岡田内閣


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{{日本の内閣記事|おかだ ないかく|31|岡田啓介|Template:和暦?|7月8日|Template:和暦?|3月9日|官僚・政党(立憲民政党昭和会など)|第19回衆議院議員総選挙|1936年(昭和11年)1月21日|http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/31.html|退役海軍大将}}

概要

岡田内閣は、元老西園寺公望の奏薦により、退役海軍大将の岡田啓介が組閣した内閣である。官僚と政党を中心とした弱体内閣。天皇機関説問題の対応に苦慮。軍部からの圧力に抗しきれず、第二次ロンドン海軍軍縮会議を脱退し、軍の華北進出を容認した。衆議院で野党・立憲政友会の提出した内閣不信任決議が可決されたことを受けて、1936年(昭和11年)1月21日に衆議院解散。同年2月20日に行われた第19回衆議院議員総選挙の結果、与党・立憲民政党が第一党となるも、その6日後の2月26日に二・二六事件が起きる。同事件収束の後、内閣総辞職した。

閣僚

岡田啓介(退役海軍大将):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
広田弘毅(官僚:外務省):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
後藤文夫(官僚:内務省):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
藤井真信(官僚:大蔵省):1934年(昭和9年)7月8日 - 同年11月27日
高橋是清政友会除名・二・二六事件で暗殺される):1934年(昭和9年)11月27日 - 1936年(昭和11年)2月26日
町田忠治立憲民政党):1936年(昭和11年)2月27日 - 同年3月9日
林銑十郎(軍人:陸軍大将)(斎藤内閣から留任):1934年(昭和9年)7月8日 - 1935年(昭和10年)9月5日
川島義之(軍人:陸軍大将):1935年(昭和10年)9月5日 - 1936年(昭和11年)3月9日
大角岑生(軍人:海軍大将)(斎藤内閣から留任):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
小原直(司法官):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
松田源治立憲民政党):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)2月1日
川崎卓吉立憲民政党):1936年(昭和11年)2月2日 - 同年3月9日
山崎達之輔政友会除名→昭和会):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
町田忠治立憲民政党):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
床次竹二郎政友会除名):1934年(昭和9年)7月8日 - 1935年(昭和10年)9月8日
岡田啓介(首相兼任・退役海軍大将):1935年(昭和10年)9月9日 - 同年9月12日
望月圭介政友会除名→昭和会):1935年(昭和10年)9月12日 - 1936年(昭和11年)3月9日
内田信也政友会除名→昭和会):1934年(昭和9年)7月8日 - 1936年(昭和11年)3月9日
岡田啓介(首相兼任・退役海軍大将):1935年(昭和10年)9月9日 - 同年10月25日
伯爵児玉秀雄(植民地行政官僚):1935年(昭和10年)10月25日 - 1936年(昭和11年)3月9日
河田烈:1934年(昭和9年)7月8日 - 同年10月20日
吉田茂(官僚:内務省):1934年(昭和9年)10月20日 - 1935年(昭和10年)5月11日
白根竹介(官僚:内務省):1935年(昭和10年)5月11日 - 1936年(昭和11年)3月9日
金森徳次郎(官僚:内務省→法制局):1935年(昭和10年)9月9日 - 1936年(昭和11年)1月11日
大橋八郎(官僚:逓信省):1936年(昭和11年)1月11日 - 1936年(昭和11年)3月9日

政務次官

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外部リンク




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 14:44。












     
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