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'''日独伊防共協定'''(にちどくいぼうきょうきょうてい)は[[昭和]]11年([[1936年]])の[[日独防共協定]]が昭和12年([[1937年]])11月の[[イタリア]]の加入によって三国に拡大した「反ソ」「[[反共]]」を目的とした協定。
== 目的と性格 ==
[[フランス]]では、1936年(昭和11年)4月に行われた議会選挙で[[人民戦線]]派が圧勝し、社会党の[[レオン・ブルム]]を首班とする人民戦線政府が成立し、[[スペイン]]でも1936年(昭和11年)1月に[[共和主義]][[左派]]・[[社会労働党|社会党]]・[[共産党]]・[[マルクス主義統一労働者党]](POUM)の間で協定が結ばれ、2月の選挙で勝利して、共和主義左派の[[マヌエル・アサーニャ]]を首班とする人民戦線政府が成立した。これらの動きには、[[コミンテルン]]が深くかかわっていた。
[[防共]]協定は、このような[[国際共産主義運動]]の動きに対抗したものでり、「反ソ」「反共」を強く訴えることで、[[イギリス]]、フランス、[[アメリカ合衆国]]など先進[[資本主義]]諸国内の保守派や[[資本家]]の歓心を得ようという目的も有しており、[[スペイン内戦]]へのドイツ・イタリアの干渉、および[[日中戦争]]([[支那事変]])により、これら列強との関係が悪化したことから三国の結束を深める意味もあった。
なお、日独伊防共協定成立の際、イタリアの要望で反英協定としての性格が付加されている。
== 協定の延長 ==
昭和16年([[1941年]])11月に延長され、[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]政権下の[[スペイン]]、[[ハンガリー]]、[[ブルガリア]]、[[満州国]]、[[汪兆銘政権]]も参加した。
== 関連事項 ==
* [[人民戦線]]
* [[コミンテルン]]
* [[スペイン内戦]]
* [[日独伊三国軍事同盟]]
* [[第二次世界大戦]]
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