アジア主義

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'''アジア主義'''(あじあしゅぎ)とは、[[19世紀]]後半に活発となった欧米諸国の[[アジア]]進出に対抗する方策として展開された[[日本]]と他のアジア諸邦の関係や、アジアの在り方についての[[思想]]ないし運動の総称である。 ==概要== 欧米諸国からの脅威の排除とアジアの自立を目指した主張であるが、その内容は開国文明化、協同、合邦、新秩序構築など、主張する側の思想、立場によって異なり一義的な定義はない。また、時代ごとの国際情勢によって主張内容が変化する。当初は日本と[[中国]]、[[朝鮮]]の関係論から始まり、[[日露戦争]]以降、アジアの[[革命]]勢力を支援する思想に発展し、やがて日本を盟主としたアジアの新秩序構築(大アジア主義)、そして[[大東亜共栄圏]]構想へとつながっていく。[[1945年]]の日本の敗戦によって、近代アジア主義は終焉したとされる。 その後の国際的な[[地域統合]]の流れの中で生まれた[[東アジア共同体]]構想も、しばしばアジア主義と関連付けられて言及されることがある。 ==関係年表== *1840年 [[アヘン戦争]] *1853年 [[黒船]]来航 *1857年 [[アロー戦争]] *1858年 [[日米修好通商条約]]・[[日露修好通商条約]]締結 *1861年 [[対馬事件]] *1863年 [[薩英戦争]]、[[下関戦争]]勃発 *1868年 [[明治維新]] *1873年 [[征韓論]] *1875年 [[江華島事件]] *1880年 [[興亜会]]設立 *1881年 [[玄洋社]]設立 *1885年 [[福澤諭吉]]が[[脱亜論]]を発表。[[樽井藤吉]]が[[大東合邦論]]を執筆(1893年出版) *1894年 [[日清戦争]] *1895年 [[三国干渉]] *1897年 東亜会([[東亜同文会]])設立 *1900年 [[義和団事件]](北清事変)、[[北京議定書]]締結 *1901年 [[黒龍会]]結成 *1902年 [[日英同盟]]締結 *1904年 [[日露戦争]] *1905年 [[ポーツマス条約]]締結。[[中国同盟会]]設立(東京)。 *1910年 [[日韓併合]] *1911年 [[辛亥革命]] *1918年 [[第一次世界大戦]]終戦 *1919年 [[パリ講和会議]]開催、[[ヴェルサイユ条約]]締結 *1924年 [[孫文]]の[[大アジア主義講演]] *1927年 [[山東出兵]] *1931年 [[満州事変]]勃発 *1932年 [[満州国]]建国 *1937年 [[盧溝橋事件]]([[日中戦争]]勃発) *1938年 [[三木清]]が[[東亜協同体論]]を発表 *1940年 [[近衛文麿]]内閣が[[基本国策要綱]]策定(大東亜の新秩序建設理念確立) *1941年 [[ABCD包囲網]]施行、[[太平洋戦争]]勃発 *1943年 [[大東亜会議]]開催 *1945年 日本国敗戦 == 人物・組織・思想 == *[[興亜会]] :[[1880年]]、[[大日本帝国海軍|海軍]]軍人で中国での情報活動に従事していた[[曽根俊虎]]などを中心に設立された。[[琉球処分]]や[[壬午軍乱]]などで日清関係が悪化していくなかで両国の提携論を標榜し、最初のアジア主義団体とされている。日清提携のための[[中国語]]での機関誌発行や[[語学]]教育に力を入れた。のち亜細亜協会と改称し、東亜同文会が設立されるとこれに合流した。 *[[樽井藤吉]] :[[1885年]]、「[[大東合邦論]]」を執筆し、日本と[[朝鮮]]の対等合併による「大東国」建国を主張した。[[大阪事件]]に連座して下獄したため原稿(日本文)を散逸し、[[日清戦争]]直前の[[1893年]]に[[漢文]]で出版した。 *[[玄洋社]] :[[頭山満]]が主宰。[[福岡県]]を拠点にし、[[中国]]の[[孫文]]や、朝鮮の[[金玉均]]を援助した。[[日露戦争]]時には、[[馬賊]]を編成し、[[ロシア]]軍の後方を撹乱した。 :ただ、[[在野]]の立場を貫き、日本政府の[[大東亜共栄圏]]構想に与しなかったため、迫害される立場になった。が、[[広田弘毅]]は、正規のメンバーだったと言われる。 *[[黒龍会]] :[[内田良平 (政治運動家)|内田良平]]が主宰。朝鮮での[[甲午農民戦争]]時に[[東学]]と連携しつつ清軍を挑発するために派遣された玄洋社の別働隊「[[天佑侠]]」を起源としている。なお、名称の「黒龍」とはブラック・ドラゴンではなく、[[黒龍江]](アムール河)を指す。 *[[宮崎滔天]] *[[東亜同文会]] :[[戊戌政変]]により日本に亡命した[[康有為]]・[[梁啓超]]の支援をきっかけに作られた[[政教社]]系の[[東亜会 (アジア主義団体)|東亜会]]と、中国で商業活動を担っていた[[大陸浪人]]を組織した[[同文会]]の合併により[[1898年]]発足した。初代会長は[[近衛篤麿]]で、[[東亜同文書院]]の経営を主な活動とした。 *[[岡倉天心]] *孫文「[[大アジア主義講演]]」 :[[1924年]]11月、日本の[[神戸市|神戸]]で講演し、「日本は西洋[[覇道]]の鷹犬になるのか。東洋[[王道]]の干城になるのか」と述べる。東洋の仁義道徳を、世界秩序の基本にすべきと主張し、日本政府に対して中国との[[不平等条約]]を改正することを暗に求めた。[[カラハン宣言]]により不平等条約を破棄した[[ソビエト連邦|ソ連]]を王道の側に立つ国家とし、日・中・ソの提携を提唱している点に特徴がある。 *[[大川周明]] *[[東亜協同体論]] :[[1930年代]]末([[日中戦争]]初期)、[[東アジア]]地域において[[民族]]・[[国家]]を超克する協同体の建設を主張したもの。当時の[[近衛文麿]][[内閣総理大臣|首相]]のブレイン集団である[[昭和研究会]]を中心に構想され、[[三木清]]・[[蝋山政道]]・[[尾崎秀実]]・[[新明正道]]らが主要な論者となった。 == 書籍・論文 == *[[松本健一]]『雲に立つ-頭山満の「場所」』 [[文藝春秋]]、[[1996年]]10月 *読売新聞西部本社(編) 『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 [[海鳥社]]、[[2001年]]10月 *千坂恭二「日本的前衛とアジアの大衆。アジア主義の革命と戦争」『[[情況]]』[[1997年]]8-9月号。 *[[竹内好]]編 『アジア主義』(現代日本思想大系9) [[筑摩書房]]、[[1963年]]8月 *Sven Saaler and J. Victor Koschmann編 『Pan-Asianism in Modern Japanese History. Colonialism, Regionalism and Borders』London and New York: Routledge, [[2007年]] ==関連項目== *[[大東亜共栄圏]]   [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E4%B8%BB%E7%BE%A9 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年7月10日 (木) 11:42。]    

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