辰丸事件

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'''辰丸事件'''(たつまる じけん)は、[[中国]]における排日運動の嚆矢となった有名な事件。[[1908年]](明治41年)[[2月5日]]に、[[澳門]]沖に起きた日本船[[第二辰丸]]の拿捕事件である。 == 経緯 == 澳門のポルトガル人銃砲商が発注した銃器94函、弾薬40函及び石炭等を積載して神戸を出た汽船第二辰丸は、澳門前面の水域において[[清国]][[拱北関]]の巡視船四隻に武器密輸の嫌疑で拿捕され 、[[日章旗]]を撤去 、[[広東]]に廻航された。日本側は密輸行為を無視し、領海問題、日章旗問題を口実に中国と強硬な交渉を行い、謝罪と10万円の損害賠償を要求した。しかし、清国政府は革命党の問題に悩まされている最中であり、容易に日本の条件を受け入れなかった。一方、日本では、[[第1次西園寺内閣]]が様々な国内事情を抱え、[[帝国議会]]、軍部、財界の圧力にさらされており、この局面を挽回しようと[[第三艦隊 (日本海軍)|南清艦隊]]を動かして清国政府を威嚇した。結果、清国政府は[[3月15日]]、辰丸釈放、損害賠償、謝罪礼砲、兵器買収など五ヶ条の要求を入れることとなる。ところが事件発生地である広東の紳民はこれに憤激し、辰丸が釈放される19日に国恥記念大会を結集し、日貨排斥を決議したのである。この運動は広東省内にはもちろん、華南、南洋まで及び、不況下の日本への打撃は深刻であった。 [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%BE%B0%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月3日 (水) 16:17。]    

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