セオドア・ルーズベルト


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セオドア・ルーズベルトTheodore Roosevelt, Jr. , 1858年10月27日 - 1919年1月6日)は、アメリカ合衆国の第25代副大統領および第26代大統領。第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは彼の従兄弟に当たる。愛称はテディ (幼少時は Teedie 、成人してからはTeddy)。

生い立ちおよび政治経歴

ルーズベルトは1858年10月27日にセオドア・ルーズベルトおよびマーサ・ブロックの息子としてニューヨーク市で生まれた。幼少時は病弱で、それを克服するため運動を好むようになり、グランド・キャニオンのような自然の地域に通い、アウトドアスポーツに熱中した。彼の精力的な規範は20世紀初頭、都市のスポーツ・ブームの中で運動の流行に影響を及ぼした。

ルーズベルトは1880年ハーバード大学を卒業し、コロンビア大学ロースクールに入学したが、州議会議員就任とともに中退、1882年から1884年までニューヨーク州議会のメンバーだった。1884年2月14日に最初の妻、アリス・リー・ルーズベルトと死別した。彼女は、妊娠により診断未確定だった腎臓病で、最初の娘アリスの出産2日後に死去したのである。同日、母もチフスで死亡した。ルーズベルトは母、妻の死後ノースダコタ州へ転居し、ひとりで農場に住んでいた。1886年12月に、イーディス・カロウと再婚。彼女との間に5人の子供(セオドア・ルーズベルトジュニア、カーミット、エセル、アーチボルドおよびクウェンティン)をもうけた。

ルーズベルトがニューヨークに戻ったのは1886年で、ベンジャミン・ハリソン大統領によってアメリカ行政委員会(1889年 - 1895年)のメンバーに指名され、ニューヨーク市警の警察部長を辞職した。その後、ウィリアム・マッキンリー大統領によって、海軍次官に任命された(1897年 - 1898年)が、米西戦争に従軍するためその職を辞した。

ルーズベルトは米西戦争の間に「ラフ・ライダース」連隊の指揮官として全国的に名が知れ渡った。戦争後は警視総監および州知事として、ニューヨーク州の政界で有名になった。

大統領職

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1900年、大統領選の副大統領候補として当選、翌年9月大統領マッキンリーの死去(暗殺)に伴い大統領に昇格する。なお就任時の42歳と10ヶ月は史上最年少である。ちなみに、テディベアが誕生したのは大統領就任後のことである。1905年には日露戦争で日本・ロシア間の調停をつとめ、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この和平交渉の斡旋によってルーズベルトは1906年ノーベル平和賞を受賞した。

一方で国内では反トラスト法を発動して独占資本を規制し、対外的には海軍力を盾にカリブ海政策を推し進め(棍棒外交)日露戦争後は艦隊(グレート・ホワイト・フリート)を日本に寄港させ強大化しつつある日本を牽制した。

内閣

職名氏名任期
大統領セオドア・ルーズベルト1901 - 1909
副大統領チャールズ・フェアバンクス1905 - 1909
国務長官ジョン・ヘイ1901 - 1905
 エリフ・ルート1905 - 1909
 ロバート・ベイコン1909
財務長官ライマン・ゲイジ1901 - 1902
 レスリー・ショウ1902 - 1907
 ジョージ・コーテルユー1907 - 1909
陸軍長官エリフ・ルート1901 - 1904
 ウィリアム・ハワード・タフト1904 - 1908
 ルーク・エドワード・ライト1908 - 1909
司法長官フィランダー・C・ノックス1901 - 1904
 ウィリアム・ヘンリー・ムーディ1904 - 1906
 チャールズ・ジョセフ・ボナパルト1906 - 1909
郵政長官チャールズ・E・スミス1901 - 1902
 ヘンリー・C・パイン1902 - 1904
 ロバート・J・ワイン1904 - 1905
 ジョージ・コーテルユー1905 - 1907
 ジョージ・フォン・レンガーク・マイヤー1907 - 1909
海軍長官ジョン・デイヴィス・ロング1901 - 1902
 ウィリアム・ヘンリー・ムーディ1902 - 1904
 ポール・モートン1902 - 1906
 チャールズ・ジョセフ・ボナパルト1906 - 1908
 ヴィクター・メトカーフ1906 - 1908
 トルーマン・ニューベリ1908 - 1909
内務長官イーサン・A・ヒチコック1901 - 1907
 ジェームズ・ルドルフ・ガーフィールド1907 - 1909
農務長官ジェイムズ・ウィルソン1901 - 1909
商務労働長官ジョージ・コーテルユー1903 - 1904
 ヴィクター・メトカーフ1904 - 1906
 オスカー・ストラウス1906 - 1909



その人気にもかかわらず、彼は1908年の大統領選へ出馬しないことを決定した。代わりに、彼の政策を継続してくれるだろうと考え長年の友人ウィリアム・ハワード・タフトを支持した。しかしながら、タフトの勝利後に、ルーズベルトは、タフトが自分の政策に反する考えを持つことが分かり、ますます悩まされるようになった。

その結果、1912年にルーズベルトは革新党(ブル・ムース)公認候補として大統領選に立候補し、タフトに対抗した。彼は1912年10月14日ウィスコンシン州ミルウォーキーでの遊説中に、酒場の主人ジョン・シュランクによって銃撃された。軽傷だったためルーズベルトはそのまま予定されたスピーチを行った。傷は重傷ではなかったが、医者は弾丸の摘出を危険だと考え手術を行わなかった。このため彼は死ぬまで胸部に弾丸を入れたままだった。しかし、結局彼は大統領選に敗れた。ルーズベルトの出馬により共和党の支持票は割れ、民主党候補ウッドロー・ウィルソンの勝利に貢献してしまった。ルーズベルトは友人のタフト以上にウィルソンを嫌っており、ウィルソンが再選されるのを防ぐために1916年に再出馬した。しかし前回同様敗れてしまった。

その後彼は1919年1月6日ニューヨーク州ナッソー郡オイスター・ベイで死去し、遺体はヤング記念墓地に葬られた。

家系

1649年にクラウス・M・ローゼンベルツがオランダから移住、二代目ニコラスが名前をルーズベルトと改め、その時代に家系が二つに分かれた。一方がセオドアの家系、もう一方がフランクリンの家系である。

その他

  • 1904年にボクシングで左目を打たれ、1908年には失明した。それを知っていたのはごく親しい友人のみである。
  • 大統領就任式で聖書を用いずに宣誓した唯一の大統領である。
  • ゴア・ヴィダルの小説「帝国 Empire」の中でハリー・タートルドーブの名前で登場している。またジョン・ミリアス監督の映画「風とライオン The Wind and the Lion」にも登場している。
  • ニューヨーク州知事時代に、彼のモットーとして発言したことわざ「Speak softly and carry a big stick」は有名になり、のちに漫画『ピーナッツ』でもパロディがされた。

海軍の熱狂家


親日派

ポーツマス条約の斡旋に乗り出したのはハーヴァード大学時代の友人金子堅太郎の働きもあったと言われる。また自身は日本贔屓でもあったようで、アメリカ人初の柔道茶帯取得者であり、山下義韶から週3回の練習を受けるとともに、山下が海軍兵学校で柔道を教えるよう尽力した。また、忠臣蔵の英語訳本を愛読していたとの逸話がある。ただ、日露戦争後は、次第に極東で台頭する日本に対しては警戒心を感じるようになり、やがて贔屓も薄れ、事務的かつ冷淡な場面も散見された。いわゆる排日移民法の端緒も彼の時代である。

語録

The President is merely the most important among a large number of public servants. He should be supported or opposed exactly to the degree which is warranted by his good conduct or bad conduct, his efficiency or inefficiency in rendering loyal, able, and disinterested service to the Nation as a whole.元首はただ単に数多い公僕のなかの最も重要なひとりに過ぎない。 元首はまさにその善行や悪行、国民全般に対し忠誠心があり、有能で不偏不党な奉仕を為す上で効率的であるか不効率であるかで以って、その程度に応じ支持されまた反対されるべきものである。)

余談

セオドア・ルーズベルト一家は、過去・現在ともに前例の無い大家族でホワイトハウスに住んでいた。メインハウスの2階部分にあったスタッフのスペースも手狭になったため、現在の大統領執務室などがあるウエストウィングを増築。現在はメインハウスを公邸とし、ウエストウウィングを官邸とするようになった。

関連項目

外部リンク

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  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月18日 (火) 13:55。










    
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