讒謗律


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讒謗律(ざんぼうりつ)とは、明治初期の日本における、名誉毀損に対する処罰を定めた法律。

沿革

内容

全八条からなり、第一条で下の通り示されているように、事実を挙げる挙げないに関わらず、著作物を通じて他人を毀損することに対する罰を定めたものである。

凡ソ事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル者之ヲ讒毀トス。人ノ行事ヲ挙グルニ非スシテ悪名ヲ以テ人ニ加ヘ公布スル者之ヲ誹謗トス。著作文章若クハ画図肖像ヲ持ヒ展観シ若クハ発売シ若クハ貼示シテ人ヲ讒毀若クハ誹謗スル者ハ下ノ条別ニ従テ罪ヲ科ス。
(大意の口語訳)
事実の有無に関係なく、他人の名誉を損ねる出来事を暴き、広く知らせることを讒毀とする。出来事を挙げず、他人に悪名を押し付けて広く知らせることを誹謗とする。文章や図画を見せたり、売ったり、貼り付けたりして他人を讒毀したり誹謗したりするものは、以下の条によって罰す。

また第二、三、四、五条でそれぞれ天皇、皇族、官吏、それ以外に対する讒毀・誹謗に対する罰則を定めており、定められた罰の重さもこの順である。

制定の背景

讒謗律が公布された当時は自由民権運動が活発な時期であり、8日前に公布された新聞紙条例とあわせて、新聞、風刺画等により官吏等当時の為政者を批判することを防ぐ為に公布されたという見方が多数を占めている。

讒謗律に反対した東京曙新聞末広鉄腸は、布告非難の投書を掲載し、また自らこの布告への反論の弁を載せたが、同布告によって裁判にかけられ、2ヵ月の禁錮に処された。この布告に基づく逮捕者は1875年末までで7人、1876年には40人になった。

なお、名誉毀損は現在の刑法においても定められている。



  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2007年6月18日 (月) 15:21。










    
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