ヴェルサイユ条約

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'''ヴェルサイユ条約'''(ヴェルサイユじょうやく、{{lang-fr-short|'''Traité de Versailles'''}})とは、[[1919年]][[6月28日]]に[[フランス]]の[[ヴェルサイユ]]で調印された、[[第一次世界大戦]]の[[平和条約|講和条約]]。[[ヴェルサイユ宮殿]]・鏡の間で調印されたことからこの名がある。'''ベルサイユ条約'''とも表記される。 この条約によりもたらされた国際秩序を'''ヴェルサイユ体制'''という。 == 概要 == [[Image:Council of Four Versailles.jpg|thumb|220px|right|パリ講和会議における各国首脳、左から順に[[ロイド・ジョージ]](イギリス)、[[シニョール・オルランド]](イタリア)、[[ジョルジュ・クレマンソー]](フランス)、[[ウッドロウ・ウィルソン]](アメリカ)]] ヴェルサイユ条約は、6か月に渡る[[パリ講和会議]]の結果として締結され、この[[条約]]により第一次世界大戦は公式に終了した。敗戦国である[[ドイツ帝国|ドイツ]]の条約調印式は1919年[[6月28日]]に行われた。 ヴェルサイユ条約は[[1920年]][[1月10日]]に批准され、その結果ドイツとその[[同盟]]国は[[戦争]]を引き起こした責任として、莫大な[[賠償金]](後に1320億金マルクと決定、当時のドイツ[[国民総生産|GNP]]20年分)を課せられた。ヴェルサイユ条約の名は調印場所のヴェルサイユ宮殿にちなむが、これは敗戦によって解体した[[ドイツ帝国]]が[[1871年]][[1月18日]]にその成立を宣言した場所であった。これは偶然の一致ではなく、ヴェルサイユ条約調印の場所は、ドイツに対する戦勝国の意趣を含んで選択されたのである。 そもそもヴェルサイユ条約は、その制定に際して[[アジア]]・[[アフリカ]]の解放という大義名分が掲げられていたが、実際には、戦勝国の賠償規定であり、それまでの戦争において敗北した国家は賠償を行っていたことと、第一次世界大戦が過去に類を見ないほど悲惨な損害を生み出した戦争であったため、戦勝国は敗北した[[国家]]に対してその償いをさせようとしたことが、この条約の過酷さを生んだ。 この戦勝国の敗戦国への報復的とも言える賠償条件を含んだこの条約で成立した、いわゆる「ヴェルサイユ体制」については条約締結の際に[[イギリス]]代表として参加した(過酷な賠償に抗議して途中帰国した)[[経済学者]][[ジョン・メイナード・ケインズ]]は『[[平和の経済的帰結]]』の中で再び戦争が起こることを予言した。また[[バチカン]]の[[教皇]][[ピウス11世]]はヴェルサイユ体制を『平和のようなもの』と批判した。 結果、この講和条約はその後の[[ドイツ民族]]の住む地域のドイツ周辺国への割譲ということを含め、ドイツ国民の民族意識に傷をつけることとなり、このことがドイツ民族というものをひとつにするという[[アドルフ・ヒトラー]]を中心とする[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)に政権を握らせる一因となった。[[1935年]]、ヒトラー政権の[[ナチス・ドイツ]]は一方的にヴェルサイユ条約を破棄した。 このような結果になることを予想もしなかったにもかかわらず、その被害を敗戦国に負わせようとした。そのことが戦後の戦勝・負国を左右し、ひいては大恐慌を引き起こし、世界経済を混乱せしめ、再び世界大戦を引き起こすのである。 ヴェルサイユ条約の過酷な条件がナチスの台頭の原因、そして[[1939年]]から始まる[[第二次世界大戦]]の遠因となってしまったため、第二次世界大戦後の敗戦後のドイツには、連合国は東西両ドイツにも過酷な請求はせず、逆に復興に力を貸している。もっとも、これには第二次世界大戦後は第一次世界大戦後とは異なり、戦勝国の間ですぐに冷戦が始まったため、両陣営がその最前線となった東西ドイツの復興に力を注いだ、という情勢も関係している。同じく敗戦国であり、ヴェルサイユ条約時には戦勝国であった[[日本|日本国]]に対しては、第二次大戦後、[[アメリカ]]、[[イギリス]]、[[オランダ]]、[[中華民国]]、[[フランス]]、[[オーストラリア]]といった主要交戦国は賠償を放棄したものの、戦場となったアジア各国の中にはは個別に賠償金を支払いを要求した国もある。 == 主要な内容 == === 領土・賠償問題に関するもの === * ドイツから全海外[[領土]]・海外[[植民地]]を没収する。 * [[アルザス]](独・エルザス)・[[ロレーヌ]](独・ロートリンゲン)を[[フランス]]に割譲。 * ポーゼン州・西プロイセン州を[[ポーランド]]に割譲。 * ダンツィヒ(ポーランド・[[グダンスク]])を[[国際連盟]]管理下の自由市へ。 * ザール地方(現在の[[ザールラント州]])を15年間国際連盟の管理下へ、その後住民投票で帰属を決定。 * [[オーストリア]]との合併([[アンシュルス]])を禁止。 * [[シュレースヴィヒ]]北部で住民投票を行い帰属を決定。 * ドイツならびにその同盟国は賠償義務を有する(のちにドイツの賠償額は1320億金[[マルク]]に決定)。 **後に[[ドーズ案]]、[[ヤング案]]、そして[[ローザンヌ会議]]によりドイツの賠償額は30億金マルクにまで軽減されたが、ドイツにとって大きな負担であることには変わりなかった。 === 軍事に関するもの === * [[ラインラント]]の非武装化。 * [[徴兵制]]禁止  * [[航空機]]・[[戦車]]ならびに戦闘車両・[[重火器]]・[[潜水艦]]・[[航空母艦]]・[[毒ガス]]の保有禁止。 **[[ルガーP08|9ミリ口径の拳銃]]やベルト給弾式の機関銃も禁止された。 * 兵器の輸入禁止。 * [[参謀本部]]の解散。 * [[陸軍]]は総兵力10万人以下、[[将校]]4千人以下。 * [[海軍]]は[[戦艦]]6隻、[[巡洋艦|軽巡洋艦]]6隻、[[駆逐艦]]12隻、[[水雷艇]]12隻。かつ戦艦の備砲は11インチ以下、排水量1万トン以下、軽巡洋艦の排水量は6千トン以下、駆逐艦の排水量は800トン以下、水雷艇の排水量は200トン以下。 == 関連項目 == {{Commons|Treaty of Versailles}} * [[第一次世界大戦]]の[[平和条約|講和条約]] ** [[ヴェルサイユ条約]] - 対[[ドイツ帝国]] ** [[ヌイイ条約]] - 対ブルガリア王国 ** [[サン=ジェルマン条約]] - 対[[第一共和国 (オーストリア)|オーストリア第一共和国]]([[オーストリア・ハンガリー帝国]]) ** [[トリアノン条約]] - 対[[ハンガリー王国]](オーストリア・ハンガリー帝国) ** [[セーヴル条約]] - 対[[オスマン帝国]] * [[パリ講和会議]] ==外部リンク== * [http://ww1.m78.com/honbun/versailles%20treaty.html ベルサイユ条約(第1次大戦)] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月9日 (土) 16:13。]    
'''ヴェルサイユ条約'''(ヴェルサイユじょうやく、{{lang-fr-short|'''Traité de Versailles'''}})とは、[[1919年]][[6月28日]]に[[フランス]]の[[ヴェルサイユ]]で調印された、[[第一次世界大戦]]の[[平和条約|講和条約]]。[[ヴェルサイユ宮殿]]・鏡の間で調印されたことからこの名がある。'''ベルサイユ条約'''とも表記される。 この条約によりもたらされた国際秩序を'''ヴェルサイユ体制'''という。 == 概要 == [[Image:Council of Four Versailles.jpg|thumb|220px|right|パリ講和会議における各国首脳、左から順に[[ロイド・ジョージ]](イギリス)、[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド]](イタリア)、[[ジョルジュ・クレマンソー]](フランス)、[[ウッドロウ・ウィルソン]](アメリカ)]] ヴェルサイユ条約は、6か月に渡る[[パリ講和会議]]の結果として締結され、この[[条約]]により第一次世界大戦は公式に終了した。敗戦国である[[ドイツ帝国|ドイツ]]の条約調印式は1919年[[6月28日]]に行われた。 ヴェルサイユ条約は[[1920年]][[1月10日]]に批准され、その結果ドイツとその[[同盟]]国は[[戦争]]を引き起こした責任として、莫大な[[賠償金]](後に1320億金マルクと決定、当時のドイツ[[国民総生産|GNP]]20年分)を課せられた。ヴェルサイユ条約の名は調印場所のヴェルサイユ宮殿にちなむが、これは敗戦によって解体した[[ドイツ帝国]]が[[1871年]][[1月18日]]にその成立を宣言した場所であった。これは偶然の一致ではなく、ヴェルサイユ条約調印の場所は、ドイツに対する戦勝国の意趣を含んで選択されたのである。 そもそもヴェルサイユ条約は、その制定に際して[[アジア]]・[[アフリカ]]の解放という大義名分が掲げられていたが、実際には、戦勝国の賠償規定であり、それまでの戦争において敗北した国家は賠償を行っていたことと、第一次世界大戦が過去に類を見ないほど悲惨な損害を生み出した戦争であったため、戦勝国は敗北した[[国家]]に対してその償いをさせようとしたことが、この条約の過酷さを生んだ。 この戦勝国の敗戦国への報復的とも言える賠償条件を含んだこの条約で成立した、いわゆる「ヴェルサイユ体制」については条約締結の際に[[イギリス]]代表として参加した(過酷な賠償に抗議して途中帰国した)[[経済学者]][[ジョン・メイナード・ケインズ]]は『[[平和の経済的帰結]]』の中で再び戦争が起こることを予言した。また[[バチカン]]の[[教皇]][[ピウス11世]]はヴェルサイユ体制を『平和のようなもの』と批判した。 結果、この講和条約はその後の[[ドイツ民族]]の住む地域のドイツ周辺国への割譲ということを含め、ドイツ国民の民族意識に傷をつけることとなり、このことがドイツ民族というものをひとつにするという[[アドルフ・ヒトラー]]を中心とする[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチス)に政権を握らせる一因となった。[[1935年]]、ヒトラー政権の[[ナチス・ドイツ]]は一方的にヴェルサイユ条約を破棄した。 多くの識者が、このような結果になることを予想して警鐘を鳴らしたにもかかわらず、その被害を敗戦国に一方的に負わせようとした。このことが戦後の排外的ナショナリズムの高揚などの影響をもたらし、{{要出典範囲|ひいては大恐慌とその後の世界経済の混乱へとつながり}}、再び世界大戦を引き起こすのである。 ヴェルサイユ条約の過酷な条件がナチスの台頭の原因、そして[[1939年]]から始まる[[第二次世界大戦]]の遠因となってしまったため、第二次世界大戦後の敗戦後のドイツには、連合国は東西両ドイツにも過酷な請求はせず、逆に復興に力を貸している。もっとも、これには第二次世界大戦後は第一次世界大戦後とは異なり、戦勝国の間ですぐに冷戦が始まったため、両陣営がその最前線となった東西ドイツの復興に力を注いだ、という情勢も関係している。同じく敗戦国であり、ヴェルサイユ条約時には戦勝国であった[[日本|日本国]]に対しては、第二次大戦後、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[オランダ]]、[[中華民国]]、[[フランス]]、[[オーストラリア]]といった主要交戦国は賠償を放棄したものの、戦場となったアジア各国の中には個別に賠償金の支払いを要求した国もある。 == 主要な内容 == === 領土・賠償問題に関するもの === * ドイツから全海外[[領土]]・海外[[植民地]]を没収する。 * [[アルザス]](独・エルザス)・[[ロレーヌ]](独・ロートリンゲン)を[[フランス]]に割譲。 * ポーゼン州・西プロイセン州を[[ポーランド]]に割譲。 * ダンツィヒ(ポーランド・[[グダンスク]])を[[国際連盟]]管理下の自由市へ。 * ザール地方(現在の[[ザールラント州]])を15年間国際連盟の管理下へ、その後住民投票で帰属を決定。 * [[オーストリア]]との合併([[アンシュルス]])を禁止。 * [[シュレースヴィヒ]]北部で住民投票を行い帰属を決定。 * ドイツならびにその同盟国は賠償義務を有する(のちにドイツの賠償額は1320億金[[マルク]]に決定)。 **後に[[ドーズ案]]、[[ヤング案]]、そして[[ローザンヌ会議]]によりドイツの賠償額は30億金マルクにまで軽減されたが、ドイツにとって大きな負担であることには変わりなかった。 === 軍事に関するもの === * [[ラインラント]]の非武装化。 * [[徴兵制]]禁止  * [[航空機]]・[[戦車]]ならびに戦闘車両・[[重火器]]・[[潜水艦]]・[[航空母艦]]・[[毒ガス]]の保有禁止。 **[[ルガーP08|9ミリ口径の拳銃]]やベルト給弾式の機関銃も禁止された。 * 兵器の輸入禁止。 * [[参謀本部]]の解散。 * [[ドイツ陸軍|陸軍]]は総兵力10万人以下、[[将校]]4千人以下。 * [[ドイツ海軍|海軍]]は[[戦艦]]6隻、[[巡洋艦|軽巡洋艦]]6隻、[[駆逐艦]]12隻、[[水雷艇]]12隻。かつ戦艦の備砲は11インチ以下、排水量1万トン以下、軽巡洋艦の排水量は6千トン以下、駆逐艦の排水量は800トン以下、水雷艇の排水量は200トン以下。 == 関連項目 == {{Commons|Treaty of Versailles}} * [[第一次世界大戦]]の[[平和条約|講和条約]] ** [[ヴェルサイユ条約]] - 対[[ドイツ帝国]] ** [[ヌイイ条約]] - 対[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]] ** [[サン=ジェルマン条約]] - 対[[第一共和国 (オーストリア)|オーストリア第一共和国]]([[オーストリア・ハンガリー帝国]]) ** [[トリアノン条約]] - 対[[ハンガリー王国]](オーストリア・ハンガリー帝国) ** [[セーヴル条約]] - 対[[オスマン帝国]] * [[パリ講和会議]] ==外部リンク== * [http://ww1.m78.com/honbun/versailles%20treaty.html ベルサイユ条約(第1次大戦)] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月26日 (日) 05:15。]    

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