東久邇宮内閣

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{{日本の内閣記事|ひがしくにのみや ないかく|43|東久邇宮稔彦王|{{和暦|1945}}|8月17日|同年|10月9日|貴族院が中心。|なし|なし|http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/43.html|[[皇族]]・[[陸軍大将]]|内閣名=東久邇宮内閣<ref>内閣総理大臣としての正式な表記は宮号を冠さない「内閣総理大臣 稔彦王」であり、官報にもそのように掲載された。</ref>|画像=[[画像:Cabinet of Prince Higashikuni Naruhiko.jpg|300px]]|画像説明=東久邇宮内閣の閣僚<ref>最前列[[東久邇宮稔彦王]]、二列目左より[[重光葵]]、[[米内光政]]、[[中島知久平]]、[[近衛文麿]]、[[岩田宙造]]、三列目左より[[松村謙三]]、[[千石興太郎]]、[[山崎巌]]、[[津島寿一]]、[[小日山直登]]、[[緒方竹虎]]、最後列が[[村瀬直養]]。</ref>}}皇族が首相となった内閣は史上唯一、在任期間は54日間で史上最短。最後の[[挙国一致内閣]]でもある。 1945年(昭和20年)10月5日に[[内閣総辞職]]し、次の幣原内閣が発足するまで、職務を執行した。 ==概要== 東久邇宮内閣は、前の[[鈴木貫太郎内閣]]の総辞職を受けて、[[皇族]]かつ現役陸軍大将である[[東久邇宮稔彦王]]が組閣した内閣である。 前の鈴木内閣は、発足当初より終戦内閣として組閣されていたため、[[終戦の詔書]]を発して間もない1945年(昭和20年)8月17日に内閣総辞職した。後任人事については、敗戦処理という困難な仕事を遂行するため、強力な権威と実行力を必要とした。これまで何度か、国民及び軍人を強力に統制するため、[[皇族]]であり現役の軍人であった稔彦王の首相待望論が持ち出されてきたが、その都度、[[内大臣]][[木戸幸一]]の反対により阻止されてきた([[東條内閣#概要]]を参照。)。しかし、こと終戦にいたって、軍の暴走(特に、陸軍の中堅幹部)を抑えて政府秩序を再構築し、国民を統合して荒廃した国土を復興するためには、皇族が政府の先頭に立って、政治を行うしかないと考えられた。また、戦争にも負けたことで、これ以上国家の事態が悪化するようなこともなかろうという読みからも、皇族を政治に立てやすかったといえる。 当初、次期首相に推挙された稔彦王は、皇族かつ軍人であるがゆえに、これまで政治に近づくことを禁じられ、政治経験もないことを理由として、就任を拒んだ。しかし、時局の説明を受けて就任を承諾し、戦前から親交のあった[[近衛文麿]]を相談相手とすることで政治面の補佐を受けることになる。就任後の記者会見で、「全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」という、いわゆる「一億総懺悔」発言を行う。この「一億総懺悔」と「国体護持」を敗戦処理と戦後復興に向けた二大方針とした。 東久邇宮内閣は、省庁再編、軍の武装解除、連合国軍の進駐、降伏文書調印など、次々と重要課題を処理していくことが求められ、いまだ体制の整わない[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)]]からの指令にも対応していった。このような中で、GHQから1945年(昭和20年)10月4日に伝えられた指令、いわゆる「[[自由の指令]]」(「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」、[[人権指令]]。)への対処が問題となった。この指令は、人権確保のため、[[治安維持法]]、[[宗教団体法]]などの廃止や[[政治犯]]・[[思想犯]]の釈放、[[特別高等警察]](特高警察)の解体や[[内務大臣]]ら[[内務省 (日本)|内務省]]幹部の罷免などを内容とした。東久邇宮内閣はこの指令の実行をためらい、内閣総辞職に至った。 ==閣僚== === 省庁再編前(8月26日以前) === 1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 ==== 国務大臣 ==== *[[内閣総理大臣]] :[[東久邇宮稔彦王]](軍人:陸軍大将[陸士20期]・[[貴族院 (日本)|貴族院]]所属・無所属):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[外務大臣]] :[[重光葵]](貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[内務大臣]] :[[山崎巌]](官僚:[[内務省 (日本)|内務省]]):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[大蔵大臣]] :[[津島寿一]](貴族院所属・研究会):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[陸軍大臣]] :東久邇宮稔彦王(首相兼任・軍人:陸軍大将[陸士20期]・貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年[[8月23日]] :[[下村定]](軍人:陸軍大将[陸士20期]):1945年(昭和20年)8月23日 - 同年8月26日 *[[海軍大臣]] :[[米内光政]](軍人:海軍大将[海兵29期])(鈴木内閣から留任) :1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[司法大臣]] :[[岩田宙造]](貴族院所属・同和会):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[文部大臣]] :[[松村謙三]]([[衆議院]]議員・大日本政治会):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年[[8月18日]] :[[前田多門]](貴族院所属・同成会):1945年(昭和20年)8月18日 - 同年8月26日 *[[農商大臣]] :[[千石興太郎]](貴族院所属・無所属倶楽部):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[軍需大臣]] :[[中島知久平]](衆議院議員・大日本政治会・実業家、[[中島飛行機]]創業者):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[運輸大臣]] :[[小日山直登]](貴族院所属:無所属・実業家)(鈴木内閣から留任):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[大東亜大臣]] :重光葵(外相兼任・貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[厚生大臣]] :松村謙三(文相兼任・衆議院議員・大日本政治会):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[国務大臣]] :[[公爵]][[近衛文麿]](貴族院所属・[[火曜会]]):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[国務大臣]] :[[緒方竹虎]](貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[国務大臣]] :[[小畑敏四郎]](予備役陸軍中将[陸士16期]):1945年(昭和20年)[[8月19日]] - 同年8月26日 *[[内閣書記官長]] :[[緒方竹虎]](国務相兼任・貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 *[[法制局長官]] :[[村瀬直養]](貴族院所属・研究会):1945年(昭和20年)8月17日 - 同年8月26日 ==== 政務次官 ==== {{節stub}} === 省庁再編後(8月26日以後) === 1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 ==== 国務大臣 ==== *[[内閣総理大臣]] :東久邇宮稔彦王(軍人:陸軍大将[陸士20期]・貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[外務大臣]] :重光葵(貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年[[9月17日]] :[[吉田茂]](官僚:[[外務省]]):1945年(昭和20年)9月17日 - 同年10月9日 *[[内務大臣]] :山崎巌(官僚:[[内務省 (日本)|内務省]]):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[大蔵大臣]] :津島寿一(貴族院所属・研究会):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[陸軍大臣]] :下村定(軍人:陸軍大将[陸士20期]):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[海軍大臣]] :米内光政(軍人:海軍大将[海兵29期]):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[司法大臣]] :岩田宙造(貴族院所属・同和会):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[文部大臣]] :前田多門(貴族院所属・同成会):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[農林大臣]] - 同年農商務省から再編 :千石興太郎(貴族院所属・無所属倶楽部):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[商工大臣]] - 同年農商務省から再編 :中島知久平(衆議院議員・大日本政治会・実業家、中島飛行機創業者) - 同年軍需相から転じる:1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[運輸大臣]] :小日山直登(貴族院所属:無所属・実業家):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[厚生大臣]] :松村謙三(衆議院議員・大日本政治会):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[国務大臣]] :公爵近衛文麿(貴族院所属・[[火曜会]]):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[国務大臣]] :緒方竹虎(貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[国務大臣]] :小畑敏四郎(予備役陸軍中将[陸士16期]):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *[[内閣書記官長]] :緒方竹虎(国務相兼任・貴族院所属・無所属):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 *内閣副書記官長 - 同年1945年(昭和20年)9月19日新設 :[[高木惣吉]](予備役海軍少将[海兵43期]) :1945年(昭和20年)9月19日 - 同年10月9日 *[[法制局長官]] :村瀬直養(貴族院所属・研究会):1945年(昭和20年)8月26日 - 同年10月9日 ==== 政務次官 ==== {{節stub}} ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 外部リンク == *[http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/43.html 首相官邸 - 東久邇内閣] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%B1%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE%E5%86%85%E9%96%A3 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月19日 (水) 18:15。]    

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