第1次大隈内閣


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

Template:日本の内閣記事?

与党となった憲政党のうち、旧進歩党系の大隈を首相に、旧自由党系の板垣退助を特に内務大臣に迎えて組織したため、大隈の「隈」と板垣の「板」をとって隈板内閣(わいはんないかく)ともいう。

概要

第3次伊藤内閣伊藤博文の政党組織準備のために総辞職し、元老議会勢力に妥協した結果、当時衆議院第一党であった憲政党の首班大隈と板垣に大命が降下されて組閣された。首班が議会(衆議院)に議席を持たないという意味ではやや条件を欠くが、軍部大臣以外を政党人によってかためたという点では、日本史上初の政党内閣であるといえる。

しかし寄合所帯の憲政党内部では、旧進歩党系と旧自由党系の軋轢が強く、自由党系が求めていた星亨の外相任命を大隈が拒んで自ら兼務を続けたことに加え、文相尾崎行雄共和演説事件による罷免をめぐり後任人事が両者間で紛糾し、星らによる憲政党の分裂騒ぎに発展。組閣後4ヶ月余りで総辞職を余儀なくされた。

在任期間

在任; 1898年明治31年)6月30日 - 同年11月8日

国務大臣

伯爵大隈重信(佐賀閥・憲政党:旧進歩党系)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日
大隈重信(兼任)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日   
伯爵板垣退助(土佐閥・憲政党:旧自由党系)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日
松田正久(憲政党:旧自由党系)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日
子爵桂太郎(長州閥・軍人:陸軍
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日  
侯爵西郷従道(薩摩閥・軍人:陸軍海軍
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日  
大東義徹(憲政党:旧進歩党系)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日
尾崎行雄衆議院・憲政党:旧進歩党系)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年10月27日
犬養毅衆議院・憲政党:旧進歩党系)
1898年(明治31年)10月27日 - 同年11月8日
大石正巳(憲政党:旧自由党系)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日
林有造
1898年(明治31年)6月30日 - 同年11月8日


鮫島武之助貴族院
1898年(明治31年)6月30日 - 同年7月7日
武富時敏憲政党:旧進歩党系)
1898年(明治31年)7月7日 - 同年11月8日
梅謙次郎(帝国大学法学部教授)
1898年(明治31年)6月30日 - 同年10月27日
神鞭知常衆議院憲政党:旧進歩党系)
1898年(明治31年)10月27日 - 同年11月8日


第1次大隈内閣 1898年(明治31年)
6月30日
同年
7月27日
同年
10月27日
内閣総理大臣 大隈重信 大隈重信 大隈重信
外務大臣 大隈重信(兼務) 大隈重信(兼務) 大隈重信(兼務)
内務大臣 板垣退助 板垣退助 板垣退助
大蔵大臣 松田正久 松田正久 松田正久
陸軍大臣 桂太郎 桂太郎 桂太郎
海軍大臣 西郷從道 西郷從道 西郷從道
司法大臣 大東義徹 大東義徹 大東義徹
文部大臣 尾崎行雄 尾崎行雄 犬養毅
農商務大臣 大石正巳 大石正巳 大石正巳
逓信大臣 林有造 林有造 林有造
内閣書記官長 鮫島武之助 竹富時敏 竹富時敏
法制局長官 梅謙次郎 神鞭知常 神鞭知常

外部リンク




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 14:11。












     
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。