横浜事件

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'''横浜事件'''(よこはまじけん)とは、[[第二次世界大戦]]末におきた言論弾圧事件のことである。 1942年、雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』に掲載された論文「世界史の動向と日本」を[[大本営]]報道部は[[共産主義]]の[[宣伝]]であるとして問題視し、警視庁が執筆者を治安維持法違反で検挙した。これを発端に、[[中央公論社]]、[[改造社]]の編集者、[[朝日新聞社]]の記者ら約60人が神奈川県警察[[特別高等警察]]課によって逮捕された。横浜地裁は敗戦から[[治安維持法]]廃止(昭和20年10月15日)までの期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した。戦時下最大の言論弾圧事件であると指摘する[[学者]]・[[文化人]]は少なくない。 戦後、無実を訴え続けた元[[被告人]]やその家族、支援者らが再審請求を繰り返し、第3次再審請求で横浜[[地方裁判所]]は2003年に再審開始を決定。2005年に東京[[高等裁判所]]が、この地裁決定を支持、[[検察]]の特別[[抗告]]断念により再審開始が確定した。そうして再審は開始されたが、第1審・横浜地裁は「[[ポツダム宣言]]廃止とともに治安維持法は失効した。刑訴法337条2号により免訴が相当」とした。控訴審・東京高裁は「免訴判決に控訴はできない」と遺族らの控訴を棄却した。現在最高裁判所に係属している。 == 概要 == === 事件 === [[1942年]]、総合雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』に掲載された論文「世界史の動向と日本」が[[共産主義]]的で、ソ連を賛美し「政府のアジア政策を批判するもの」などとして、[[9月1日]]に『改造』を[[発禁|発売頒布禁止]]処分にし、[[9月4日]]に著者が[[新聞紙法]]違反の容疑で逮捕された(「泊事件」)。 捜査中に、同著者と『改造』や『[[中央公論]]』の編集者などが同席した集合写真が、同著者の郷里・富山県泊町(現・下新川郡朝日町沼保)の料亭旅館「紋左」(もんざ)で見つかり、[[日本共産党]]再結成の謀議をおこなっていたとされた。実際は、同著者が1942年7月5日、出版記念で宴会を催した際の写真であったとされている[http://www.kitanippon.co.jp/backno/200510/17backno.html#syakai1]<!-- 同文あり: http://nisimuro.exblog.jp/1344065/ -->。 [[1943年]]から[[1945年]]にかけて、[[改造社]]と[[中央公論社]]をはじめ、[[朝日新聞社]]、[[岩波書店]]、[[満鉄調査部]]などに所属する関係者約60人が次々に[[治安維持法]]違反容疑で検挙され、神奈川県警特別高等警察(特高)は被疑者を革や竹刀で殴打して、失神すると気付けにバケツの水をかけるなど激しい[[拷問]]をおこない、4人が獄死。『改造』『中央公論』も廃刊となった(当時手を下した元特高警察官3人が有罪となった。しかし、彼らは[[サンフランシスコ平和条約]]発効時の大赦により、一日も服役することなく釈放された)。 判決が下ったのは終戦直後の1945年8~9月で、約30人が執行猶予付きの有罪とされた。判決を下した横浜地裁の3裁判官は、裁判長八並達雄、陪席裁判官若尾元・景山勇である。治安維持法が廃止される1ヶ月前の事である。[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による[[戦争犯罪]]訴追を恐れた政府関係者によって当時の公判記録は全て焼却され、残っていない。遺族が再審請求に提出した証拠の「確定判決書」は、[[アメリカ国立公文書記録管理局]] (NARA) に保存されていた物の謄本(全文コピー)である。 真相については現在でも不明な部分が多く、言論弾圧的な側面だけではなく、反[[東条英機|東条]]の有力な[[重臣]]であった[[近衛文麿]]の失脚を期したものではないか、と推測される場合もある。というのは、被疑者の一人<!--である[[細川嘉六]]-->が近衛文麿の側近である[[後藤隆之助]]の[[昭和塾]]の講師をしていたこと、この昭和塾からも検挙者がでているからである。 当時、非合法の[[秘密結社]]でなければならなかった共産党を再結成しようとする人間が会合の写真などを撮る理由はなく、また同著者の論文も軍情報局の検閲を通過していたため、弾圧の理由はなかったはずだとし、まったくの[[でっち上げ]]([[でっち上げ|フレームアップ]])を主張して、有罪判決を受けた関係者、遺族は名誉回復を求めていた。 === 再審 === {{節現在進行}} 元中央公論編集者の妻ら元被告人5人の遺族が申し立てた第3次再審請求で、横浜[[地方裁判所]]第二刑事部([[矢村宏]]裁判長)は2003年に再審開始を決定(横浜地決平15・4・15、判時1820・45)。検察官の即時抗告申立てに対し東京高裁第三刑事部([[中川武隆]]裁判長)は抗告審で[[2005年]][[3月10日]]、警察官の拷問を認定した確定判決から、 *「被告人らに対しても相当回数にわたり拷問を受け、虚偽の自白をしたと認められる」 *「自白の信用性に顕著な疑いがある」 *「横浜事件の有罪判決は、自白のみが証拠であるのが特徴」 *「自白の信用性に疑いがあれば、有罪の事実認定が揺らぐ」 と認定、「再審は事実認定の誤りの是正が基本。法解釈の誤りを理由にするのは、再審の本質と相いれない」ことを理由として検察側抗告を退け、横浜地裁の[[再審]]開始決定を支持した。東京高検は最高検と協議した結果、特別抗告を断念。再審開始が確定した。 他界した元被告人らの遺志を受け継いで再審を請求した遺族らは、「無罪の一言を聞くのはもちろん、なぜ横浜事件がつくられたのかを解明することが大事だ」、と語った。これは、再審が、無罪を認めるだけではなく、治安維持法がどのような法律であったか、どれだけ多くの人がその被害を蒙(こうむ)ったのかを解明して、司法の犯罪と日本の戦争責任を明らかにすべき裁判であることを強調したものである。 弁護団は横浜地裁の再審開始決定の際、「請求人ら及び弁護人らは、再審公判において横浜事件の真相と獄死まで招いた暴虐な拷問捜査の実態を明らかにするため全力を尽くしたい」と声明しており、その後も「万哭(ばんこく)の苦しみと怒りを抱いて亡くなった多くの被害者」の心を生かすため「治安維持法の悪法性を徹底的に解明する公判にしなければならない」と表明。再審が事件当時の裁判官、検察官、そして警察官(特別高等警察)による権力犯罪であったと認定することよって、戦時下の人権・言論弾圧の実態を解明・究明する意義をもつとしている。 横浜地裁([[松尾昭一]]裁判長)で2005年[[10月17日]]、第1回公判が開かれた。[[2006年]][[2月9日]]、治安維持法が廃止され被告人が恩赦を受けたことで[[免訴]](根拠法の廃止により事件は初めからなかったものとし、有罪・無罪の判断をしない)という判決が出た。<!--不当判決というのは価値判断を含んでおり、客観的な表現ではありません。--->弁護側は[[控訴]]する意向を示し、翌日、その手続きをとった。 控訴審は東京高裁([[阿部文洋]]裁判長)で、2006年11月9日に初公判、12月7日に第2回公判が開かれて結審した。免訴判決に対して無罪判決を求めて控訴できるかの法律論に終始し、弁護側が求めた事実審理は行われなかった。結局、2007年1月19日の判決公判は、免訴判決について被告人は刑事裁判手続きから解放され、処罰されないのだから、被告人の上訴申し立てはその利益を欠き、不適法であるとして、控訴を棄却した。弁護団は即日、最高裁に上告した。{{CURRENTYEAR}}年現在審理中。 上告審である最高裁判所第二小法廷([[今井功]]裁判長)は、[[2008年]][[2月22日]]、2審判決を破棄する上で必要な[[弁論]]を開かずに判決期日を指定した。 == 関連項目 == * [[言論の自由]] - [[表現の自由]] - [[報道の自由]](- [[出版]]) * [[改造 (雑誌)|改造]] - [[中央公論]] * [[冤罪]] * [[ゾルゲ事件]] * [[満鉄調査部事件]] * [[治安維持法]] * [[太平洋戦争]] * [[浪曼事件]]([[1941年]])  == 文献 == * 1959年 [[美作太郎]]、[[藤田親昌]]、[[渡辺潔]](共著)『言論の敗北 横浜事件の真実』[[三一書房]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN06435282] * 1966年11月 [[青山憲三]]『横浜事件 「改造」編集者の手記』[[弘文堂]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN10183252] * 1975年12月 [[黒田秀俊]]『横浜事件』[[学芸書林]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN03256822] * 1979年4月 [[中村智子]]『横浜事件の人びと』[[田畑書店]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN03974892]/1980年10月、増補版[http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN01530912]/増補2版、1989年5月[http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN14953996] * 1982年12月 [[木村亨]]『横浜事件の真相 つくられた「泊会議」』[[筑摩書房]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN00993380]/1986年10月 増補2版『横浜事件の真相 再審裁判へのたたかい』[[笠原書店]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN03158324] * 1986年3月 [[畑中繁雄]]([[梅田正己]]編)『日本ファシズムの言論弾圧抄史』[[高文研]]、ISBN 4874980732 * 1986年10月 青山憲三『横浜事件 元『改造』編集者の手記』[[希林書房]]、ISBN 4879210579 * 1986年12月 [[笹下同志会]]編『横浜事件資料集』[[東京ルリコール]]、ISBN 4924742023 * 1987年1月 [[海老原光義]]ほか『横浜事件 言論弾圧の構図』(岩波ブックレット、[[岩波書店]]、ISBN 4000030183 * 1987年11月 [[小野貞]]、[[気賀すみ子]](共著)『横浜事件 妻と妹の手記』高文研、ISBN 4874980899 * 1992年6月 [[小泉文子]]『もうひとつの横浜事件 浅石晴世をめぐる証言とレクイエム』[[田畑書店]]、ISBN 4803802416 * 1995年7月 [[アジアに対する日本の戦争責任を問う民衆法廷]]準備会編『司法の戦争責任・戦後責任 内外の民衆抑圧を支えた司法の実態』[[樹花舎]]、ISBN 4795226709 * 1995年1月 小野貞、大川隆司(共著)『横浜事件・三つの裁判 十五年戦争下最大の言論・思想弾圧事件』高文研、ISBN 4874981534 * 1998年11月 Janice Matsumura, ''More Than a Momentary Nightmare: The Yokohama Incident and Wartime Japan'', Cornell University East Asia Program, ISBN 1885445520 (hardcover), ISBN 188544592X (paperback) * 1999年3月 [[横浜事件の再審を実現しよう! 全国ネットワーク]]編『世紀の人権裁判横浜事件の再審開始を!』樹花舎、ISBN 4795250448 * 2001年10月 [[鳥居民]]『第一部=8 横浜の壊滅』(シリーズ 昭和二十年)、[[草思社]]、ISBN 4794210787 * 2002年2月 木村亨(松坂まき編)『横浜事件木村亨全発言』[[インパクト出版会]]、ISBN 4755401151 * 2003年3月 小野貞『谷間の時代・一つの青春』高文研、ISBN 4874983014 == 外部リンク == * [http://members.at.infoseek.co.jp/yoko_hama/main.html 横浜事件の再審を実現しよう! 全国ネットワーク] * 法政大学大原社会問題研究所『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動』[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-223.html 横浜事件1]、[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-226.html 横浜事件2]、[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-228.html 横浜事件3](第五編 言論統制と文化運動 > 第六章 出版活動 > 第一節 横浜事件) * 松山大学法学部教授・田村譲のホームページ:[http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamajikenn.htm 横浜事件]、[http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamajikennsaisinnketeiyousi.htm 再審決定要旨] * 日本弁護士連合会 - 会長談話: [http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/2005_02.html 横浜事件東京高裁の再審開始決定に際して](2005年3月10日) * Yahoo!ニューストピックス: [http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/yokohama_case/ 横浜事件] * telegraph.co.uk: ''[http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2005/10/28/wjapan28.xml Japan reopens wartime trial of 'Communist cell']''(英語。2005年10月28日、問題の写真を掲載) <!-- * 東京新聞神奈川版: [http://www.tokyo-np.co.jp/00/kgw/20051018/lcl_____kgw_____000.shtml 『濁流泳ぎ、たどり着いた』- 横浜事件再審初公判](2005年10月18日) --> [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月22日 (金) 23:53。]     
'''横浜事件'''(よこはまじけん)とは、[[第二次世界大戦]]中の1942-1945年におきた言論弾圧事件のことである。 [[1942年]]、雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』に掲載された論文が問題になり、執筆者が[[治安維持法]]違反で検挙された。これを発端に編集者、新聞記者ら約60人が神奈川県警察[[特別高等警察]]課によって逮捕された。横浜地裁は敗戦から[[治安維持法]]廃止までの期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した。<!--戦時下最大の[[言論弾圧]]事件であると指摘する学者・文化人は少なくない。--> 戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが[[再審]]請求を繰り返し、2005年に再審が開始されることになったが、最終的に罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴が確定した(後述)。なお、別の遺族が[[2002年]]3月に申し立てた第4次再審請求について、2008年10月31日、開始される事が決定した。 == 経緯 == 1942年、総合雑誌『改造』(8-9月号)に掲載された[[細川嘉六]]<!--個人名を削除する必要があるか?同人の項目でも横浜事件の説明がある。-->の論文「世界史の動向と日本」が共産主義的でソ連を賛美し「政府のアジア政策を批判するもの」などとして問題となり、<!---[[9月1日]]に 保留--->『改造』は[[発禁|発売頒布禁止]]処分にされた。そして[[9月14日]]に著者が[[新聞紙法]]違反の容疑で逮捕された。 捜査中に、同著者と『改造』や『[[中央公論]]』の編集者などが同席した集合写真が同著者の郷里・[[富山県]][[泊町]](現・[[下新川郡]][[朝日町 (富山県)|朝日町]]沼保)の料亭旅館「紋左」(もんざ)で見つかり、[[日本共産党]]再結成の謀議をおこなっていたとされた(「'''泊事件'''」)。実際は同著者が[[1942年]][[7月5日]]、出版記念で宴会を催した際の写真であったとされている[http://www.kitanippon.co.jp/backno/200510/17backno.html#syakai1]<!-- 同文あり:http://nisimuro.exblog.jp/1344065/ -->。1943年に改造社と中央公論社をはじめ、朝日新聞社、[[岩波書店]]、[[満鉄調査部]]などに所属する関係者約60人が次々に治安維持法違反容疑で検挙され、[[神奈川県警察|神奈川県警]][[特別高等警察]](特高)は被疑者を革や竹刀で殴打して失神すると気付けにバケツの水をかけるなど激しい[[拷問]]をおこない、4人が獄死(神奈川県警察の管轄事件であったために'''横浜事件'''と呼ばれるようになった)。『改造』『中央公論』も廃刊となった。 判決が下ったのは終戦直後、即ち治安維持法が廃止される1ヶ月前の1945年8月下旬から9月にかけてで、約30人が執行猶予付きの有罪とされた。<!----判決を下した横浜地裁の3裁判官は裁判長の[[八並達雄]]、陪席裁判官の[[若尾元]]と[[景山勇]]--->[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による[[戦争犯罪]]訴追を恐れた政府関係者によって当時の公判記録は全て焼却され、残っていない(遺族が再審請求に提出した証拠の「確定判決書」は[[アメリカ国立公文書記録管理局]](NARA)に保存されていた物の謄本(全文写し)である)。当時手を下した元特高警察官30人が告訴され、うち3人が有罪となったが、彼らは[[サンフランシスコ平和条約]]発効時の大赦により、1日も服役することなく釈放された。また判検事に対しては何らの処分もされていない。 真相については現在でも不明な部分が多く、言論弾圧的な側面だけではなく反[[東條英機]]の有力な重臣であった[[近衛文麿]]の失脚を期したものではないかと推測される場合もある。というのは、被疑者の1人<!--である[[細川嘉六]]-->が近衛文麿の側近・[[後藤隆之助]]の主宰した[[昭和塾]]で講師をしていた関係で、塾からも検挙者がでているからである。 ==再審== 有罪判決を受けた関係者・遺族は、当時非合法の[[秘密結社]]でなければならなかった共産党を再結成しようとする人間が会合の写真などを撮る理由はなく、また同著者の論文も軍情報局の検閲を通過していたため弾圧の理由はなかったはずだとし、まったくの[[でっち上げ]]([[フレームアップ]])だと主張しており、名誉回復を求めていた。 無実を訴え続けた元[[被告人]]やその家族、支援者らは[[再審]]請求を繰り返した。[[1986年]]の第1次、[[1994年]]の2次再審請求は棄却、元中央公論編集者の妻ら元被告人5人の遺族が[[1998年]]に申し立てた第3次再審請求で横浜地裁は2003年に再審開始を決定(横浜地決平15・4・15、判時1820・45)。検察官の即時抗告申立てに対し東京高裁は抗告審(2005年[[3月10日]])で、警察官の拷問を認定した確定判決から、 * 「被告人らに対しても相当回数にわたり拷問を受け、虚偽の自白をしたと認められる」 * 「自白の信用性に顕著な疑いがある」 * 「横浜事件の有罪判決は、自白のみが証拠であるのが特徴」 * 「自白の信用性に疑いがあれば、有罪の事実認定が揺らぐ」 と認定。「再審は事実認定の誤りの是正が基本。法解釈の誤りを理由にするのは、再審の本質と相いれない」ことを理由として検察側抗告を退け、横浜地裁の再審開始決定を支持した。東京高検は最高検と協議した結果、特別抗告を断念。再審開始が確定した。 他界した元被告人らの遺志を受け継いで再審を請求した遺族らは、「無罪の一言を聞くのはもちろん、なぜ横浜事件がつくられたのかを解明することが大事だ」と語った。これは再審が無罪を認めるだけではなく、治安維持法がどのような法律であったか、どれだけ多くの人がその害をこうむったのかを解明して、司法の犯罪と日本の戦争責任を明らかにすべき裁判であることを強調したものである。 <!---   冗長・ダブり多しと思われ。 弁護団は横浜地裁の再審開始決定の際「請求人ら及び弁護人らは、再審公判において横浜事件の真相と獄死まで招いた暴虐な拷問捜査の実態を明らかにするため全力を尽くしたい」と声明しており、その後も「万哭(ばんこく)の苦しみと怒りを抱いて亡くなった多くの被害者」の心を生かすため「治安維持法の悪法性を徹底的に解明する公判にしなければならない」と表明。再審が事件当時の裁判官、検察官、そして警察官(特別高等警察)による権力犯罪であったと認定することよって、戦時下の人権・言論弾圧の実態を解明・究明する意義をもつとしている。---> *一審の横浜地裁では、[[2006年]][[2月9日]]、「[[ポツダム宣言]]廃止とともに治安維持法は失効し、被告人が恩赦を受けたことで、刑訴法337条2号により免訴(根拠法の廃止により事件は初めからなかったものとし、有罪・無罪の判断をしない)が相当」という判決が出た。 *控訴審の東京高裁では、免訴判決に対して無罪判決を求めて控訴できるかの法律論に終始し、弁護側が求めた事実審理は行われなかった。結局、[[2007年]][[1月19日]]の判決公判では、免訴判決について「被告人は刑事裁判手続きから解放され、処罰されないのだから、被告人の上訴申し立てはその利益を欠き、不適法」として、控訴を棄却した。弁護団は即日、最高裁に上告した。 *上告審の最高裁判所第二小法廷は、[[2008年]][[3月14日]]、「再審でも、刑の廃止や大赦があれば免訴になる」として遺族らの上告を棄却した。これによって再審手続きに法的な決着はついた形になったが、第3次請求に関しては事件の真相が明らかにされることなく終わった。 *第4次再審請求は2002年に行なわれ、2008年10月、横浜地裁は再審開始を決定した。この再審では「自白は拷問により強要されたもの」として無罪判決を求める予定。 == 文献 == * 1959年 [[美作太郎]]、[[藤田親昌]]、[[渡辺潔]](共著)『言論の敗北 横浜事件の真実』[[三一書房]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN06435282] * 1966年11月 [[青山憲三]]『横浜事件 「改造」編集者の手記』[[弘文堂]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN10183252] * 1975年12月 [[黒田秀俊]]『横浜事件』[[学芸書林]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN03256822] * 1979年4月 [[中村智子 (文筆家)|中村智子]]『横浜事件の人びと』[[田畑書店]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN03974892]/1980年10月、増補版[http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN01530912]/増補2版、1989年5月[http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN14953996] * 1982年12月 [[木村亨]]『横浜事件の真相 つくられた「泊会議」』[[筑摩書房]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN00993380]/1986年10月 増補2版『横浜事件の真相 再審裁判へのたたかい』[[笠原書店]][http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN03158324] * 1986年3月 [[畑中繁雄]]([[梅田正己]]編)『日本ファシズムの言論弾圧抄史』[[高文研]]、ISBN 4874980732 * 1986年10月 青山憲三『横浜事件 元『改造』編集者の手記』[[希林書房]]、ISBN 4879210579 * 1986年12月 [[笹下同志会]]編『横浜事件資料集』[[東京ルリコール]]、ISBN 4924742023 * 1987年1月 [[海老原光義]]ほか『横浜事件 言論弾圧の構図』(岩波ブックレット、[[岩波書店]]、ISBN 4000030183 * 1987年11月 [[小野貞]]、[[気賀すみ子]](共著)『横浜事件 妻と妹の手記』高文研、ISBN 4874980899 * 1992年6月 [[小泉文子]]『もうひとつの横浜事件 浅石晴世をめぐる証言とレクイエム』[[田畑書店]]、ISBN 4803802416 * 1995年7月 [[アジアに対する日本の戦争責任を問う民衆法廷]]準備会編『司法の戦争責任・戦後責任 内外の民衆抑圧を支えた司法の実態』[[樹花舎]]、ISBN 4795226709 * 1995年1月 小野貞、大川隆司(共著)『横浜事件・三つの裁判 十五年戦争下最大の言論・思想弾圧事件』高文研、ISBN 4874981534 * 1998年11月 Janice Matsumura, ''More Than a Momentary Nightmare: The Yokohama Incident and Wartime Japan'', Cornell University East Asia Program, ISBN 1885445520 (hardcover), ISBN 188544592X (paperback) * 1999年3月 [[横浜事件の再審を実現しよう! 全国ネットワーク]]編『世紀の人権裁判横浜事件の再審開始を!』樹花舎、ISBN 4795250448 * 2001年10月 [[鳥居民]]『第一部=8 横浜の壊滅』(シリーズ 昭和二十年)、[[草思社]]、ISBN 4794210787 * 2002年2月 木村亨(松坂まき編)『横浜事件木村亨全発言』[[インパクト出版会]]、ISBN 4755401151 * 2003年3月 小野貞『谷間の時代・一つの青春』高文研、ISBN 4874983014 == 関連項目 == * [[日本における検閲]] * [[言論の自由]] - [[表現の自由]] - [[報道の自由]](- [[出版]]) * [[改造 (雑誌)]] - [[中央公論]] * [[ゾルゲ事件]] * [[満鉄調査部事件]] * [[治安維持法]] * [[太平洋戦争]] * [[浪曼事件]]([[1941年]])  == 外部リンク == * [http://members.at.infoseek.co.jp/yoko_hama/main.html 横浜事件の再審を実現しよう! 全国ネットワーク] * 法政大学大原社会問題研究所『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動』[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-223.html 横浜事件1]、[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-226.html 横浜事件2]、[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-228.html 横浜事件3](第五編 言論統制と文化運動 > 第六章 出版活動 > 第一節 横浜事件) * 松山大学法学部教授・田村譲のホームページ:[http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamajikenn.htm 横浜事件]、[http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamajikennsaisinnketeiyousi.htm 再審決定要旨] * 日本弁護士連合会 - 会長談話: [http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/2005_02.html 横浜事件東京高裁の再審開始決定に際して](2005年3月10日) * Yahoo!ニューストピックス: [http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/yokohama_case/ 横浜事件] * デイリーテレグラフ: ''[http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2005/10/28/wjapan28.xml Japan reopens wartime trial of 'Communist cell']''(英語。2005年10月28日、問題の写真を掲載) * 東京新聞神奈川版:『濁流泳ぎ、たどり着いた』- 横浜事件再審初公判(2005年10月18日 記事は掲載期間経過で削除) [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月13日 (土) 17:03。]     

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