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{{Infobox 軍人
|name=阿南 惟幾
|lived=[[1887年]][[2月21日]] - [[1945年]][[8月15日]]
|placeofbirth=大分県
|placeofdeath=東京都
|image=[[Image:Korechika Anami.jpg|180px]]
|caption=陸軍大将 阿南惟幾
|nickname=
|allegiance=大日本帝国陸軍
|serviceyears=[[1906年]] - [[1945年]]
|rank=陸軍大将
|commands=[[第109師団 (日本軍)|第109師団]]長<br/>陸軍次官<br/>[[第11軍 (日本軍)|第11軍]]司令官<br/>[[第2方面軍]]司令官<br/>[[陸軍航空総監部|航空総監]]<br/>陸軍大臣
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'''阿南 惟幾'''(あなみ これちか、[[1887年]][[2月21日]] - [[1945年]][[8月15日]])は、[[大日本帝国|日本]]の[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[陸軍軍人|軍人]]、[[陸軍大将]]、終戦時の[[陸軍大臣]]。
== 人物・経歴 ==
陸軍大臣に上り詰めた逸材だが、異才の多い帝国陸軍にあってはごく平均的な軍務官僚で、実戦においても目立った実績を上げたわけではない。しかし誠実な人柄で人望が厚く、様々に解釈される後述の終戦時のエピソードも相まって評伝が数多く著されるなど、今日でも人気の高い人物である。
[[大分県]][[竹田市]]出身。終戦時の[[鈴木貫太郎]][[総理大臣]]とは、[[二・二六事件]]当時、[[侍従長]]と[[侍従|侍従武官]]の関係だった。
[[太平洋戦争]]末期、[[梅津美治郎]][[参謀総長]]とともにあくまで本土決戦を唱えるが、[[昭和天皇]]の終戦の意志が固いことを知り、最終的には終戦に同意。軍事[[クーデター]]をほのめかす部下の軽挙妄動を戒めながら、[[8月14日]]夜、[[ポツダム宣言]]の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で自刃。[[介錯]]を拒み、翌15日朝絶命。「一死をもって大罪を謝し奉る」との遺書は有名。
日本の[[内閣]]制度発足後、現職閣僚が自殺したのはこれが初めて。その後も2007年に[[松岡利勝]][[農林水産大臣|農水大臣]]が自殺するまで、実に62年間も現職閣僚の自殺はなかった。
長男(早世)、次男惟晟([[陸軍]][[少尉]]、昭和18年戦死)、三男惟敬(元[[防衛大学校]]教授)、四男[[阿南惟正|惟正]](元[[新日本製鐵]]副社長、[[靖国神社]]氏子総代)、五男[[野間惟道|惟道]](野間家へ養子、元[[講談社]]社長)、六男[[阿南惟茂|惟茂]](元駐[[中国]][[大使]])。 [[戦後]]しばらくして、妻阿南綾子は[[出家]]した。なお阿南陸相は昭和天皇からは”あなん”と呼ばれていた。
== 阿南の終戦への思いをめぐる諸説 ==
戦時最後の陸軍大臣を務めた阿南は、昭和天皇の聖断が下る最後の瞬間まで当然のごとく戦争継続を主張し続けたが、戦後、当時の阿南の真意をめぐっては、
# 当時[[書記官長]]であった[[迫水久常]]によれば、終戦を望む天皇の真意を悟り、また本土決戦を主張しつつも阿南自身の本心も終戦にあり、極秘裏に鈴木貫太郎首相と協力して終戦計画を遂行したと言う。ただし表向きは、天皇が最も恐れた「終戦に反発する陸軍の暴発」と、「倒閣」を阻止するため、強硬な言動により主戦論を装い戦争継続を主張し続けたと迫水は推測している(いわゆる[[腹芸]]説。もし阿南が終戦を唱えていれば、阿南は陸軍に暗殺され、[[軍部大臣現役武官制]]により補充大臣が出ず鈴木内閣は総辞職し、終戦は実現しなかっただろう、また阿南が本気で本土決戦派であったなら、辞職して補充大臣を出さないことによって鈴木内閣を葬ることは簡単であったはず、との分析)。
# 軍の最高指導者の一人として、たとえ国が焦土になろうとも敵軍に一矢報いるまでは引くことなどできないと本気で思っていた(当時の状況で腹芸など打つ訳がない)とする説。「ポツダム宣言反対のための自刃」と評価される根拠となっている。
などの諸説が流れており、終戦史研究の分野においても意見の分かれるところである。例えば、憲兵隊本部に国民総綱紀粛正のスローガンを掲げさせておきながら、その憲兵がスパイ工作によって摘発してきた和平派の[[吉田茂]]の釈放に尽力している。一方臨終の際'''「米内'''(終戦を支持していた[[米内光政]]海軍大臣のこと)'''を斬れ。」'''と口走っていることなどから実際は継戦派であり、クーデター計画([[宮城事件]])の真の首謀者だったのではないかなど、その真意とするところをめぐり議論がある。
阿南の部下であり、その自刃にも立ち会った[[井田正孝]]陸軍中佐によれば、阿南が求めていたのはただ国体護持のみであり、その目的のためあらゆる可能性を残しておくべく、抗戦派・終戦派の何れにも解釈できる態度を取っていた、との見解を示している。
また、遺書に「''一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツツ''」書き残したうえで、[[辞世]]の句として「''大君の深き恵に浴みし身は 言ひ遺こすへき片言もなし''」と詠んだ。
阿南が自刃したとの報が流れた際、鈴木は「そうか、腹を切ったか。阿南というのはいい男だな」と語り、終戦工作を巡って阿南と対立し続けていた[[東郷茂徳]]は「真に国を思ふ誠忠の人」と評した。
== 年譜 ==
* [[1900年]](明治33年)9月 - 広島[[陸軍幼年学校]]卒業。
* [[1905年]](明治38年)11月 - [[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]卒業(18期)。
* [[1906年]](明治39年)6月 - [[少尉]]に昇進。歩兵第1[[連隊]]附。
* [[1908年]](明治41年)12月 - [[中尉]]に昇進。
* [[1910年]](明治43年)11月 - 陸軍中央幼年学校生徒監。
* [[1916年]](大正5年)11月 - [[大尉]]に昇進。
* [[1918年]](大正7年)11月 - [[陸軍大学校]]卒業(30期)。
* [[1919年]](大正8年)4月 - [[参謀本部 (日本)|参謀本部]]附勤務。
** 12月 - 参謀本部員。
* [[1922年]](大正11年)2月 - [[少佐]]に昇進。
* [[1923年]](大正12年)8月 - [[サガレン州派遣軍]]参謀。
* [[1925年]](大正14年)8月 - [[中佐]]に昇進。
* [[1926年]](大正15年)4月 - 軍令部参謀。
* [[1927年]](昭和2年)8月 - [[フランス]]出張。
** 12月 - 歩兵第45連隊附。
* [[1928年]](昭和3年)8月10日 - 歩兵第45連隊留守隊長。
* [[1929年]](昭和4年)8月1日 - [[侍従武官]]。
* [[1930年]](昭和5年)8月1日 - [[大佐]]に昇進。
* [[1933年]](昭和8年)8月1日 - 近衛歩兵第2連隊長。
* [[1934年]](昭和9年)8月1日 - 東京陸軍幼年学校長。
* [[1935年]](昭和10年)3月15日 - [[少将]]に昇進。
* [[1936年]](昭和11年)8月1日 - 陸軍省兵務局長。
* [[1937年]](昭和12年)3月1日 - 陸軍省人事局長。
* [[1938年]](昭和13年)3月1日 - [[中将]]に昇進。
** 11月9日 - [[第109師団 (日本軍)|第109師団]]長。
* [[1939年]](昭和14年)9月12日 - 参謀本部附。
** 10月14日 - 陸軍次官。
* [[1941年]](昭和16年)4月10日 - [[第11軍 (日本軍)|第11軍]]司令官。
* [[1942年]](昭和17年)7月1日 - [[第2方面軍 (日本軍)|第2方面軍]]司令官。
* [[1943年]](昭和18年)5月1日 - [[陸軍大将|大将]]に昇進。
* [[1944年]](昭和19年)12月26日 - [[陸軍航空総監部|航空総監]]兼[[軍事参議院|軍事参議官]]。
* [[1945年]](昭和20年)4月7日 - [[陸軍大臣]](~8月14日)。
== 阿南を演じた俳優 ==
* [[三船敏郎]] 「[[日本のいちばん長い日]]」(1967年 東宝)
* [[相馬剛三]] 「[[山河燃ゆ]]」(1984年 NHK大河ドラマ)
* [[浜田晃]] 「[[聖断]]」(2005年 テレビ東京)
== 参考文献 ==
[[Image:AnamiKorechika.jpg|thumb|200px|[[軍服 (大日本帝国陸軍)#明治45年制式|通常礼装]]の阿南]]
* [[角田房子]] 『一死、大罪を謝す―陸軍大臣阿南惟幾』新潮社 ISBN 4101308012
** 同名書 (ISBN 4103258039) の文庫化
* 沖修二 『阿南惟幾伝』 ISBN 406207477X
** 1970年 講談社刊同名書の再刊
* 甲斐克彦 『武人(もののふ)の大義―最後の陸軍大臣 阿南惟幾の自決』 ISBN 4769808615
* [[阿部牧郎]] 『大義に死す―最後の武士・阿南惟幾』 ISBN 4396632401
* [[半藤一利]] 『「昭和」を振り回した6人の男たち』 ISBN 4094057617
** 『「昭和」を振り回した男たち』(ISBN 449206088X) の改題文庫化
* [[半藤一利]]) 『決定版 [[日本のいちばん長い日]]―運命の八月十五日』文春文庫,2006 ISBN 4041350018(旧版は[[大宅壮一]]編 「日本のいちばん長い日」)
** 半藤一利「聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」PHP文庫,2006 初版は文藝春秋、1985
* 林三郎 「終戦ごろの阿南さん」『世界』1951年8月号
* [[下村海南]] 『終戦秘史』[[講談社学術文庫]],1985
* 軍事史学会編 『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌』(下)錦正社,1998
== 関連項目 ==
* [[阿南氏]]
== 外部リンク ==
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html 人物探訪:阿南惟幾~軍を失うも国を失わず]
* [http://episode.kingendaikeizu.net/26.htm 系図でみる近現代 第26回]
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%98%BF%E5%8D%97%E6%83%9F%E5%B9%BE 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月1日 (土) 19:06。]