加波山事件

加波山事件(かばさんじけん)とは、1884年9月に発生した栃木県令三島通庸らの暗殺未遂事件。

概要

民権激化事件の一つ。自由民権運動のなかで、急進的な考えを抱いた若き民権家たちが起こす。福島事件に関わった河野広体(河野広中の弟)らのグループが中心で、これに茨城の富松正安や栃木県の民権家が加わっている。栃木県庁落成時に、民権運動を厳しく弾圧した三島通庸県令や集まった大臣たちを爆殺する計画であったが爆弾を製造中に誤爆。計画が明らかになると、茨城県加波山山頂付近に立てこもり、「圧制政府転覆」「自由の魁」などの旗を掲げ、決起を呼びかけるビラを配布した。また警察署や豪商の襲撃も行なっている。

その後

後日の再集結を約して解散するが次々に逮捕された。その後、自由党幹部である内藤魯一や、田中正造小久保喜七をはじめとして300名に及ぶとまでいわれる民権家が逮捕された。しかし、政治犯とはならず、資金集めの際の強盗などの罪によって裁かれたため、起訴されたのは加波山に立てこもった16人に加え、内藤ら若干名にとどまった。7名に死刑判決が下され(うち1人は刑執行前に獄死)、3名が無期懲役となった。但し服役者も獄死者を除き、特赦によって明治27年までには出獄している。

この事件を期に、政府は、爆発物の使用に対して刑法(いわゆる旧刑法)の規定よりも厳格に取り締まるため、爆発物取締罰則を制定した。

関連項目

福島事件



  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_ 2008年9月21日 (日) 09:52。










    

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最終更新:2008年10月31日 23:39
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