南京攻略戦


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南京攻略戦(なんきんこうりゃくせん)は、日中戦争中の戦い。日本軍は、中華民国の首都南京陥落させた。中国側の呼称は南京保衛戰, Template:Lang?である。

背景

第二次上海事変で日中の全面衝突が始まった後、上海付近の敵を掃討し中国側の戦意を喪失させ、事変終結をねらう目的で11月7日に中支那方面軍を編成、上海西部の蘇州から嘉興を結ぶ線までを作戦制限区域とする。11月16日、国民政府重慶に遷都を宣言。中支那方面軍は独断で作戦制限区域を越え、さらに南京攻略の必要性を上申。11月24日、大本営は中支那方面軍の作戦制限区域を解除し、12月1日には南京攻略を命令する。

経過

11月7日
「中支那方面軍」(第10軍上海派遣軍を隷下に置く)編合の下令が出され、作戦地域は蘇州から嘉興を結ぶ線の東側に限定される。
11月9日
上海戦線の中国軍は退却開始。
11月16日
中国国民政府は重慶への遷都を宣言。
11月19日
中支那方面軍は独断で作戦地域を越え、無錫・湖州の攻撃準備。
11月20日
皇居内に大本営設置。
11月22日
中支那方面軍は南京攻略の必要性を上申。
11月24日
第1回大本営御前会議で中支那方面軍の作戦地域の制限が解除される。
11月24日
唐生智が南京の防衛司令長官に任命される。
12月1日
大本営は中支那方面軍へ南京攻略を命令。
12月4日
日本軍、南京市郊外まで進軍。
12月7日
日本軍、南京防衛軍の外郭防御陣を突破。午後一時に南京市へ攻撃を開始。中国軍は防衛司令長官唐生智を残して蒋介石総統ら中国軍首脳陣が南京を脱出。南京は一時無政府状態となり市民は混乱状態に陥る。
12月9日
南京城を包囲した日本軍は9日の正午、飛行機で南京城内にビラ(和平開城勧告文)を撒き、中国軍に対し降伏勧告を行なう。
12月10日
和平開城勧告文の回答期限の午後一時、中国軍からの反応なく、日本軍は総攻撃を開始。
12月11日
日本国内では早くも南京陥落の祝賀行事を盛大に挙行。
12月12日
午後八時、唐生智は全軍に「各隊各個に包囲を突破して、目的地に集結せよ」という命令を出し無秩序な状況で南京城を脱出。明確な撤退命令を出さなかった為、その後も散発的に戦闘が続けられる。

12月13日
南京城陥落。日本軍が南京城内へ入城。パラマウント・ニュース映画'入城する日本軍に拍手(1)''同(2)'
12月17日
日本軍による入城式が挙行される。

12月23日
陶錫山委員長の下、南京自治委員会が設立され、治安はかなり回復する。THE TIMES, Dec. 24 1937, Nanking's New Rulers/Autonomous Commission Set Up (英国紙タイムズの記事)“ブリタニカ国際年鑑 1938年版(Encyclopaedia Britannica Book of The Year 1938)”
12月24日
第16師団により南京難民区の兵民分離査問工作が開始され1月5日に終了。
12月31日
南京城内の電気、水道が復旧。
昭和13年(西暦1938年)
1月1日
南京自治委員会の発会式。南京のソビエト大使館が全焼、この事件は1月5日に逮捕した中国人の取調べにより敗残兵によるものと判明<ref name=mainichi16/>。
1月11日
大本営における政府首脳による御前会議は支那事変(日中戦争)処理根本方針を決定。国民政府が和平を求めてこない場合は、以後これを相手にせずとし、新政権の成立を援助等。
1月15日
参謀本部は、大本営政府連絡会議において政府の和平交渉打切り案に激しく反対。しかし、米内海相などからの戦時中に内閣退陣を起すことを避けるべしとの意見におれ、中国との和平交渉打切り決定南京戦史資料集(偕行社、1989年)。
1月26日
南京市内において日本兵による米国大使館のアリソン三等書記官殴打事件が起こる。
2月14日
大本営は中支那方面軍、上海派遣軍、第10軍の戦闘序列を解き、中支那派遣軍の戦闘序列を下命。
3月28日
中華民国維新政府が中支那派遣軍の指導で南京に成立。

その後

この戦いの後、徐州武漢を含むいくつかの都市もすぐに陥落した。中国側は1938年の黄河決壊事件によって三つの省を覆う洪水を引き起こし、進攻する日本軍の勢いを止めようとした。

第二次大戦後、東京裁判に於いて、南京陥落後に帝国陸軍によって多数の民間人や捕虜が殺害されたとされ(南京大虐殺)、「捕虜及び一般人に対する国際法違反」に寄り松井石根陸軍大将が処刑された。

参加兵力

日本軍

中国軍

【南京防衛司令長官部】
司令長官 唐生智、副指令長官 羅卓英・劉興、参謀長 周ラン、副参謀長 余念慈

  • 第2軍団(徐源泉)
    • 第41師(丁治磐)
      • 第121旅(張習崇)
      • 第123旅(芮勤学)
    • 第48師(徐継武)
      • 第142旅
      • 第144旅(郭浚)
  • 第66軍団(葉肇)
    • 第159師(譚邃)
      • 第475旅(林偉濤)
      • 第477旅(司徒非)
    • 第160師(兼・葉肇)
      • 第478旅(喩英奇)
      • 第480旅
  • 第71軍(王敬久)
    • 第87師(沈発藻)
      • 第259旅(易安華)
      • 第260旅(劉啓雄)
      • 第261旅(陳頤鼎)
  • 第72軍(孫元良)
    • 第88師(兼・孫元良)
      • 第262旅(朱赤)
      • 第264旅(高到嵩)
  • 第74軍団(兪済時)
  • 第78軍団(宋希濂)
  • 第83軍団(鄧龍光)
  • 江防軍(劉興)
  • 教導総隊(桂永清)
  • 憲兵司令部(蕭山令)
  • 陸軍装甲兵団(杜聿明)
  • 砲兵第42団(繆範)

【第23集団軍】
総司令 劉湘、副総司令 唐式遵

  • 第21軍(唐式遵)
  • 第23軍(藩文華)

南京自治委員会の発会式

1938年1月1日、南京自治委員会の発会式が挙行された。南京難民区に避難していた市民も日の丸と五色旗を振って祝い、式場には3万人の参加者がつめかけた。新政権の出現を祝い、国民政府の悪政を非難する主意書および同政府と絶縁して目指す政治を示す以下の宣言が発表された<ref name=mainichi16/>。

  • 一、国民党の一党専政を廃止し民衆を基礎とする政治を実行す
  • 二、各種親日団体と合作し日支提携の実を挙げもつて東洋平和の確立を期す
  • 三、防共政策を実行し抗日、排日思想を絶対に排除し欧米依存の観念を矯正す
  • 四、産業を振興し民衆の福祉を増進す
  • 五、広く人材を登用し民衆自治の徹底を期す

脚注

関連項目

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年5月28日 (水) 05:51。










    
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