帝国党

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'''帝国党'''(ていこくとう)は、[[明治時代]]後期の[[吏党]]系[[政党]]([[1899年]][[7月5日]]-[[1905年]][[12月23日]])。[[国民協会_(日本)|国民協会]]のあとを受け結成された。 ==概要== 国民協会の会頭(党首)であった[[品川弥二郎]]が政党活動から撤退を表明したことにより解散されることになった国民協会所属議員の受け皿として、[[佐々友房]]・[[荒川邦蔵]]らによって結成された。だが、[[伊藤博文]]による新党(後の[[立憲政友会]])結成の噂が流れたことによって所属議員は分裂して[[大岡育造]]派は新党参加を決定、残された佐々友房派12名が無所属や他党議員8名を加えて計20名で結成することとなった。国体擁護・軍備充実・国権拡張・実業振作・国民精神発揚・社会政策拡充・地方自治完備といった綱領を掲げていた。 だが、実際に立憲政友会が結成されると党内は動揺して[[元田肇]]らが離脱してこれに参加、[[第1次桂内閣]]では唯一の[[与党]]となったものの、20名を切る小政党では活動に限界があった。[[対露同志会]]に参加して[[日露戦争]]期にはやや勢いを得たものの議席増加にはつながらず、戦後における桂内閣の崩壊が確定的となると今後の展望が不透明となったことから、同じ吏党諸派とともに[[大同倶楽部]]への合流を決定して解散した。 [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%85%9A 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月11日 (金) 21:46。]     

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