アジア主義

アジア主義(あじあしゅぎ)とは、19世紀後半に活発となった欧米諸国のアジア進出に対抗する方策として展開された日本と他のアジア諸邦の関係や、アジアの在り方についての思想ないし運動の総称である。

概要

欧米諸国からの脅威の排除とアジアの自立を目指した主張であるが、その内容は開国文明化、協同、合邦、新秩序構築など、主張する側の思想、立場によって異なり一義的な定義はない。また、時代ごとの国際情勢によって主張内容が変化する。当初は日本と中国朝鮮の関係論から始まり、日露戦争以降、アジアの革命勢力を支援する思想に発展し、やがて日本を盟主としたアジアの新秩序構築(大アジア主義)、そして大東亜共栄圏構想へとつながっていく。1945年の日本の敗戦によって、近代アジア主義は終焉したとされる。

その後の国際的な地域統合の流れの中で生まれた東アジア共同体構想も、しばしばアジア主義と関連付けられて言及されることがある。

関係年表

人物・組織・思想

1880年海軍軍人で中国での情報活動に従事していた曽根俊虎などを中心に設立された。琉球処分壬午軍乱などで日清関係が悪化していくなかで両国の提携論を標榜し、最初のアジア主義団体とされている。日清提携のための中国語での機関誌発行や語学教育に力を入れた。のち亜細亜協会と改称し、東亜同文会が設立されるとこれに合流した。
1885年、「大東合邦論」を執筆し、日本と朝鮮の対等合併による「大東国」建国を主張した。大阪事件に連座して下獄したため原稿(日本文)を散逸し、日清戦争直前の1893年漢文で出版した。
頭山満が主宰。福岡県を拠点にし、中国孫文や、朝鮮の金玉均を援助した。日露戦争時には、馬賊を編成し、ロシア軍の後方を撹乱した。
ただ、在野の立場を貫き、日本政府の大東亜共栄圏構想に与しなかったため、迫害される立場になった。が、広田弘毅は、正規のメンバーだったと言われる。
内田良平が主宰。朝鮮での甲午農民戦争時に東学と連携しつつ清軍を挑発するために派遣された玄洋社の別働隊「天佑侠」を起源としている。なお、名称の「黒龍」とはブラック・ドラゴンではなく、黒龍江(アムール河)を指す。
戊戌政変により日本に亡命した康有為梁啓超の支援をきっかけに作られた政教社系の東亜会と、中国で商業活動を担っていた大陸浪人を組織した同文会の合併により1898年発足した。初代会長は近衛篤麿で、東亜同文書院の経営を主な活動とした。
1924年11月、日本の神戸で講演し、「日本は西洋覇道の鷹犬になるのか。東洋王道の干城になるのか」と述べる。東洋の仁義道徳を、世界秩序の基本にすべきと主張し、日本政府に対して中国との不平等条約を改正することを暗に求めた。カラハン宣言により不平等条約を破棄したソ連を王道の側に立つ国家とし、日・中・ソの提携を提唱している点に特徴がある。
1930年代末(日中戦争初期)、東アジア地域において民族国家を超克する協同体の建設を主張したもの。当時の近衛文麿首相のブレイン集団である昭和研究会を中心に構想され、三木清蝋山政道尾崎秀実新明正道らが主要な論者となった。

書籍・論文

  • 松本健一『雲に立つ-頭山満の「場所」』 文藝春秋1996年10月
  • 読売新聞西部本社(編) 『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 海鳥社2001年10月
  • 千坂恭二「日本的前衛とアジアの大衆。アジア主義の革命と戦争」『情況1997年8-9月号。
  • 竹内好編 『アジア主義』(現代日本思想大系9) 筑摩書房1963年8月
  • Sven Saaler and J. Victor Koschmann編 『Pan-Asianism in Modern Japanese History. Colonialism, Regionalism and Borders』London and New York: Routledge, 2007年


関連項目



  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年7月10日 (木) 11:42。










    

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最終更新:2008年11月09日 00:11
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