立憲政体の詔書

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[[Image:Imperial rescript (M8).jpg|thumb|right|400px|立憲政体の詔書(国立公文書館所蔵)]] '''立憲政体の詔書'''(りっけんせいたいのしょうしょ)は、[[1875年]](明治8年)[[4月14日]]に[[明治天皇]]が発した[[詔書]]。[[五箇条の御誓文]]の趣旨を拡充して、[[元老院 (日本)|元老院]]・[[大審院]]・[[地方官会議]]を設置し、段階的に[[立憲政体]]を立てることを宣言した。'''元老院、大審院、地方官会議ヲ設置シ漸時立憲政体樹立ノ詔勅'''、'''漸次立憲政体樹立の詔勅'''、'''元老大審二院を置くの詔'''などとも呼ばれる。 ==沿革== [[1875年]](明治8年)1月から2月にかけての[[大阪会議]]において、明治政府の[[大久保利通]]・[[伊藤博文]]と、在野の[[木戸孝允]]・[[板垣退助]]・[[井上馨]]らとの間で合意が成立し、木戸・板垣の政府復帰と政治体制の改革が約束された。 同年3月、木戸・板垣は[[参議]]に復帰すると、大久保・伊藤とともに大阪会議の合意事項に基づいた政体改革案を作成し、太政大臣[[三条実美]]に提出した。そして、[[4月14日]]、この政体改革案を元にした文書が、明治天皇の詔書の形で発表された。この詔書が、立憲政体の詔書である。 なお、この詔書に表題はないが、[[法令全書]]の目次では「立憲政体の詔書」と名付けられている。 ==内容== 以下、詔書の内容を引用する(原典は[http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40022968&VOL_NUM=00010&KOMA=102&ITYPE=0 法令全書]。旧字体・カタカナで句読点・濁点なし)。 {{quotation| 詔書写<br /> 朕、即位の初首として群臣を会し、五事を以て神明に誓ひ、国是を定め、万民保全の道を求む。幸に祖宗の霊と群臣の力とに頼り、以て今日の小康を得たり。顧に中興日浅く、内治の事当に振作更張すべき者少しとせず。朕、今誓文の意を拡充し、茲に元老院を設け以て立法の源を広め、大審院を置き以て審判の権を鞏くし、又地方官を召集し以て民情を通し公益を図り、漸次に国家立憲の政体を立て、汝衆庶と倶に其慶に頼んと欲す。汝衆庶或は旧に泥み故に慣るること莫く、又或は進むに軽く為すに急なること莫く、其れ能朕が旨を体して翼賛する所あれ。<br />  明治八年四月十四日<br /> [[御璽]]<br /> }} 現代語訳: {{quotation| 私は即位の初めに群臣を集めて五箇条の誓文を神々に誓い、国是を定め万民保全の道を求めた。幸いに先祖の霊と群臣の力とによって今日の落ち着きを得た。かえりみるに、再建の日は浅く、内政の事業には振興したり引締めたりすべき点が少なくない。私は今、五箇条の誓文の主意を拡充し、ここに元老院を設けて立法の源泉を広め、大審院を置いて審判権を確立し、また地方官を召集して民情を通じ公益を図り、漸次に国家立憲の政体を立て、皆とともに喜びを分かちたい。皆も、守旧することもなく、また急進することもなく、よくよく私の主旨に従って補佐しなさい。 }} ==関連項目== *[[民撰議院設立建白書]] *[[大日本帝国憲法]] *[[立憲主義]] ==外部リンク== *[http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m08_1875_01.html 公文附属の図・勅語類・(一)元老院、大審院、地方官会議ヲ設置シ漸時立憲政体樹立ノ詔勅] - 国立公文書館 [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AB%8B%E6%86%B2%E6%94%BF%E4%BD%93%E3%81%AE%E8%A9%94%E6%9B%B8 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月22日 (水) 06:25。]     

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