日中戦争


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日中戦争(にっちゅうせんそう)とは、1937年昭和12年)から1945年昭和20年)の間に大日本帝国中華民国の間で行われた事変及び戦争である1931年昭和6年)の満洲事変を起点として「日中十五年戦争」ととらえる見方もある。。 日本での公式の呼称は支那事変であり、現在の中華民国や中華人民共和国での呼称は中国抗日戦争もしくは八年抗戦である中華民国政府は八年抗战・中日戰爭など、中華人民共和国政府は中国人民抗日战争などと表記する(詳細は本記事の中国語版を参照)。また英語では、Second Sino-Japanese Warと表記するFirst Sino-Japanese War日清戦争。。

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「戦争」か「事変」か

日本では当初、北支事変(ほくしじへん)、後に支那事変(しなじへん)と称しており、新聞マスコミでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。現在でも日本政府の正式な呼称は変らず、防衛省防衛研究所戦史室や厚生労働省援護局、準公式戦史である「戦史叢書」、靖国神社や各県の護国神社では「支那事変」の呼称を使用している。

しかしマスコミでは「日中戦争」という呼び方が広く定着している。これは日英米間の開戦(1941年12月)とともに蒋介石政権が日本に宣戦布告しため、おおまかに「戦争」と認識されることが多いからである。さらにマスコミでは「支那」という言葉の使用を嫌って日中戦争と言い換える例が多い。

事変」という呼称が選ばれたのは、「大日本帝国と中華民国が互いに宣戦布告しておらず公式には戦争状態にない」という状態を、事変の勃発当初から日米戦争の開始までの4年間、双方が望んだからである。宣戦布告を避けたのは両国が戦争状態にあるとすると、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対して軍事的な支援をすることは、中立義務に反する敵対行動となるためである。これ以上の国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘を継続できない蒋介石側にとっても宣戦布告は不利とされたのである。なお、日本軍が駐兵していた法的根拠は義和団の乱の講和条約である北京議定書に基づいている。

日中戦争年表

1941年以後は太平洋戦争の年表も合わせて参照されたし。

前史

1937年(昭和12年)

1938年(昭和13年)

1939年(昭和14年)

1940年(昭和15年)

1941年(昭和16年)

1942年(昭和17年)

1943年(昭和18年)

1944年(昭和19年)

1945年(昭和20年)

戦後史

脚註

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関連作品

映画

関連項目

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日中関係
第二次世界大戦
太平洋戦争の日本での呼称は大東亜戦争。他にアジア・太平洋戦争などとも。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月5日 (日) 15:49。










    
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