日本の分割統治計画

「日本の分割統治計画」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

日本の分割統治計画」(2008/12/29 (月) 23:38:29) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

[[Image:Divide-and-rule plan of Japan.png|thumb|320px|アメリカ国立公文書館に現存する計画書による日本の[[分割統治]]計画。東京23区は米中ソ英4か国、近畿と福井県は米中2か国による共同統治。]] '''日本の分割統治計画'''(にほんのぶんかつとうちけいかく)は、[[第二次世界大戦]]において、[[ドイツ]]や[[オーストリア]]が降伏後[[アメリカ合衆国|米]]・[[イギリス|英]]・[[ソビエト連邦|ソ]]・[[フランス|仏]]4カ国に分割統治されたように、[[本土決戦]]後の[[日本]]も[[北海道]]・[[本州]]・[[九州]]・[[四国]]を[[連合国]]それぞれが統治しようとした計画。 == 概要 == === 実際の歴史 === 連合国は第二次世界大戦中、日本が[[明治維新]]以降に『'''暴力的に獲得した地域'''』を連合国によって分割する方針を打ち出していた。連合国は日本降伏後、かかる地域を以下のように分割占領した。 *ソ連 **[[樺太庁|南樺太]]([[ポーツマス条約]]で獲得、内地、[[1943年]][[3月31日]]までは外地) **[[千島列島]]([[樺太・千島交換条約]]で獲得、内地) **[[朝鮮]][[北緯38度線]]以北([[日韓併合条約]]で獲得、外地) **[[関東州]]([[旅順]]・[[大連市|大連]])(ポーツマス条約で獲得、[[租借地]]。[[1950年代]]に中国へ返還) *アメリカ **朝鮮北緯38度線以南(日韓併合条約で獲得、外地) **[[沖縄県|沖縄]]([[琉球処分]]、内地) **[[奄美諸島|奄美]](連合国は沖縄の一部と解釈) ***旧[[十島村]]は、軍政下に置かれた島(現十島村)とそれ以外の島(現[[三島村]])に分割された。 **[[小笠原諸島|小笠原]](明治に領有宣言) **[[委任統治]]領[[南洋諸島|南洋群島]]([[ヴェルサイユ条約]]で獲得) *中華民国 **[[台湾]]([[下関条約]]で獲得、外地) これらは、[[1945年]](昭和20年)の日本降伏後、速やかに実行された。 これら占領地域には、日本が内地とした地域もあり、その点で言えば、日本領土は史実でも分割されている。しかし、本土決戦の回避により、上記以外の日本本土を構成する[[北海道]]・[[本州]]・[[四国]]・[[九州]]及び付属島嶼は、[[連合国軍最高司令官総司令部]](通称GHQ、実質は米国)によって[[1952年]](昭和27年)まで統一した占領統治下におかれ、分割されることはなかった。本計画では、これらの本土地域も細かく分割することになっており、この項目で指す分割とは、この計画を指している。 === 計画による統治区域 === [[アメリカ合衆国|アメリカ]]にある[[国立公文書館]]に現存する計画書によると、[[北海道]]と[[東北地方|東北]]は[[ソビエト連邦|ソ連]]占領地域、[[関東地方|関東]]・[[中部地方|中部]]・[[福井県]]を除く[[北陸地方|北陸]]及び[[三重県]]付近はアメリカ占領地域、四国は[[中華民国]]占領地域、[[中国地方|中国]]・九州は[[イギリス]]占領地域として統治し、首都[[東京]]の[[東京都区部|23区]]は米・中・ソ・英の、福井県を含む[[近畿地方|近畿]]は中華民国とアメリカの共同管理下に置くという計画であった(地図参照)。 == 廃案 == この計画が廃案となった理由ははっきりしていない。有力な説としては以下が挙げられる。 * 米軍が[[原子爆弾]]の開発・運用に成功し、[[核兵器|核戦力]]を入手した事。 * 核戦力の獲得に乗じ、[[ヤルタ会談]]で合意した事項の幾つかを撤回する動き・兆候をソ連が推測・警戒した事。 * ドイツ降伏直前で急死した親ソ連の[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]大統領に代わり就任していた[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]大統領による対ソ連外交政策転換の兆しへの嫌悪・不満。 * アメリカが[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]英国首相から繰り返し警告されていた、戦後の社会主義国との対立を睨み、極東での陣地拡大と基地化を目論んでいた事。 その他にも、以下のような説などさまざまな主張がある。 * 終戦直前、ソ連が[[樺太|南樺太]]や[[千島列島]]に加えて、北海道北部([[留萌市]] - [[釧路市]]を結ぶ線から北東側全域。留萌市・釧路市については分割せずソ連が占領)をも併合しようとする貪欲な姿勢を見せたため。 * 日本で学んだ経験のある[[蒋介石]]が「報怨以徳」(怨みに報いるに徳を以ってする)に基づいた反対意見を出した為。 * [[ダグラス・マッカーサー]]と親密な[[吉田茂]]の猛反発があったため。 * アメリカが権益を独占しようとした策略。 * 対日戦で中心的役割を果し、かつ日本を占領したのは米国軍部隊であるにも関らず、その日本をイギリス人、ロシア人、中国人と後から分割統治することに対する反発。実際にドイツや朝鮮半島など、連合国で分割統治計画があった地域でもほぼ自軍の占領範囲を統治することになった。 * ポツダム宣言は、北海道、本州、四国および九州と諸小島を領土とし、内地の一体性を認めているため、これを後から分割統治とすると、宣言内容と矛盾してしまう。ポツダム宣言を反故にすると、速やかに帝国陸軍を武装解除できず、日本軍は降伏を撤回し、最後の一兵まで戦う可能性があったとも言われる。 いずれにせよ、この計画が実行されなかった事は日本にとっては良い結果をもたらしたといえよう。仮にドイツや[[朝鮮半島]]、[[ベトナム]]のように[[資本主義]]を支持する国と[[社会主義]]を支持する国で分割統治された場合、前述の国の例を鑑みれば、そのまま複数の国に分断されてしまい、最悪の場合は[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]のように、日本人同士が相討つ事態になる可能性があった。また東京の共同管理にも[[ベルリン]]と同様の困難を伴ったであろう。また、すべての困難を乗り越えてドイツのように国家の再統合を達成しても、旧西ドイツと旧東ドイツのように互いの国民の精神や生活水準に著しい差異が生じ、現在の日本においても見られる日本人同士での対立や差別が顕在化する可能性があった。 == 関連項目 == * [[分割統治]] * [[分断国家]] * [[架空の日本]] * [[五分後の世界]] * [[連合国軍占領下の日本]] == 外部リンク == * [http://www.geocities.jp/farmizu/topics/his_divide.html 幻の日本分割占領案] [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%A8%88%E7%94%BB 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月10日 (水) 10:25。]     

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。