林内閣


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{{日本の内閣記事|はやし ないかく|33|林銑十郎|Template:和暦?|2月2日|同年|6月4日|官僚・軍人が中心。|第20回衆議院議員総選挙|1937年(昭和12年)3月21日
食い逃げ解散|http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/33.html|予備役陸軍大将}}

概要

前の廣田内閣が崩壊した後、大命降下を受けたのは予備役陸軍大将宇垣一成だった。しかし、陸軍が軍部大臣現役武官制を盾にとって現役武官から陸軍大臣を派出しなかったため、組閣に失敗(宇垣流産内閣)。このため、あらたに予備役陸軍大将の林銑十郎に大命降下され、組閣したのが林内閣である。

林内閣は財界と軍部の調整を図って大蔵大臣に財界出身の結城豊太郎日本商工会議所会頭を充て、その財政は「軍財抱合」と呼ばれた。また、急造の内閣であったため兼任の国務大臣が多く「二人三脚内閣」とも呼ばれ、また、林首相の名をもじって「何もせんじゅうろう内閣」と揶揄された。当時の慣例に反して政務次官参与官を設置しなかったことから、立憲政友会立憲民政党と激しく対立し、後の食い逃げ解散の原因となった。

閣僚

林銑十郎(軍人:陸軍):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
林銑十郎(兼任):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年3月3日
佐藤尚武(官僚:外務省):1937年(昭和12年)3月3日 - 同年6月4日
河原田稼吉(官僚:内務省):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
結城豊太郎(民間:日本興業銀行総裁等):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
中村孝太郎(軍人:陸軍):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年2月9日
杉山元:1937年(昭和12年)2月9日 - 同年6月4日
米内光政(軍人:海軍):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
塩野季彦(官僚:司法省):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
林銑十郎(兼任):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日    
山崎達之輔昭和会):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
伍堂卓雄(軍人:海軍):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
山崎達之輔(兼任):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年2月10日
伯爵児玉秀雄研究会):1937年(昭和12年)2月10日 - 同年6月4日
伍堂卓雄(兼任):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日    
結城豊太郎(兼任):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
大橋八郎研究会):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日
川越丈雄(官僚:大蔵省):1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日

外部リンク




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 14:46。












     
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