当時の[[南京国民政府]]に対して抗議を行ったのみならず、[[大日本帝国海軍|海軍]]に要請してたまたま[[東シナ海]]にいた[[第3艦隊_(日本海軍)|第三艦隊]][[旗艦]][[出雲 (装甲巡洋艦)|出雲]]を[[長江|揚子江]]に侵入させて南京近くまで遡上させて責任を追及する態度を示した。 この強硬な日本の態度ために中華民国の世論は激昂して日中両国の衝突は避けられないとの見方も出た。これを憂慮した[[汪兆銘]]が須磨の説得にあたったものの、須磨は「全ての責任は中国側にある」との一点張りであった。 ところが失踪から5日後の[[6月13日]]になって当の蔵本書記生が[[明孝陵]]の裏山にいるところを地元警察が保護、[[医師]]の診断の結果、人事や待遇面の不備に由来する上司に対する不満からきた[[ノイローゼ]]である事が判明した。この余りにもお粗末な顛末に日本は内外からの顰蹙を買う羽目に陥った。 ==関連項目== *[[精神疾患]] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%94%B5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E8%A8%98%E7%94%9F%E5%A4%B1%E8%B8%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6& 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月10日 (水) 18:26。]     

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