新体制運動

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'''新体制運動'''(しんたいせいうんどう)とは、[[昭和]]初頭から昭和20年([[1945年]])の敗戦にかけての日本において約20年間、主張された政治運動。 日本におけるファシズム運動であるという認識が根強いが、あくまで[[天皇]]の[[輔弼]]を目的とし、[[ナチス・ドイツ]]型の政治体制をとったわけではないため、この語は適当ではないといわれる。主に[[大政翼賛会]]に代表される。 ==バスに乗り遅れるな== 新体制運動が進められた背景には、世界的なファシズムの台頭が挙げられる。当時、欧米諸国、とりわけ[[ソビエト連邦]]・[[イタリア]]・[[ドイツ]]で一党独裁による挙国一致体制が進められていた。[[世界恐慌]]から通ずる情勢不安において、これらの国々が経済成長(不況脱却)をしているかのように見受けられたことから、[[全体主義]]こそが今後の世界の指針になりうると考えられた。 日本の知識人、特に時の首相、[[近衛文麿]]はこれを世界的潮流と認識し、やがて世界は「ソ連」、「ドイツ・イタリア」、「[[アメリカ合衆国|アメリカ]]」、「大日本帝国」の四大勢力による分割支配されるだろうと予想した。そのため日本では、時流に取り残されることを恐れ、また新体制に諸問題の解決を期待する運動が高まり、「'''バスに乗り遅れるな'''」というスローガンが広く使われるようになった。 この思想が広まった国々では[[共産主義]]と[[ファシズム]]が台頭した。あくまで米国からの脅威に対抗しようとのみ考えていた日本においては、ファシズムと呼べるほどの政治思想は生まれなかったが、国難を解決し、米国の脅威から日本を防衛するために強力な政治団体が必要と感じた近衛は、昭和15年([[1940年]])、大政翼賛会を結成、ナチス・ドイツ型の新政体を目指した。 しかし、立憲君主として天皇を戴く日本においてこの新思想は違憲であるとする勢力や、外国の政治体制を基にした新思想は天皇を戴く国家体制が世界で最も優れた政治体制であるとした[[国体明徴声明]]に反するとする勢力、天皇以外の勢力が政治の実権を有するのは天皇を軽んじてきた[[幕府]]政治の復活であるとする勢力、さらには政党政治こそが日本の国体であると主張していた一部の政治家や既得権益を脅かされることを危惧する一部官僚からの反発も大きく、大政翼賛会の理念は骨抜きにされたと言っても良く、結局のところ大政翼賛会は[[国家総動員法]]を国民に浸透させ戦時生活を支えるだけの組織であった。 == 関連項目 == *[[天皇制ファシズム]] *[[特高課長講演問題]] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%96%B0%E4%BD%93%E5%88%B6%E9%81%8B%E5%8B%95 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月29日 (水) 07:00。]     

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