第一次日韓協約

「第一次日韓協約」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

第一次日韓協約」(2009/01/29 (木) 23:05:51) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

'''第一次日韓協約'''(だいいちじにっかんきょうやく)は、[[日露戦争]]中の[[1904年]]([[明治]]37年)8月22日に[[大日本帝国|日本]]と[[大韓帝国|韓国]]([[李氏朝鮮]])が締結した[[協約]]。これにより韓国政府は、日本政府の推薦者を韓国政府の財政・外交の顧問に任命しなければならなくなった。 このときの日本側の代表は特命全権公使[[林権助]]、韓国側の代表は外部大臣[[尹致昊]]。 [[日露戦争]]中ではあるが、この条約が結ばれた時期には朝鮮半島での戦闘は終了し、韓国は事実上日本の占領下に入っていた。しかし、[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]はこれを良しとせず、[[ロシア]]に密使を送る、[[1905年]](明治38年)3月26日韓国皇帝のロシア皇帝宛の密書が発覚。その後も7月にロシア、[[フランス]]へ、10月に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]に密使を送る。これらの行動を受けて、日本政府は[[大韓帝国]]が外交案件について日本政府と協議のうえ決定・処理しなければならないとしていた同条約を遵守する意志がないと考え、日本が韓国の外交権を完全に掌握できる[[第二次日韓協約]]の締結を要求するようになる。 == 全文 == 一 韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル日本人一名ヲ財務顧問トシテ韓国政府ニ傭聘シ財務ニ関スル事項ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ 一 韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ外部ニ傭聘シ外交ニ関スル要務ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ 一 韓国政府ハ外国トノ条約締結其他重要ナル外交案件即外国人ニ対スル特権、譲与若ハ契約等ノ処理ニ関シテハ予メ日本政府ト協議スヘシ 明治三十七年八月二十二日 特命全権公使 林権助 光武八年八月二十二日 外部大臣署理 尹致昊 == 関連項目 == * [[日韓議定書]] * [[第二次日韓協約]] * [[第三次日韓協約]] * [[日韓併合条約]] * [[一進会]] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%8D%94%E7%B4%84 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月29日 (土) 10:03。]     

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。