枢軸国

「枢軸国」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

枢軸国」(2009/03/20 (金) 22:53:31) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

'''枢軸国'''(すうじくこく、{{lang-de|Achsenmächte}}、{{lang-it|Potenze dell'Asse}})とは、[[第二次世界大戦]]時に[[連合国]]と戦った諸国を指す言葉。 同盟を結んでいた[[ナチス・ドイツ|ドイツ第三帝国]]、[[イタリア王国]]、[[大日本帝国]]の3カ国が中心であり、[[ブルガリア|ブルガリア王国]]、[[ハンガリー王国]]、[[タイ王国]](終戦後の外交手腕により敗戦国としての扱いを免れる)、[[フィンランド|フィンランド共和国]]、[[ルーマニア|ルーマニア王国]]などもこれにあたる。また、フランスの[[ヴィシー政権]]、[[独立スロバキア]]、[[満州国|満洲国]]、[[蒙疆連合自治政府|蒙古聯合自治政府]]なども枢軸国の影響下で、連合国と戦ったが、ヴィシー政権以外は、今日では[[傀儡政権]]と見なされている。 戦況の悪化により、イタリアは[[1943年]]に、[[ブルガリア]]・[[フィンランド]]・[[ルーマニア]]は[[1944年]]に枢軸国を離脱し、連合国側についた。[[ヴィシー政権]]は1944年夏の連合軍による[[パリ]]奪回に伴い事実上崩壊した。イタリア王国が離脱してからは、ムッソリーニがサロに打ち立てた[[イタリア社会共和国]]が枢軸国として抗戦を続けたが、ほどなくして戦線は崩壊した。 [[1936年]][[10月]]、[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]がイタリアの[[ローマ]]とドイツの[[ベルリン]]を結ぶ南北の軸(ベルリン・ローマ枢軸)を指すものとして用いたのが始まりとされる。 <gallery> 画像:Flag of Germany 1933.svg|[[ナチス・ドイツ|ドイツ国]] 画像:Flag of Japan.svg|[[大日本帝国]] 画像:Flag of Italy (1861-1946).svg|[[イタリア王国]] 画像:Flag of Hungary 1940.svg|[[ハンガリー王国]] 画像:Flag_of_Romania.png|[[ルーマニア|ルーマニア王国]] 画像:1stslovakia flag large.svg|[[独立スロバキア]] 画像:Bg-1913.gif|[[ブルガリア|ブルガリア王国]] 画像:Flag of Croatia Ustasa.svg|[[クロアチア独立国]] 画像:Flag of Thailand.svg|[[タイ王国]] 画像:Flag of Finland.svg|[[フィンランド|フィンランド共和国]] 画像:Flag of Manchukuo.svg|[[満州国|満洲帝国]] 画像:Flag of the Mengjiang.svg|[[蒙疆連合自治政府|蒙古聯合自治政府]] 画像:Flag of the Republic of China.svg|[[汪兆銘政権|中華民国南京国民政府]] 画像:Burma_flag(1943).gif|[[ビルマ国]] 画像:Philippines flag original.png|[[フィリピン|フィリピン第二共和国]] 画像:India1931flag.png|[[自由インド仮政府]] 画像:Old Flag Of Vietnam.png|[[ベトナム帝国]] 画像:Flag of Cambodia under Japanese occupation.svg|[[カンボジア王国]] 画像:Flag of Laos (1952-1975).png|[[ラオス王国]] 画像:Flag of Greece (1828-1978).svg|[[ゲオルギウス・ツォラコグロウ|ギリシャ国]] 画像:Pindus-Macedonian.flag.png|[[ピンドス公国・マケドニア公国]] 画像:Flag of RSI.svg|[[イタリア社会共和国]] 画像:Flag of Republika Srpska.svg|[[ミラン・ネジッチ|セルビア救国政府]] 画像:VichyFlag.svg|[[ヴィシー政権|フランス国]] 画像:Flag of Russia.svg|[[ロシア解放軍|ロシア諸民族解放委員会]] </gallery> == 備考 == * [[ユーゴスラビア]]はドイツの後押しを受けた[[クロアチア独立国]]の実効支配のもとで一時日独伊三国同盟に加わった。 * [[スペイン]]([[フランシスコ・フランコ|フランコ]]政権)は、防共協定に参加したが、第二次世界大戦では中立国。また・[[ポルトガル]]([[エスタド・ノヴォ]])も中立を守り通した。 * [[阮朝|ベトナム帝国]]、[[ラオス王国]]、[[カンボジア王国]]は終戦間際の1945年、[[仏領インドシナ]]から日本が独立させた。 * [[フィンランド]]は戦後、領土の一部をソビエト連邦に割譲させられた。 * あまり知られていないが、イラクでは[[1941年]]に親枢軸派の[[ラシード・アリー・アル=ガイラーニー]]が首相となり、枢軸国に接近していた。が、それが原因となってイギリス・イラク戦争が勃発し、親枢軸政権は崩壊している。詳細は[[イラク王国]]の項参照。 == 関連項目 == * [[ファシズム]] * [[連合国]] * [[日独伊三国軍事同盟]] * [[敵国条項]] * [[中央同盟国]]([[第一次世界大戦]]) * [[悪の枢軸発言]] * [[インド国民軍]] * [[ロシア解放軍]] * [[自由ウクライナ]] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9E%A2%E8%BB%B8%E5%9B%BD 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月23日 (土) 23:29。]     
'''枢軸国'''(すうじくこく、{{lang-de|Achsenmächte}}、{{lang-it|Potenze dell'Asse}})とは、[[第二次世界大戦]]時に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]と戦った諸国を指す言葉。[[アドルフ・ヒトラー]]が[[ベニト・ムッソリーニ]]の[[イタリア]]と同盟を結んだ際、これを「[[ヨーロッパ]]の枢軸」と称した事に由来する。 同盟を結んでいた[[ナチス・ドイツ]]、[[イタリア王国]]、[[大日本帝国]]の3カ国が中心であり、[[ブルガリア王国_(近代)|ブルガリア王国]]、[[ハンガリー王国]]、[[タイ王国]](終戦後の外交手腕により敗戦国としての扱いを免れる)、[[フィンランド|フィンランド共和国]]、[[ルーマニア王国]]などもこれにあたる。また、フランスの[[ヴィシー政権]]、[[独立スロバキア]]、[[満州国|満洲国]]、[[蒙古聯合自治政府]]なども枢軸国の影響下で連合国と戦ったが、いずれも今日では[[傀儡政権]]と見なされている。 戦況の悪化により、イタリアは[[1943年]]に、[[ブルガリア]]・[[フィンランド]]・[[ルーマニア]]は[[1944年]]に枢軸国を離脱した。フィンランドはその後[[ラップランド戦争]]を行い、フィンランド残留ドイツ軍と交戦した。ソビエト連邦軍が[[1944年]]に行った[[バグラチオン作戦]]によってルーマニアでは政変が起き、親独派は逮捕、国内のドイツ軍を壊滅させ、チェコ等へ進軍していった。ブルガリアでは王政が崩壊、ソビエトの[[衛星国|傀儡]]と化してしまった。[[ヴィシー政権]]は1944年夏の連合軍による[[パリ]]奪回に伴い事実上崩壊した。イタリア王国が離脱してからは、ムッソリーニがサロに打ち立てた[[イタリア社会共和国]]が枢軸国として抗戦を続けたが、ほどなくして戦線は崩壊した。 「枢軸」ということばは、[[1936年]][[10月]]、[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]がイタリアの[[ローマ]]とドイツの[[ベルリン]]を結ぶ南北の軸(ベルリン・ローマ枢軸)を指すものとして用いたのが始まりとされる。 <gallery> 画像:Flag of Germany 1933.svg|[[ナチス・ドイツ]] 画像:Flag of Japan.svg|[[大日本帝国]] 画像:Flag of Italy (1861-1946).svg|[[イタリア王国]] 画像:Flag of Hungary 1940.svg|[[ハンガリー王国]] 画像:Flag_of_Romania.png|[[ルーマニア王国]] 画像:1stslovakia flag large.svg|[[独立スロバキア]] 画像:Naval_Ensign_of_Bulgaria_(1878-1944).svg|[[ブルガリア王国_(近代)|ブルガリア王国]] 画像:Flag of Croatia Ustasa.svg|[[クロアチア独立国]] 画像:Flag of Thailand.svg|[[タイ王国]] 画像:Flag of Finland.svg|[[フィンランド|フィンランド共和国]] 画像:Flag of Manchukuo.svg|[[満州国|満洲帝国]] 画像:Flag of the Mengjiang.svg|[[蒙疆連合自治政府|蒙古聯合自治政府]] 画像:Wang flag.png|[[汪兆銘政権|中華民国南京国民政府]] 画像:Burma_flag(1943).gif|[[ビルマ国]] 画像:Philippines flag original.png|[[フィリピン|フィリピン第二共和国]] 画像:India1931flag.png|[[自由インド仮政府]] 画像:Old Flag Of Vietnam.png|[[ベトナム帝国]] 画像:Flag of Cambodia under Japanese occupation.svg|[[カンボジア王国]] 画像:Flag of Laos (1952-1975).svg|[[ラオス王国]] 画像:Flag of Greece (1828-1978).svg|[[ギリシャ国]] 画像:Flag of the Principality of Pindus and Voivodship of Macedonia.svg|[[ピンドス公国・マケドニア公国]] 画像:Flag of RSI.svg|[[イタリア社会共和国]] 画像:Flag of Republika Srpska.svg|[[セルビア救国政府]] 画像:VichyFlag.svg|[[ヴィシー政権|フランス国]] 画像:Flag of Russia.svg|[[ロシア解放軍|ロシア諸民族解放委員会]] </gallery> == 備考 == *[[ユーゴスラビア]]はドイツの後押しを受けた[[クロアチア独立国]]の実効支配のもとで一時[[日独伊三国同盟]]に加わった。 *[[スペイン]]([[フランシスコ・フランコ|フランコ]]政権)は、[[防共協定]]に参加したが、第二次世界大戦では中立国。このため、スペインは[[第二次世界大戦]]を生き残った唯一の[[ファシズム|ファシスト国家]]となった。また・[[ポルトガル]]([[エスタド・ノヴォ]])も中立を守り通した。 *[[阮朝|ベトナム帝国]]、[[ラオス王国]]、[[カンボジア王国]]は終戦間際の1945年、[[仏領インドシナ]]から日本が独立させたが、いずれも日本の傀儡政権に過ぎず、終戦後は[[フランス]]の支配に戻った。 *[[フィンランド]]は戦後、領土の一部をソビエト連邦に割譲させられた。 *イラクでは[[1941年]]に親枢軸派の[[ラシード・アリー・アル=ガイラーニー]]が首相となり、枢軸国に接近していたが、それが原因となってイギリス・イラク戦争が勃発し、親枢軸政権は崩壊している。詳細は[[イラク王国]]の項参照。 *[[アルゼンチン]]も中立ではあったものの、実権を握っていた[[フアン・ペロン]]中佐の下枢軸国に好意的な立場・政策をとっていた。詳細はアルゼンチンとフアン・ペロンの項を参照。 == 関連項目 == * [[ファシズム]] * [[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]] * [[日独伊三国軍事同盟]] * [[敵国条項]] * [[中央同盟国]]([[第一次世界大戦]]) * [[悪の枢軸発言]] * [[インド国民軍]] * [[ロシア解放軍]] * [[自由ウクライナ]] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9E%A2%E8%BB%B8%E5%9B%BD 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2009年3月18日 (水) 00:52。]     

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。