大逆罪(たいぎゃくざい)とは、日本において1882年に施行された旧刑法116条、および大日本帝国憲法制定後の1908年に施行された現行刑法73条(1947年に削除)が規定していた、天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加える事を指した罪名。日本以外の君主制国家では皇帝や王に叛逆し、また謀叛をくわだてた犯罪を、大逆罪と呼ぶことがある。
近代国家としての日本の統治機構の根幹として皇室制度(天皇制)を重視した大日本帝国憲法体制下の刑法典においては大逆罪を最も重大な罪の一つとした。
1880年に公布され、2年後に施行された(旧)刑法において導入されたが、その刑罰は他の刑法上の刑罰規定と比較しても異質なものであった。
その特徴として、
の以上3点が挙げられる。
大逆罪が適用されるいわゆる「大逆事件」の適用例はわずか4件であり、うち既遂はなく未遂は2件、予備・陰謀が2件であり予備・陰謀事件の中には無実の者が含まれていたとされている。特に最初の適用例であり、最も著名な例である幸徳事件は26名の被告のうち実際に陰謀を計画したのは数名であったにも拘らず、24名に死刑判決が下された上に天皇の「仁慈」によってうち12名が無期懲役に減刑されるという一定の流れを形成することになる。
即ち、
と考えるものもいる。
第二次世界大戦後、日本国憲法の制定とともに関連法制の改正が行われた際に大逆罪などの「皇室に関する罪」の改正は当初予定されてはいなかった。なぜならば、新憲法でも天皇は国家及び国民統合の「象徴」であり、それを守るための特別の刑罰は許されると解釈されていたためである。これに対して、GHQは大逆罪などの存続は国民主権の理念に反するとの観点からこれを許容しなかった。当時の内閣総理大臣吉田茂自らがGHQの説得に当たったものの拒絶され、遂に政府も大逆罪以下皇室に対する罪の廃止に同意せざるを得なくなった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月23日 (日) 05:01。