国民義勇隊

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'''国民義勇隊'''(こくみんぎゆうたい)とは[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])末期に、[[本土決戦]]に備えるために'''国民総動員組織'''として創設された日本の国民統制組織のことである。[[終戦]]に伴い消滅した。 == 概要 == [[1945年]]3月に「国民義勇隊組織ニ関スル件」として[[閣議]]決定された。6月には[[大政翼賛会]]、[[大日本翼賛壮年団]]、[[大日本婦人会]]などを吸収・統合した。 国民義勇隊は地域または職場ごとに編成され、前者は町内会・部落会を単位小隊として集めた'''市町村国民義勇隊'''、後者は官公署・工場・会社などを単位小隊とした'''職域国民義勇隊'''とされた。さらにその上に前記二つの義勇隊を合体した'''連合国民義勇隊'''が作られていた。対象年齢は、国民学校初等科修了から男子65歳以下、女子45歳以下とされたほか、それ以外の者も志願することができた。 本土決戦に向けた国民の組織化が目的で、消火活動や食糧増産、疎開作業などの工事のほか、軍需品の輸送や陣地構築などの補助的な軍事活動にあたるものとされた。実際には空襲後の戦災処理などに動員される事が多かった。なお、当面は戦闘任務に参加することまでを想定したものではなく、情勢がより緊迫化した場合に特別の措置を講じたうえで戦闘部隊とするものとされていた。ただし、戦闘部隊へと改編した後も、原則として直接戦闘以外の補助的な配置につくことが予定されていた。戦闘部隊への改編措置は、6月23日公布の'''義勇兵役法'''により法整備がされ、これにもとづき[[#国民義勇戦闘隊|国民義勇戦闘隊]]が編成された。 終戦後の1945年8月21日の閣議決定で廃止が決められ、9月2日に解散した。 ==国民義勇戦闘隊== ===概要=== '''国民義勇戦闘隊'''は、1945年6月に成立施行された義勇兵役法にもとづく[[民兵]]組織であり、国民義勇隊を基礎として編成されたため、一応異なるものであるが組織の多くが流用され共通している。原則的に従来の市町村国民義勇隊・職域国民義勇隊が基本単位となり、小隊は「戦隊」と呼び変えるなどとされたが、実際の編制・運用は各市町村などに委ねられた。義勇兵役の対象は原則として男子は15歳ないし60歳、女子は17歳ないし40歳となっており、必要に応じて<!--このような制限規定があったのでしょうか?男子50歳以下、女子40歳以下を-->義勇召集し国民義勇戦闘隊とすることができたほか、年齢制限外の者も志願することが認められていた。義勇戦闘隊は2800万人が本土決戦に動員される予定だった。ドイツの[[国民突撃隊]]に相当する。 武器などの装備品は基本的に隊員各自が用意することになっており、幕末以前の旧式銃や粗製の簡易銃すらあまり行き渡らず、弓・刀剣・[[銃剣]]付き訓練用木銃などの他、果ては鎌などの[[農具]]や、[[刺又]]・[[突棒]]のような捕物道具、マニュアルに基づいて自作した[[竹槍]]などにおよぶ劣悪なものだった。服装は正規軍人と区別できて身軽なものでありさえすれば良いとされ、[[戦時国際法]]上の戦闘員資格を確保するため、隊員は布製徽章(きしょう)を身に付け、指揮をとる職員は[[腕章]]により標識するものとされた。 陸海軍刑法などの各種規律が適用または準用されたが、刑罰の適用対象や科刑範囲が限定されるなどの取り扱いになっていた。 なお、名称は「義勇」とされるが、一方的に召集されて刑罰により強制される兵役であり、本来の意味での[[義勇兵]]には該当しない。年齢制限外の者の志願の場合も、国家の軍事組織への自主参加であるので、[[志願兵]]ではあっても義勇兵とは異なる。 連合国軍(特に米軍)側は、この制度を「日本国民全員が戦闘員となった。すなわち、日本に戦争法規上攻撃してはならない民間人はいなくなった」と恣意的に解釈し、[[絨毯爆撃]]に代表される無差別攻撃を正当化した。{{要出典}} ===戦史=== 実際の編成が行われたのは、後述する一部地域の例外を除くと、鉄道義勇戦闘隊(7月23日発令、8月1日編成完結)と船舶義勇戦闘隊(8月1日発令、8月5日編成完結)、船舶救難戦闘隊(8月5日発令)の3つのみである。実際に本土決戦が生起する前に[[終戦の日|終戦]]を迎えたため、大多数は実戦を経験することはなかった。[[沖縄戦]]は国民義勇戦闘隊の成立以前である。 例外的に、[[樺太]]では広く国民義勇戦闘隊が編成され、1945年8月9日の[[ソ連対日参戦]]により侵攻してきた[[赤軍|ソ連軍]]を迎撃するため、正規の陸海軍部隊とともに停戦命令(18日発令)受領まで実戦に参加している。樺太では8月1日に樺太鉄道連合義勇戦闘隊が編成されたのを最初に、8月13日には全地区に対し義勇召集と義勇戦闘隊の編成が発令されており、[[第88師団 (日本軍)|第88師団]]の指揮下に編入されて警戒や陣地構築、避難誘導などを行った。[[恵須取支庁]]では直接の戦闘任務にも参加し、劣悪な装備状況にもかかわらず善戦している。なお、樺太では、国民義勇戦闘隊以外の民兵組織として在郷軍人などを中心とした地区特設警備隊も編成され、猟銃などで武装のうえ実戦投入されている。(''樺太戦の詳細は[[ソ連対日参戦]]参照'') == 関連項目 == *[[決号作戦]] *[[本土決戦]] *[[鉄血勤皇隊]] *[[ひめゆり学徒隊]] *[[国民突撃隊]] -第二次世界大戦末期のドイツで編成された民兵組織。 [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%BE%A9%E5%8B%87%E9%9A%8A 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月6日 (月) 02:01。]     

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