枢密院(すうみついん)は、国家の主権者(典型的には君主)の諮問機関である。
中国における枢密院は、唐王朝(7世紀初めから10世紀初め)の中頃に生まれた機構で、主として軍制を掌った中央官庁である。軍政を統轄したが軍隊の指揮権はなかった。以後、五代の各王朝、遼、北宋、金、南宋、元と歴代王朝に継承され、明代に廃止された。
元王朝の枢密院は、行政の中書省、監察の御史台と並ぶ、1262年(中統3年)に設置された軍事を司る最高機関。名目上の長は枢密使であるが、枢密使は常に皇太子が兼職する名誉職とされたため、実務は知枢密院事が担った。
thumb|right|300px|[[1837年、即位した日に枢密院会議を開催するヴィクトリア女王。]] イギリスにおける枢密院は、イギリス国王の政治上の諮問機関で、Privy Councilの訳語である。
その前身は、ノルマン朝以来存在した、国王の政治上の諮問機関として全貴族からなる封臣会議(ほうしんかいぎ)である。14世紀末ごろリチャード2世の時代に枢密院(Privy Council)の名称で呼ばれるようになり、現在に至っている。
枢密院は、形式的には行政の最高権限を有している。しかし、現在は枢密院の一委員会として誕生した内閣が、行政の実権を有している。
枢密院の現在の機能は、枢密院司法委員会傘下の自治領裁判所・植民地裁判所・領事裁判所および教会裁判所の有する海外領土からの上訴や宗教裁判など限定的なものである。司法委員会は、英国の最高裁判所である貴族院上訴委員会とともに英国の司法府を構成する。
枢密院議長は通常、内閣の閣僚の一員として、下院あるいは上院の院内総務の任務を果たす。
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