徴兵制度

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'''徴兵制度'''(ちょうへいせいど, Conscription)とは国家が国民に[[兵役]]に服する義務を課す制度である。徴兵制とも言い、[[国民国家]]や[[国民皆兵]]の思想とかかわりが深い。 == 概要 == 徴兵とは国民を当局によって強制的に兵役に編入することであり、徴兵制度はこの徴兵を兵役制度として組織化した制度を指す。これは募兵([[志願兵]])制度の対義語である。徴兵制において兵役は国民の義務的な負担として扱われ、[[国防]]への負担と貢献が求められる。徴兵制は[[軍隊]]に対する安定的な人材の確保が長期間に渡って容易であるものの、国民に対する負担は大きい。なお一般には徴兵制度があっても志願入営は可能である。 その徴兵制度の兵役義務は一般兵役義務と服役待機義務に分けることが可能であり、一般兵役義務は全国民に入営を要求する義務であり、服役待機義務は登録されるものの命令がない限り実際には入営しない義務である。徴兵制度は徴兵適齢が定められており、基本的に成人男性が徴兵の対象となり、さらにその徴兵も兵役の適格性を調査するための兵役検査を経てその検査に合格した人材が徴兵される。また代替奉仕などの選択肢が用意された徴兵制度は選択徴兵制と呼ばれる。 徴兵制度は[[宗教戦争]]の頃から市民兵と市民社会の成立は軌を同じくし、18世紀の[[フランス革命]](ジャコバン独裁期)の国家総動員において近代的な徴兵制度が成立した。19世紀にはフランスの兵役制度を模範としてプロイセンやフランスでも採用され、兵役制度として確立される。日本では1873年の[[徴兵令]]により確立される。イギリスやアメリカでも[[第一次世界大戦]]により徴兵制へ移行した。冷戦後では近代的な軍隊の制度に不適切になってきたために廃止または縮小する国が多く、何らかの事情により新たに導入する国はごく少数である。ただし戦争などの緊急事態に際しては徴兵を実施する可能性を残している場合もある。 == 徴兵制度の歴史 == === 古代 === 国民に兵役を義務として課す制度は、古代にまで遡る。[[中国]]では古く<!--戦国時代-->から存在し、日本では[[奈良時代]]に実施された([[防人]])。 古代都市国家においては兵役は[[自由民]]の義務であり権利であった。一方非[[自由民]](女性や奴隷など)には課されなかった。[[古代ローマ|ローマ]]においては資産の多寡により兵役の内容が細分化され、多額の資産を有する者は騎兵、零細市民は安価で間に合う兵装、無資産市民は国家存亡の機を除き兵役の対象から外されていた。その後、[[ガイウス・マリウス|マリウス]]の改革により、一般市民の兵役は廃され、職業軍人化が進んだ。これにより[[古代ローマ|ローマ]]は地中海世界を制圧する能力を得た。 === 中世 === 中世のヨーロッパでは、兵士は[[騎士]]や[[傭兵]]中心の軍制だった。これは[[国王]]など[[貴族]]社会を中心とした制度で、国王が地方の領主・貴族の地位を保証する見返りとして軍事力を国王に提供する、あるいは財力によって軍事力を購入するという形式である。これとは別に自由民に兵役義務が課され、戦時に動員されることもあった。[[傭兵]]主力の軍隊は戦闘意欲に欠け、戦争を長引かせる原因となった。 中世の日本においても戦力の中心は[[武士]]とその郎党であった。また[[僧兵]]も無視できない戦力を誇った。日本においては[[傭兵]]は目立つ存在ではないが、それに類する雇われ戦力(例えば海賊の類)は存在した。戦国期に入り戦乱が多発するようになると特に[[農民]]が足軽として参戦するようになった。織田信長はこの状況を打破し、常備軍を自軍の編成の主とする事で勢力拡大に成功した。豊臣秀吉の[[刀狩り]]令により[[武士]]と非戦闘民は明確に区別される事となり江戸時代の終わりまで続いた。 === 近世 === 近世には、[[三十年戦争]]当時の[[スウェーデン]]が採用して、人口の少なさを補い大軍を編成した。ただし、この制度には経済的・心理的負担が大きく、部隊の質が低くなりがちという欠点があった。結果として国民の離散・国家の荒廃を招いた。[[プロイセン王国]](ドイツ)では[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王]]が軍事的拡張主義を採り、人口の4%に当たる[[常備軍]]を作ったが、そのような大規模な傭兵を養える財政も無く、志願制にしてもそれほど集まる訳ではないので、徴兵制を敷いて農民を強制的に軍隊に組み込んだ。質が悪く士気が低いため、厳罰主義によって規律を保とうとしたが、困難であった。 === 近代 === いわゆる[[国民皆兵]]による徴兵制は[[フランス革命]]から始まる。フランス革命以降、国家は王ではなく国民のものであるという建前になったため、戦争に関しても、王や騎士など一握りの人間ではなく、主権者たる国民全員が行なう義務があるという建前になった。そしてフランス革命に伴う周辺各国との戦争に際し、兵員を確保する必要に迫られたため、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]などによって[[国民軍]]が作られたのである。[[国民皆兵]]の制度はヨーロッパ諸国や日本に波及し、第二次大戦後は世界的に波及した。 ありていに言えば、戦争の近代化に伴って兵器が近代化(槍と機関銃の死者数の違いを思い起こしていただけると理解しやすい)によって、志願制では人員の補充ができなくなるほど戦死者が多くなったことと、国民主権の原理が発明されたことによって、国民を戦場に駆り出す大義名分が生じたために徴兵制が生み出されたのである。アメリカは[[南北戦争]]の激戦によって大量の兵士が死亡し、その欠員を補うために徴兵制が敷かれ、イギリスでは第一次大戦半ばに[[ソンムの戦い]]などで大量の戦死者を出し、その戦争を継続するために徴兵制を敷いた。 === 現代 === 戦争の近代化と兵器の近代化の進展は、兵器の取り扱いの高度化を招き、1年から3年程度勤務する徴募兵ではその学習期間は十分とは言えない、又短期間しか勤務しない徴募兵に一から訓練をさせるため費用が掛かり過ぎるとの理由で、徴募兵の存在意義は低下した。これを予言した軍人としては[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]が挙げられる。現代においては軍人のプロ化つまり、再び[[職業軍人]]の時代が到来したと言える。 === 日本の徴兵制度の歴史 === ''明治以降の徴兵制度の経緯は[[徴兵令]]・[[兵役法]]を、徴兵の教育などは[[兵 (日本軍)]]も参照'' [[戸籍法]]の適用を受ける日本国民の男性は、満20歳([[1943年]]からは19歳)の時に受ける[[徴兵検査]]によって身体能力別に甲-乙-丙-丁-戊の5種類に分けられた。甲が最も健康に優れ体格が標準である甲種合格とされ、ついで乙種合格、丙種合格の順である。丁は徴兵に不適格な身体である場合、戊は病気療養中に付き翌年に再検査という意味である。戦争が始まり、甲から順次徴兵されていった。当初、一番体格が標準的である甲種の国民が抽選で選ばれた場合に「現役兵」として徴兵されるにとどまっていた。具体的にはおおよそ10人に1人から4人に1人程度であり、これらの兵士が正規の訓練を受け、終えた兵であった。 しかし、戦局が激化するにつれ、現役兵としての期間を終えた後の予備役・後備役にあった(元の生活に戻っていた)元兵士の国民も召集令状によって召集された(徴兵は増え、大戦末期の昭和20年には徴集率は九割を超えた)。この[[召集令状]](召集時に来る命令書)は用紙の色が赤いので(実際は[[ピンク]])、[[赤紙]]と広く国民に呼ばれた。通常、現役での徴兵を「徴集」、予備役・後備役での徴兵を「召集」と呼んで区別していた(もっとも混乱期には区別せずに徴集を用いることもあったが)。この招集制度が悪用された例として[[竹槍事件]]がある。令状が届けられた人らは「出征兵士を送る歌」などが流れる中、地区を挙げて送り出された。さらに[[第二次世界大戦]]末期になると、兵力不足が顕著になり、学生への徴兵(学徒出陣)や熟練工、植民地人の徴兵が行われた。 戦後は陸海軍省の解体にともない軍そのものは消滅し、徴兵制度の根拠となる[[兵役法]]は昭和20年11月17日に廃止された。その後[[警察予備隊]](のち自衛隊)が発足したものの、[[憲法9条]]などに見られる国民の軍隊アレルギーから徴兵制は見送られ、志願制が採用された。その後徴兵制度に関する議論はしばしば繰り返されたものの、制度として採用しようとする表立った動きはなかったが、20世紀末から北朝鮮の核武装、中国の軍事的台頭、ロシアの強権化など周辺事情の緊迫化を受け、自衛隊を増強しようとする動きの一環として核武装とともに徴兵制の議論が再び盛んになってきた。 徴兵制については、「りっぱな国民を作り上げ」筋金を入れるための大規模な徴用が必要ではないか、との議論は終戦直後からなされており<ref>第七回衆議院予算委員会(昭和25年02月13日)[[北澤直吉]]委員</ref>、また[[警察予備隊]]発足当初では7万5千の警察予備隊を持つ金があれば、徴兵制によれば30万以上の軍隊を持つことができるとの計測があった<ref>第八回衆議院外務委員会(昭和25年10月04日)[[菊池義郎]]委員</ref>。その一方で第二次大戦の戦没者の多くが志願兵ではなく徴兵制度による犠牲者であったとの論調は強く大勢を占めていた<ref>たとえば第五回参議院本会議(昭和24年05月16日)[[草葉隆圓]]など</ref>。軟弱な若者を鍛えなおそうという社会的徴用の観点は現代でもあり、国防精神を植えつけようという狙いや、愛国的精神の涵養を目的に徴兵制がアドバルーン的に主張されていることもある。 == 徴兵制廃止・存続国 == ===歴史上、一度も徴兵制を施行したことがない国家=== *[[ニュージーランド]]、[[アイスランド]]、[[インド]] ===現在、徴兵制が施行されていない国家=== *[[日本]]、[[アメリカ合衆国|米国]]、[[イギリス|英国]]、[[カナダ]]、[[フランス]]、[[イタリア]]、[[スペイン]]、[[ポルトガル]]、[[オランダ]]、[[ベルギー]]、[[サウジアラビア]]、[[ヨルダン]]、[[パキスタン]]、[[バングラデシュ]]、[[アイルランド]]、[[オーストラリア]]、[[赤道ギニア]]。米国は完全廃止ではなく停止中。赤道ギニアはかつて、徴兵期間が一番長い国として[[ギネスブック]]に掲載されたことがある。 ===現在、徴兵制を施行している国家=== *[[ドイツ]]、[[スウェーデン]]、[[デンマーク]]、[[オーストリア]]、[[フィンランド]]、[[ノルウェー]]、[[スイス]]、[[ロシア]]、[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[イスラエル]]、[[トルコ]]、[[中華民国|台湾]]、[[エジプト]]、[[シンガポール]]、[[ポーランド]]、[[カンボジア]]、[[ベトナム]]、[[タイ王国|タイ]]、[[マレーシア]]、[[中国|中華人民共和国]] **女子も徴兵の対象としている国家 ***[[イスラエル]]、[[マレーシア]] **[[良心的兵役拒否]]が合法的に認められ、代替役務が制度化されている国家 ***[[ドイツ]]、[[スウェーデン]]、[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]、[[スイス]]、[[台湾]]、[[ロシア]] **良心的兵役拒否が、合法的に認められず、代替役務が制度化されていない国家 ***[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[トルコ]] **良心的兵役拒否は合法的に認められていないが、代替役務が制度化されている国家 ***[[大韓民国|韓国]] **志願者だけで定員を充足し、法律上は兵役義務が存在していても、実際には徴兵が行われていない国家 ***[[中国|中華人民共和国]] == 世界各国の兵役制度の概要 == === [[東アジア]]諸国 === ==== [[日本]] ==== [[1873年]]に[[国民皆兵]]を目指す[[徴兵令]]が出され、のち[[兵役法]]となった。[[大日本帝国憲法]]にも兵役の義務が盛り込まれた。当初は、免役率が80%と高く、肉体的に頑強な男性の中から、くじ引きでごく僅かのみ徴兵されていた。しかし、不公平感から全国で徴兵反対運動が起こり、そのため徴兵制度は大改正され[[1889年]]には法制度上、男性に対して国民皆兵が義務付けられた。実際に徴兵される男性が増加していき、[[太平洋戦争]]末期には、700万人以上も根こそぎ徴兵された。[[第二次世界大戦]]に敗れた[[1945年]]に廃止された。 現在の[[自衛隊]]は[[志願兵|完全志願兵制]]を採用している。その理由としては、第一に[[日本国憲法]]との兼ね合い(戦争放棄・奴隷的苦役からの自由などの規定)が上げられる。また、戦争のハイテク化が進む中、一般国民を徴兵することにあまり意味がないという技術的理由、健康な若い世代を一定期間軍隊に拘束することによって労働力の低下が生じたり各分野の優秀な人材の育成にとってマイナスになるという点、現状でも自衛隊はそれなりに優秀な国防組織となっている、などが挙げられる。一部の保守系の政治家の中に徴兵制復活の意見も存在しないわけではないが、仮にそれを政策として実行しようとした場合、世論の批判や選挙への影響が懸念されるという政治的なリスクもあり、個人的見解として述べられることはあっても、政策論として公に議論されることはあまり多くない。 1970年代・1980年代・1990年代・2000年代の自衛隊員の募集・応募・採用の状況・実績は、自衛隊は職種別の募集・応募・採用であり、職種により著しい差異があるが、2000年代最初の10年間である現在では、最も競争率が低い職種では3倍前後、最も競争率が高い職種では80倍前後であり、自衛隊は応募者の中から募集条件を満たす適格者を選考・選好・選抜して採用している状況、別の表現をすると、自衛隊員の募集に応募して採用される応募者より不採用になる応募者のほうが多い状況なので、防衛省が自衛隊員を徴兵する動機も必要も無く、2000年代最初の10年間である現在で予測可能な将来の範囲内では日本が徴兵制を採用する可能性は無い。2006年度の職種別採用者に対する応募者の倍率は、一般・技術幹部候補生は陸上が23.3倍、海上が13.3倍、航空が28.4倍、合計が20.7倍、一般曹候補学生は陸上が30.5倍、海上が18.4倍、航空が27.5倍、合計が26.6倍、曹候補士は陸上が4.4倍、海上が5.2倍、航空が8.1倍、合計が5.2倍、二士は陸上が3.0倍、海上が3.2倍、航空が3.0倍、合計が3.1倍、自衛隊生徒は陸上が13.4倍、海上が11.3倍、航空が10.5倍、合計が12.6倍、航空学生は海上が10.5倍、航空が30.3倍、合計が20.3倍、防衛大学学生は推薦・人社が6.6倍、推薦・理工が2.6倍、合計が3.4倍、一般・人社が81.6倍、一般・理工が26.2倍、合計が36.0倍、防衛医科大学生が67.6倍、看護学生が30.8倍である。各年度の具体的な募集・応募・採用の状況・実績は下記の外部リンクを参照。 なお、戦時中でも徴兵拒否者はいたとされ、俳優の[[伴淳三郎]]は[[召集令状]]は受け取っていたのだが、[[徴兵検査]]にはきれいに化粧、女装をして出かけていき、その格好を見た検査官が激怒、検査場から追い出され、検査直前に醤油を大量に(一升瓶1本分)飲み、「肝臓病」を装って徴兵を逃れている(一時的に同一症状が出せる)。他にも[[灯台社]]の[[明石順三]]による徴兵拒否が有名。 ==== [[大韓民国]] ==== [[韓国軍]]は徴兵制と志願兵制を併用している。徴兵に応じることは、韓国の若い男性達の義務とされている。18歳の男子への[[徴兵検査]]によって判定され、1-3級までが現役、4級(補充役。公益勤務)、5級(免除。有事時出動)、6級(身体異常による完全免除)。しかし、有力家出身者の兵役回避が社会問題となっており、徐々に[[身体検査]]や等級判断が広げられ、時に本来、不適格な者までが入隊を余儀なくされる場合もあり、問題が指摘されている。また[[軍隊]]の施設や訓練生活において、[[体罰]]や[[いじめ]]など[[1960年代]]そのままの風習が残り、韓国の若い男性にとって適応が一層困難となっている。 兵士の義務期間は24ヶ月([[陸軍]]、[[海兵隊]])、26ヶ月([[海軍]])、28ヶ月([[空軍]])。兵役義務期間に違いがあるが、[[海軍]]・[[空軍]]には志願しない限り配属されることがない。 以前は男性が[[就職]]適齢期に兵役につく場合が多いことから、兵役を終えた男性に限り公務員に就職する際の優遇措置が長くあったために、兵役につくことを無理やり納得させていた男性もいた。ところが女性団体にこの措置は[[女性差別]]だと批判され、現在は優遇は廃止された。しかし、男性に対してのみ徴兵制度を強制していることは不平等であり、その点に関して無視・放置ととられるような姿勢は極めて不公正な態度であり、[[男性差別]]であるとして一部からは批判をされている。 一方で、兵役免除の特典を与えられるものもいる。スポーツでめざましい成績を収めたもの(例:[[オリンピック]]でメダリスト、[[サッカーワールドカップ]]でベスト16以上など)、理工系で将来、研究員になったり、大手企業に就職などをすることが期待されるなど、学業が特に優秀な場合などが免除される。 現在、良心的兵役拒否は認められていないが、代替服務制度はあり、例としては公益勤務要員、産業技能要員、専門研究要員、義務警察官、戦闘警察官、海洋警察、警備矯導隊、義務消防隊などがあり、約6万人が勤務している。しかしながらこの代替服務制度も段階的に縮小して廃止し、重症の身体障害者を除いてはボランティアの形で服務する社会服務制を導入する予定である([http://www.chosunonline.com/article/20070109000037 政府、6カ月の兵役短縮案を検討]朝鮮日報07年1月9日)。 大学在学中に休学して兵役に就く者が多く、大学受験の[[過年度生|浪人]]が制限されるなどの影響がある。ある俳優が兵役忌避をしていた事が発覚し、罪を不問に付す代わりに即時入営をしたという例がある。 近年は、[[良心的兵役拒否]]者が出てきて、[[裁判]]で[[有罪]][[判決]]を受ける者が増えてきている(参考:[http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1747/heieki.html 大韓民国兵役法])。また、プロ野球などのスポーツ選手や芸能関係者らがあらゆる手段を用いて徴兵逃れをしていたことが近年相次いで発覚し、社会問題化した。彼らに対する批判的意見はもちろん強いが、スポーツや芸能活動にとって、若い時代に長期間軍隊に拘束されることによるマイナス面は非常に大きいため、同情的な意見もある。 ==== [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]] ==== [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]では、男性に3年から12年の兵役義務が課せられている。以前は13年の兵役期間であったが、2006年に兵役期間が短縮された。この他国と比較して異常に長い兵役は、同国の政治方針である「先軍政治」に基づくものであり、これにより約110万人の兵士数を確保している。<!--この長期の兵役が経済に与える影響は深刻である。なお、脱走者が後を絶たず年間1万5千人が脱走している。{{要出典}}-->全人口に対する兵員の比率は世界トップクラスである(出典:エンカルタ総合大百科2007)。 ==== [[シンガポール]] ==== シンガポール軍は1971年12月に[[イギリス軍]]が撤退した後に結成された。2万人の[[職業軍人]]のほか、2年間の徴兵制を男性に対して課している。徴兵の数は5万5千人に達する。徴兵検査は17歳の時に行われ、進学の場合を除いて延期・猶予は認められていない。ただし、シンガポールの「徴兵」は正式には「ナショナル・サービス」(National Service)と呼ばれており、[[軍]]以外の公的機関([[警察]]や「民間防衛隊」と呼ばれる[[消防]]や[[救急]]など)を選択することも可能となっている。 [[2004年]]6月15日、テオ・チーヒン国防相は、Aレベル([[大学]]入学資格)保持者や[[ディプロマ]]保持者の徴兵期間を2年半から2年に短縮することを議会で報告した。[[軍]]の場合、中等教育終了後、1回目の[[召集令状]]が[[国防省]]から届くが、本人の意志により[[高等教育]]終了後まで入隊延期を申請することができる。高等教育は概して、ジュニア・カレッジ(2年。卒業後、Aレベル保持)、ポリテクニック(Polytechnics。高度な専門技術を身につけ、卒業後、[[ディプロマ]]を保持)、技術教育研究所及び職業実習に分かれ、各課程終了後、最終的な召集令状が国防省から送付される。召集期間は、ジュニア・カレッジ及びポリテクニック修了者が2年半、並びにその他の高等教育修了者及び高等教育未満の学歴の者は2年だったが、2004年の改革により、前者の徴兵期間が最大で2年となった。前者の階級は[[伍長]]から始まり、成績優秀者は2年半で[[中尉]]に昇進するが、更に半年軍と契約することで[[大尉]]に昇進する。新兵は、3ヶ月の基礎訓練を受ける。そこにおいて、[[射撃]]、野外工作、[[サバイバル]]、[[カモフラージュ]]の教育が行われる。一部の兵は、その後、士官候補生教育またはスペシャリスト教育を受ける。士官候補生コースは9ヶ月、スペシャリスト教育コースは21週ある。残りの大部分は、様々な部隊に配属される。 徴兵期間終了後も、軍勤務希望者は更に10年の契約を行い、その後再契約することができ、[[将校]]は45歳、[[下士官]]は55歳で定年を迎える。一方、軍に残らず、一般社会に戻る者も、[[将校]]は50歳、[[下士官]]・[[兵]]は40歳まで、[[予備役]](Operationally Ready National Service)に編入され、年一度の召集に応じなければならず、13年間はIn-Camp Trainingを受けなければならない。更に毎年不定期に、主に[[電話]]を使用する「Silent」、又は[[テレビ]]、[[ラジオ]]等[[マスメディア]]を使用する「Open」のいずれかの方法による非常呼集(Mobilisation)がかけられ、対象者は数時間以内に定められた装備を着用して非常呼集司令部に集合しなければならず、正当な理由なく応じなかった者は処罰される([[罰金]]、[[懲役]])。([http://www.jcci.org.sg/storefront/members/monthly_report/pdf/08-2004/s-03.pdf 出典:国防省資料]) ==== [[中華人民共和国]] ==== [[中華人民共和国|中国]]は、[[中国人民解放軍|人民解放軍]]の所有者は[[国家]]ではなく、[[中国共産党]]の軍隊ということになっている。現在、[[中国人民解放軍|人民解放軍]]の定員は大量に削減がされており、徴兵制ではあるものの、人口大国でもあり、貧困層にとっては一つの就職口であることから、志願者が多い。それゆえ、現在は志願者で定員が満たされているため事実上、志願制の状態にある。[[中華人民共和国|中国]]は[[人民解放軍]]の予備戦力として[[民兵]]の規定がある。中国の兵役法では'''義務兵'''と'''志願兵'''を合わせ、'''民兵'''と'''予備役'''を合わせた兵役制度をとっている。18歳から35歳までの男性で現役で軍に属してない者は形式上、[[民兵]]として[[予備役]]に就く事になっており、非常時に多数の兵士を動員することが出来る仕組みになっている。 中国の毎年の'''現役'''徴集の人数、基準と時期は、[[国務院]]と中央軍事委の命令で定められる。各省、自治区、直轄市は、国務院と中央軍事委の徴兵命令に基づき、当該地域の徴兵業務を手配する。平時の徴集は年1回行われる。兵役法によると、毎年12月31日までに満'''18歳'''に達した'''男子'''は徴集されて現役に服さなければならない。徴集されなかった者は、'''22歳'''までは徴集可能とされる。必要に応じ、女子も徴集できる。毎年12月31日までに満18歳に達する男子は、9月30日までに'''兵役登録'''をしなければならない。条件に適合する徴集対象公民は、県、自治県、市、市管轄の区の兵役機関の許可を経て、徴集されて現役に服する。徴集すべき公民が'''一家の生計を維持する唯一の労働力'''か'''全日制学校に就学中の学生'''であるときは、徴集猶予できる。勾留されて捜査、起訴、裁判中か懲役、拘留、監視の判決を受けて服役中の公民は、徴集しない。 '''民兵'''は生産から離脱しない大衆武装組織で、中国の武力の重要な一部で、[[人民解放軍]]の助手と予備力である。民兵組織は'''普通民兵組織'''と'''基幹民兵組織'''に分かれる。基幹民兵組織には民兵応急分隊、歩兵分隊、専門技術分隊及び専門分野分隊が設けられている。現在、全国の基幹民兵は1000万に上る。'''基幹民兵'''は'''18~22歳'''の間に、'''30~40日'''の軍事訓練に参加し、うち専門技術兵の期間は、必要に応じて延長される。民兵の軍事訓練任務は、中央軍事委の承認を受け、総参謀部が下部に伝える。民兵の軍事訓練は主に県クラス行政区内の'''民兵軍事訓練基地'''で集中的に行われ、一部の省、市には'''専門技術兵訓練センター'''や'''人民武装学校'''が設けられている。民兵業務は、国務院、中央軍事委が指導する。省軍区(衛戍区、警備区)、軍分区(警備区)及び県、自治県、市、市管轄の区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。郷、民族郷、鎮、居住区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。企業が国の関係規定に基づいて設置した人民武装部は、職場の民兵業務を担当する。人民武装部を設置していない企業は、専任者を決めて民兵業務処理にあたる。 [[大学]]、[[高校]]の国防教育は、教室での授業と軍事訓練を合わせることになっている。[[大学生]]は'''男女を問わず'''、在学中に学内で行われる'''基礎的軍事訓練'''を受けなければならない。全軍学生軍事訓練工作弁公室は教育省と共同で全国生徒学生軍事訓練計画を策定した。2003年は、大学1100校と高校1万1500校が生徒・学生の軍事訓練を実施し、800万人が訓練を受けた([http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zgbk/gfzc/t182206.htm 出典:2004年中国の国防])。 ==== 台湾 ==== [[台湾]]([[中華民国]])では、男性に1年2ヶ月の兵役の義務がある。[[中国国民党|国民党]]が政権を追われ、[[民主進歩党|民進党]]が政権を獲得した後制度改正が行われ、[[良心的兵役拒否]]権が認められるようになった([[代替役]]を参照)。2007年現在、兵役のスリム化として1年に期限を短縮する計画が進んでいる。 兵役の義務に付く男性は身体検査、学力、学歴、家柄など様々な要素でカテゴリー化(大きく別けて「甲 乙 丙」)される。良いとされる甲に分類された者はくじ引きの時に[[海軍陸戦隊]]が追加される。近年では規定も緩和されてきたので、まれに乙の中からも選ばれる。丙に選ばれた者たちには、[[偏平足]]や[[肥満]]、眼の疾患、脊椎の変形など様々な理由で体力酷使に向かない者が含まれる。彼らは通常の軍隊とは別に、在宅で政府機関や警察機関のサポートとして任務を果たす事になる。 兵種は5種類あり、[[中華民国陸軍|陸軍]]、海軍、空軍、[[憲兵]]、海軍陸戦隊である。もっとも多いのが陸軍で、続いて海軍、空軍、最も少ないのが憲兵、海軍陸戦隊である。海軍陸戦隊とは、台湾の特殊部隊にあたり一番厳しく過酷とされている。憲兵の選抜方法は、通常のくじ引きとは異なり甲、乙のくじ引きの前に身長、姿勢、体格などの要素で現役憲兵の審査で選抜されている。規定は身長170cm以上ではあるが、実際のところ多くは180cm以上、容姿端麗な者が選ばれる。[[中華民国国軍]]や[[中華民国徴兵規則]]も参照のこと。 ==== [[タイ王国|タイ]] ==== 18歳以上の男子に対して徴兵が行われる。徴兵対象者からくじ引きで選ばれる。ただし、[[士官学校]]生や一般の学校('''マッタヨム'''3~6年)に所属し「'''軍事科'''(ウィチャー・タハーン)」を受けた者や、身体・精神に障害のある者、体力のない者は徴兵対象外とされている。 === [[欧米]]諸国 === ==== [[アメリカ合衆国|アメリカ]] ==== [[アメリカ合衆国|アメリカ]]は[[ベトナム戦争]]以後徴兵を停止。名簿の作成そのものは継続されている。[http://en.wikipedia.org/wiki/Selective_Service_System Selective Service System](選抜徴兵登録制度)と呼ばれる仕組みがあり、アメリカに在住している[[市民#市民権|市民権]]及び[[永住権]]を持つ[[男性]]は'''18歳'''になった時点で[[郵便局]]において登録の義務が課せられている。男性市民は登録しないと処罰([[罰金]]刑)の対象になる他、各種の不利益([[政府]]からの[[奨学金]]が受給できない等)が科される。永住者には徴兵[[拒否権]]があるが、この場合、アメリカの[[国籍]]は取得出来なくなる(本来は連続5年在住で[[帰化]]申請資格が出来る。軍歴が出来る事でアメリカへの忠誠を誓ったと見做され、必要滞在歴が2年に短縮される)。ベトナム戦争当時のアメリカでは、[[ホームレス]]になる若年男性が大量に現れた。住所不定になれば、[[召集令状]]の送付先がなくなるためである。 ベトナム戦争終結以後、徴兵制を復活すべきという主張は連邦議会の非常に少数の議員が提唱しているが、連邦議会の議員と議員への立候補者の大部分も、大統領と大統領への立候補者も、国防総省も、徴兵制の復活は必要ないと繰り返し表明している。徴兵制を復活すべきという主張の理由は、志願兵制では就職先または除隊後の大学奨学金を求めて、経済的に貧しい階層の志願率が高くなるので、経済的階層に関わらず軍務を国民全員に機会平等に配分するという考えに基づく。徴兵制復活を主張する連邦議会議員は2004年に一般的徴兵法案を連邦議会に提出し、下院本会議で採決した結果、賛成2票 - 反対402票で否決され、上院では委員会審議を通過できず本会議での審議・票決には至らなかった。 アメリカ軍の軍人・兵士数は、第二次世界大戦中の1945年度は1,205万人、就業人口に対する比率は18.6%、総人口に対する比率は8.6%、朝鮮戦争中の1952年は363万人、就業人口に対する比率は6.0%、総人口に対する比率は2.3%、ベトナム戦争中の1968年は354万人、就業人口に対する比率は4.6%、総人口に対する比率は1.8%、冷戦末期の1988年は220万人、就業人口に対する比率は1.9%、総人口に対する比率は0.9%、冷戦終結後の1998年は147万人、就業人口に対する比率は1.1%、総人口に対する比率は0.5%、アフガニスタンとイラクで戦争中の2006年は144万人、就業人口に対する比率は1.0%、総人口に対する比率は0.5%である。長期的な時系列で見ると、軍の機械装備率の向上により、軍人・兵士・文民のいずれも絶対数が著しく減少し、就業人口と総人口に対する比率は、絶対数の減少率よりさらに大きく減少しているので、政府も国防総省も徴兵する動機も必要も無く、2000年代最初の10年間である現在で予測可能な将来の範囲内ではアメリカが徴兵制を採用する可能性は無い。 *詳細は[[アメリカの徴兵制の歴史]]を参照。 *詳細は[[アメリカの軍需経済と軍事政策#アメリカの軍隊・国防総省・軍需産業の雇用者数|アメリカの軍隊・国防総省・軍需産業の雇用者数]]を参照。 (一部省略) == 徴兵制度の現状 == [[外務省]]や[[アメリカ中央情報局|CIA]] World Fact Bookの資料によると、現在の世界では、軍隊または国防のための武装組織を保有する約170か国のうち約67か国が徴兵制度を採用している。 現在、軍事技術の高度化・専門化により、これらの技術を扱う[[軍人]]の'''専門職化'''が各国で進んでいる。徴兵制度で確保した兵力は兵役期間の数年(一般に1~2年)のみ軍役に就くため、高度な技術を身につける事など出来ず、'''現代戦では役に立たない'''との見方が一般的である。また兵士数で戦況が決まるものでもなくなってきたため、徴兵制度は一部の国を除き廃止する動きが強くなってきている(徴兵制度が維持されている国家でも、良心的兵役拒否権を認めるようになってきている)。防衛戦においては古くより、侵攻作戦などにおいても兵士数で戦況が決まるもので無いことは[[湾岸戦争]]や[[イラク戦争]]などから現実に証明されつつある<ref>一方で大規模戦闘終結後のアフガニスタンやイラク情勢においては、[[パウエル・ドクトリン]]に見られる圧倒的な兵力を投入し、短期間で勝利を目指し情勢を支配・管理する手法の正当性が再評価されている。</ref>。徴兵制度を廃止しない国は、廃止できない事情があるか、徴兵に兵力増強以外の意味を積極的に見出しているか、あるいは廃止すべき積極的・説得的な理由がないためと見ることができる。 [[日本]]では、[[内閣法制局]]が過去に「徴兵・兵役は[[日本国憲法]]で禁じる“意に反する苦役”であり違憲である」との見解<ref>第六十一回衆議院内閣委員会(昭和44年06月24日)内閣法制局長官 高辻政府委員</ref>を示している。 近年、一部の著名人<!--右派・保守系の知識人・言論人・-->や政治家([[西部邁]]、[[西尾幹二]]、[[櫻井よしこ]]、[[さかもと未明]]、[[クライン孝子]]、[[野田聖子]]、[[田中真紀子]]、[[岩井志麻子]]、[[宮台真司]]や[[日野原重明]]、[[一条ゆかり]]、[[岩井志麻子]]、[[熊本マリ]]、[[東国原英夫]]、[[橋下徹]]ら<!--といった左派論者や一般的[[文化人]]・[[芸能人]]も--><!--根拠のないラベル(レッテル)評価-->)から徴兵制度を賛美したり、復活を主張する声が出ている。このような徴兵制復活論の多くは、徴兵による教育効果・社会問題解決(協調性・忍耐力等の涵養がなされる、軍隊で扱かれることにより「[[男らしさ]]」が育成されて男性の魅力向上で少子化問題が解決される)など、軍事力以外の観点での根拠のはっきりしない推論がまぎれており、[[少年犯罪]]など、戦後日本社会における[[道徳|モラル]]の低下の一因を徴兵制廃止や[[教育勅語]]の失効にあると考えている。しかし、現代の軍事状況下、上述の国防という本来の存在意義・目的との関係性からは明確に逸脱しており、そもそも軍隊は費用対効果の高い[[教育機関]]なのかといった根本的な疑義において、若年層・青年層の社会的徴用や[[社会参加]]の問題と徴兵制度を混用して議論している可能性がある。 == 徴兵制度の弊害と問題 == 徴兵制度を採用している一部の国では訓練とともに莫大な費用がかかり、軍事政策に関して批判もある。また、若い時期に2、3年兵役を課すことによって、その間の学力や技術の向上が妨げられ、'''若年労働力が奪われ産業に悪影響を及ぼし'''、国力として損失が出ているとの指摘もある。ドイツでは、兵役は若者の学問的向上期間を制約するとの認識もあり、批判が根強い。実際にドイツでは学力低下が著しく、他のヨーロッパ諸国に差を付けられつつある<sup><span title="要出典">''<nowiki>[</nowiki>[[Template:要出典|<span title="要出典">要出典</span>]]<nowiki>]</nowiki>''</span></sup>。 一般に徴募兵は志願兵より意欲が低く、訓練期間も短いため兵の質が低下する。 また、イスラエルなど一部国家以外で、多くの国で兵役の義務が課されているのは男性のみであり、女性に対しては強制されていない(志願のみ)。かつては男性のみに参政権等の権利が与えられる根拠となった。今日では逆に男性のみに義務が発生することへの不公平感が問題になっている。 <!--徴兵は一定の基準にもとづき身体的特性を選別する性格があるため、大規模な戦争が徴兵制度の下でおこなわれた場合、徴兵に漏れた男性遺伝子による選別遺伝が強化される可能性がある。たとえば近代以降は兵の資質として肉体的素養としての[[視力]]がとくに重視されており、徴兵された兵の大量死などが要因となり色覚異常や弱視などが遺伝選別される可能性がある。([[近視#原因]]の遺伝説、徴兵説参照)<sup><span title="要出典">''<nowiki>[</nowiki>[[Template:要出典|<span title="要出典">要出典</span>]]<nowiki>]</nowiki>''</span></sup>([[ノート:徴兵制度|ノート]]で問題提起)--> また一般に徴兵制は給与を抑えられる事から人件費抑制を期待する人がいる。しかし現代の軍運用や装備状況においては、これは過度な期待と言わざるを得ない。現代では組織が負担する費用は運用費や装備品など給与・人件費以外の費用が多く、よほど徴用兵の給与水準を抑えない限り経費節減の効果は限定的な物でしかない。これは軍の特性として、要員すべての宿舎や衣服や食事の用意、兵器や装備品の充足などが必要となるためであり、事務処理や教育・監督など固定費は変わらないためである。 また、一般に民主制国家では志願制と徴兵制で待遇に大差はない。まず軍の就職先としての魅力は決して低くなく、給与の上昇は抑えられている。国が待遇を保証し、衣食住に不自由がない軍に入隊を希望する若者は少なくない。特に教育費用を捻出できずキャリアに展望を持てない低所得者層にとっては、魅力的な存在である。 逆に徴兵制だからといって給与や待遇を削りすぎると不満につながり、[[汚職]]や政情不安の原因になる。 特に不満が支持率に影響する民主制国家において顕著である。 国富・国家財政の面からいっても問題は多い。若青年層を網羅的に徴用することで就労上や学究上のキャリアが断絶することにつながる。直接的には数十万単位の労働力が労働市場から隔離されることで労働コストの上昇や生産力が低下する。また徴兵された人が納めるはずだった所得税等が[[国庫]]に入らなくなる(参照:[[軍事ケインズ主義]])。 <!-- 古い調査だが、1970年の調査で、オランダ軍の任務の約70%は、初等教育を終えただけでも可能なものであり、徴兵された兵の大半は、「無駄な時間つぶし」と考えている。 --> == 徴兵忌避 == 徴兵を逃れるには国籍の変更、[[亡命]]、免除規定の活用、身体毀損や逃亡等の方法があるが、意思的な不服従の立場から徴兵に従わないことを徴兵拒否といい、そのなかでもさらに倫理的・政治的・宗教的な信条に発する徴兵の拒否を[[良心的兵役忌避]]という。 一般的に徴兵忌避は、法律の規定によって罰せられることが多く、場合によっては、命令不服従、脱走罪、敵前逃亡罪として[[死刑]]になる[[国家]]もある。しかし現在では良心的兵役忌避を[[基本的人権]]の一つとして認め、そのための制度を構築している国も多い(兵役の代替役務として介護、消防活動などに従事することが多い)。 [[ベトナム戦争]]期の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]若年男性による徴兵拒否運動が知られる。政治的な理由、宗教的な理由から徴兵拒否は行われ、ベトナム戦争当時、[[モハメド・アリ]]は[[イスラム教]]の教えに従うとして、徴兵を拒否した。SF作家の[[ウィリアム・ギブスン]]は、徴兵を拒否して[[カナダ]]に移住し、しばらく[[ホームレス]]として路上生活を経験した。元[[大統領]]の[[ビル・クリントン]]は[[カナダ]]に留学して徴兵を巧みに回避している。『ベトナム症候群』(著者:松岡完、出版社:中公新書)によると、ベトナム戦争への徴兵に従わなかった者は57万人、うち起訴された者は2万5000人、有罪判決を受けた者は9000人。実際に処罰されたのは3000人となっている。 また、[[黒人]]解放運動家の[[マルコムX]]は[[精神異常]]を装うことで、[[第二次世界大戦]]の際に徴兵されるのを逃れた。[[物理学者]]の[[ファインマン]]は[[兵役]]につく際に行われた[[精神鑑定]]の結果、不採用になった(『ご冗談でしょう、ファインマンさん』より)。[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]は「[[偏平足]]」の診断を受けて、[[スイス]]の[[兵役]]を免除されている。 児童文学作家の[[ミヒャエル・エンデ]]は16歳の時、[[召集令状]]を破り捨て、[[ミュンヘン]]まで[[シュヴァルツヴァルト|シュバルツバルトの森]]の中を夜間のみ80km歩いて、疎開していた母の所へ逃亡。その後、近所に住む[[イエズス会]]の[[神父]]の依頼でレジスタンス組織「[[バイエルン自由行動]]」の反[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]運動を手伝い、[[伝令]]としてミュンヘンを[[自転車]]で駆け回った。 [[丸谷才一]]の小説『[[笹まくら]]』は、[[第二次世界大戦]]における徴兵忌避者が主人公であるが、そのモデルが存在するという{{要出典}}。画家の[[山下清]]は、徴兵検査を逃れるために、放浪した。その後、21歳の時、知的障害者施設の職員に滞在先の食堂で発見され、強制的に[[徴兵検査]]を受けさせられたが兵役免除となった。 [[アドルフ・ヒトラー]]は[[オーストリア]]の徴兵義務を拒否し逃亡生活を送ったが、[[第一次世界大戦]]の勃発とともにドイツ軍へは積極的に志願した。著書によると、ドイツに対する帰属心が強く、オーストリアのために戦う気はなかったからという。 ==脚注== <references /> == 関連項目 == *[[徴兵検査]]・[[陸軍身体検査規則]] *[[国民皆兵]] *[[国民国家]] *[[良心的兵役拒否]] *[[徴農制度]] *[[役種]] *[[男性差別]] ==外部リンク・出典== ===世界各国・地域の情報=== *[http://www.mofa.jp/mofaj/area/index.html 外務省 各国地域情報] - [https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/index.html CIA World Fact Book] - [http://www.theodora.com/wfb/ Countries of the World] - [http://www.nationmaster.com/index.php NationMaster]   [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BE%B4%E5%85%B5%E5%88%B6%E5%BA%A6 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月1日 (金) 03:27。]    

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