前半は、吉田茂参照
年譜
選挙歴
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栄誉・栄典
一族
家族・親族
- 生家
- 実父: 竹内綱(実業家、政治家)
- 実母: 瀧子ただし実母は芸者某とする説がある。『日本の上流社会と閨閥』203頁には「…母親の名も素性もはっきりしないが、後年、名門出の雪子夫人との間にすき間風が吹き始め、芸者遊びに精を出すようになると、雪子は “芸者の子は芸者が好きね” といったそうだから想像がつく。…」という記述がある。『吉田茂とその時代(上)』6頁には「…実母の身元はいまでもはっきりしない。母親は芸者だったらしく、竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだのである…初期の戸籍は明らかに母 “不詳” としているが、吉田の存命中は竹内の本妻に生まれたという虚構の説が公に唱えられ、出生をめぐる回想のなかでも吉田は実母に言及することを用心深くさけている…」という記述がある。。
- 養家
- 岳家
- 自家
- 妻: 雪子(昭和16年に死別)
- 長男: 健一(英文学者)
- 長女: 桜子(夫・吉田寛は元首相岸信介・佐藤榮作兄弟の従兄弟、元外相松岡洋右の甥にあたる吉田寛は将来が嘱望された若手外交官だったが、桜子と結婚して数年後に死去してしまう。その葬儀に来た親戚の佐藤榮作と吉田茂は初めて会うが、その時の佐藤の風貌が亡き女婿と瓜二つだったので、以後吉田は佐藤を我が子のように可愛がるようになったという。)
- 次男: 正男(東北大学助教授、学習院大学教授などを歴任)
- 次女: 江子(夭逝)
- 三女: 和子(夫は実業家・政治家の麻生太賀吉和子と太賀吉を結びつけたのは側近の白洲次郎であり、ふたりの仲人もつとめている。)
- 後妻: 喜代(昭和19年に再婚)
系譜
岸秀助 ┏佐藤市郎
┣━━━━━━╋岸信介
┏茂世 ┗佐藤栄作
┃
佐藤信彦━━━┻さわ━━━━━━吉田寛
┃
竹内綱━━━┓ ┃
┃ ┃
吉田健三==┸吉田茂 ┏桜子
┣━━━━━━━╋吉田健一
牧野伸顕━━━━雪子(1) ┣吉田正男
┃ ┣江子
喜代(2) ┗和子 ┏麻生太郎
┣━━━━╋麻生泰
麻生太賀吉 ┣雪子
┣旦子
┗信子
┣━━━━━┳彬子女王
三笠宮寛仁親王 ┗瑶子女王
脚注
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参考文献
- 吉田茂 『回想十年』
- 吉田茂 『世界と日本』
- 吉田茂 『大磯随想』
- 衆議院憲政委員会 『吉田茂とその時代 ― サンフランシスコ講和条約発効50年 ― 特別展』
- 吉田茂記念財団 編 清水崑 画 『吉田茂 風刺漫画集』
- ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー回想記』
- 西村熊雄 『サンフランシスコ平和条約・日米安保条約』
- 池田勇人 『財政均衡、付・占領下三年の思い出』
- 岡崎勝男 『戦後二十年の遍歴』
- 佐藤寛子 『佐藤寛子の宰相夫人秘録』
- 白洲次郎 『プリンシプルのない日本』
- 今日出海 『吉田茂』
- 戸川猪佐武 『小説吉田学校』
- 麻生和子 『父 吉田茂』
- 鈴木幸夫 『閨閥 結婚で固められる日本の支配者集団』 光文社 1965年 54-62頁
- 『アサヒグラフ 臨時増刊 11月5日号 緊急特集吉田茂の生涯』 1967年
- ジョン・ダワー 著 - 大窪愿二 訳 『吉田茂とその時代(上)』 TBSブリタニカ 1981年
- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 200-203頁
- 広瀬隆 『私物国家 日本の黒幕の系図』 2000年 75、173、262、263、333頁
- 神一行 『閨閥 特権階級の盛衰の系譜』 角川文庫 2002年 30-44頁
- 原彬久『吉田茂 尊皇の政治家』岩波新書、2005
- 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 2007年 徳間書店
関連項目
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外部リンク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月7日 (日) 02:50。
最終更新:2008年12月21日 16:57