満州重工業開発

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'''満州重工業開発株式会社'''('''まんしゅうじゅうこうぎょうかいはつ かぶしきかいしゃ''')は、[[満州国]]の[[特殊法人]]で、満州国内の鉱工業を一元的に統制することを目的に設立された[[持株会社]]。通称は'''満業'''(まんぎょう)。 == 概要 == 満州国の経済運営で巨大な[[南満州鉄道]]が影響力を持つことを嫌った[[関東軍]]の求めに応じ、日本鉱業(現・[[新日鉱ホールディングス]])や[[日立製作所]]、日産重工業(現・[[日産自動車]])を傘下に持つ[[日産コンツェルン]]の総帥・[[鮎川義介]]が、満州全土の鉱業から各種製造まで一貫した計画の元に生産することを目的に、[[1937年]]にグループの持株会社である[[日本産業]]を満州に移転・改組させて設立した。総裁は鮎川が勤め、傘下に満鉄から譲渡を受けた[[昭和製鋼所]]や満州炭鉱などの鉱工業会社を置き、これらの会社を統制したが、次第に関東軍や満州国政府の経営干渉を盛んに受けるようになった。鮎川は当初、アメリカ資本の導入を検討していたが、軍需物資の生産基地として日本が独占権益を持って開発することを求めていた関東軍と意見が一致することはなかった。この結果、鮎川は[[1942年]]に総裁を辞任し、満業が保有していた日本国内の企業の株式も、新たに設立した[[満州投資証券]]に移して、満業とは一線を画する事になる。 == 沿革 == * [[1937年]] 鮎川義介が日本産業株式会社を満州国首都・[[新京]]に移駐・改組して設立。 * [[1938年]] 東辺道地域開発のための東辺道開発株式会社と満州飛行機製造株式会社を設立。 * [[1941年]] 満州国内に統制会制度が作られ、産業計画や原料配給が完全に満州国政府主導になったため、統制部門を廃止。 * [[1942年]] 鮎川、総裁を[[高碕達之助]]と交代。 * [[1945年]] 満州国の崩壊とともに事業停止。[[閉鎖機関]]指定。   [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%BA%80%E5%B7%9E%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E9%96%8B%E7%99%BA 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月28日 (日) 15:17。]    

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