西来庵事件

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[[Image:Xilaian Incident.jpg|right|thumb|250px|西来庵事件で[[台南刑務所]]より[[台南地方法院|法院]]に押送される逮捕者]] [[Image:Xilaian Temple.JPG|thumb|250px|アジトとなった西来庵]] '''西来庵事件'''(せいらいあんじけん)は、[[1915年]](大正4年)に[[日本統治時代 (台湾)|日本領台湾]]の台南庁<font lang="zh">噍吧哖</font>(タパニー、現・[[玉井郷]])で発生した武装蜂起。地名から「'''タパニー事件'''」とも、首謀者が[[余清芳]]であったことから「'''余清芳事件'''」ともいう。[[本島人]]による最後の抗日武装蜂起であった。 == 概要 == 首謀者の余清芳は、かつて[[台湾総督府警察]]の警察官であった。その後警察を退職し、職を転々と変えた後、最終的に西来庵に出入りするようになった。そして布教活動の傍ら、西来庵をアジトに抗日武装蜂起を計画するようになった。 1915年、基隆で同志が逮捕されたことから計画が発覚、余清芳一党は逸早く山間部に逃げ込み、ゲリラ戦を展開した。余清芳は「'''大明慈悲国奉旨平台征伐天下大元帥余'''」を自称し、西来庵の祭神である「王爺」の神勅を利用するなど宗教色の強いものであった。最終的に日本人95人が殺された。 事件に関連し逮捕検挙された者の総数は1957人を数え、死刑判決を受けた者は866人となった。しかし、死刑囚866人はさすがに多すぎるため、被害者と同数の95人のみを執行し、その他は[[大正天皇]]の即位記念[[恩赦]]ということで減刑した。 == 首謀者 == <gallery> Image:Yu Ching-fang.JPG|余清芳 Image:Luo Jun.JPG|羅俊 Image:Jiang Ding.JPG|江定 </gallery> == 参考文献 == *[[松下芳男]]『暴徒鎮圧史』柏書房、1977年 *古野直也『台湾軍司令部 1895-1945』国書刊行会、1991年 == 関連項目 == {{Commonscat|Ta-pa-ni Incident}} *[[台湾抗日運動]] *[[余清芳]] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%A5%BF%E6%9D%A5%E5%BA%B5%E4%BA%8B%E4%BB%B6 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 03:40。]     

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